ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

辺野古へ行ってきました

2017-02-01 16:37:01 | 日記・エッセイ・コラム




那覇空港は軍民共用です。
私が沖縄に入った1月30日。自衛隊機が那覇空港で事故を起こし、そのあおりで私の乗った飛行機は鹿児島で待機。
機内アナウンスは「航空機の事故により」としか言いませんでした。
なぜ、正確に報道しないんだ?!
6時間も飛行機に閉じ込められて、ようやくの到着でした。

今日はしまぐるみ会議のバスに乗って、辺野古へ行ってきました。
知り合いの方に同行させてもらいました。
このバスは水曜日と土曜日に県庁前から出ているそうです。

集合は県庁前の県民広場と名づけられている屋根のあるところ。
8時半集合、9時出発とのことでしたが、8時半に誰もいなかったので、
場所を間違えたかとずいぶんウロウロしました。

そこで番号札をもらいます。
県庁前から出発。
バスに乗ってから、回ってくる袋に番号札と1000円の参加費を払います。

今日は24人乗っていました。
高速で行くのですが、途中でトイレ休憩がありました。
このときに、お昼ご飯を調達する人もいるようでした。

時計を見ていなかったので正確には分かりませんが、10時過ぎに到着。
ゲート前近くでバスを降りて、ゲートまで歩きました。
そこで知り合いと遭遇。
いろいろ積もる話があり、話し込んでしまいました。

ゲート前は正確には分かりませんが、総勢100人を超えているのは間違いないでしょう。
朝8時前に30人ほど来ていたとのことでした。
マイクを持って、いろんな人がいろんな話をしていました。
京都ではなかなか入ってこない情報です。
海洋汚染防止のための設備をつくるといって、何トンものコンクリートブロックが投下されようとしているそうです。
そっちも海洋汚染じゃないか?

トイレと書いたプラカードを持った人がまわって来てくれて、トイレに行きたい人をトイレのあるところまで運んでくれます。
助かった!!

ゲートの反対側に雨よけの座るところがつくられていて、午後はそこで持って行ったおにぎりを食べました。
魚のマース煮(塩煮)やゴボウのきんぴらや漬物やら、同じバスで来た方からいただきました。
ありがたかったです。

その後、希望者で辺野古の海へ。

沖縄の基地の多くは終戦時1945年ごろにつくられたのではなく、元は本土にあった基地が1960年を境に沖縄に移転されたこと。
普天間基地が、もともと必要なくなってきていること。
辺野古の新基地は、自衛隊との共用施設としての新たな基地建設であり、普天間の代わりといったレベルの話でないこと。
各種の資料やデータを使って説明してもらいました。

3時に辺野古を出発して帰ってきました。

辺野古で基地反対と叫んでいるのは本土の人ばかり?…24人のうち県外は3人でした。
1日2万円の日当をもらっている?…もらっていません。みな手弁当です。

基地で誰が利益を受けているのでしょう。
もし、本当に日本国民の利益になるのなら、なぜ沖縄だけに押し付けるのでしょう。
日本国民なら、これを真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
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