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「学び続ける力(池上彰)」という本はとてもオススメ!

2013年08月23日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 「学び続ける力」という本は、テレビ等で活躍している池上彰さんが著者で、よりよく生きるために教養をもつことが大事で、そのためには読書するだけでなく考えることや、自ら枠組み自体に自由に問題を設定して新たな解を探すことが大切ということなどについて書かれたものです。

 また教養を持つことで、自分を客観視し、視野を広げることが大切ですね。

 そのほか以下についても分かりやすく説明があり、とてもオススメです!

・池上彰さんの勉強法
・大学でわかりやすく教える方法
・検索して引っ張ってきたものを重ねて新しい発想を生み出すことが大切
・聴き上手になることが大切
・説明には論理と視覚が必要
・勉強の意味について迷いが出たときは福沢諭吉の「学問のすすめ」を読むのがオススメ
・日本や海外の教養教育の歴史

さすがに分かりやすく読みやすく書かれた本だと思います。
よりよく生きるヒントになる本だと思います。

以下はこの本のポイント等です。

・父は晩婚でしたから、私が小学生のときに銀行を定年退職。関連会社に一時お世話になった後、60歳を過ぎてから、資格を生かして通訳ガイドの仕事を本格的に始めました。旅行会社との契約で、世界各地から訪れた外国人観光客を、日光や箱根などの観光地に日帰りで案内する仕事です。観光地への案内をする合間には、英語の技術書類を翻訳する仕事も請け負っていました。資格を取っていれば、第二の人生でも充実した仕事ができることを、父は身をもって教えてくれました。銀行員の仕事をしながら、なぜ資格を取ることができたのか。大学には縁のなかった父ですが、当時の慶應義塾大学の図書館は、一般の人にも開かれていて、一回10円の入場料を払えば利用できたというのです。若い頃は、仕事の帰りに大学図書館に寄って、英語の勉強をしていたのです。私が慶應義塾大学を受ける気になったのには、そんなことを聞かされていたことも影響したのかもしれません。合格したとき、大いに喜ぶ父の姿を見て、少しは親孝行した気持ちになったものです。

・名刺がなくても通用する、本当の力をどうやったら身につけられるのか。これを自問自答しながら仕事をするようになりました。NHKを辞めたばかりの頃、ある民法のディレクターに連絡を取ることになり、電話口に出た人に「池上と申しますが」と言うと、「どちらの池上さんですか」と聞き返されました。ああ、会社を辞めて肩書がなくなると「どちらの?」と聞かれるという話をよく聞いたけれど、こういうことなのか。50代になって初めて経験したことです。20代はじめに読んだ本の内容が、50代半ばになって甦りました。肩書がなくなったときの悲哀を私も味わいました。

・「本好きというのは、手元に読む本がないまま時間が空いてしまうのが恐怖。いつも何冊か手元に本を持ち歩くもの」という話に、わが意を得たり、と思いました。

・語学は、目標をつくって頑張るのが一番です。私の場合も、忙しい中でも英語の勉強をやめなくてすんだコツの一つは、目標を決めていたからでした。といっても特別なことではなくて、TOEICで何とかもう少しいい点を取りたい、という目標でした。二つ目は、勉強してすぐに効果が出なくても、「どうしてなんだろう」と焦らなかったことです。語学の上達は階段を登るようなもの。階段には踊り場があって、ずっとやっていても全然効果がないと思っていると、あるとき突然ポンと効果が出て、一段階上に上がる。またしばらく横ばいのあと、突然またレベルが上がると言われています。そうなると楽しくなってきますから、またコツコツと続けることができました。

・辞めた直後は結構暇だったので、まずは各大学が社会人向けに開設している講座のパンフレットを集めました。勉強好きの社会人は多いもの。多数の大学が、社会人向け講座を開いています。その中から選んだのは、まずは、拓殖大学のアジア塾という、夜、社会人向けに開けている講座です。明治大学のビジネス講座、慶應大学丸の内キャンパスの金融論の講義にも登録して、講義を聴きに通いました。「これからまた勉強できる!」というワクワク感がありました。

・いま私が興味を持っているのは、人間の心理についてです。ビジネスの現場は人間の心理で動いています。株価の上がり下がりだって、不思議なことに、いい材料が出たから上がるとはかぎらない。思いもよらないことが起こるのは、まさに心理によるものです。人間の心理と経済行動の関係をさぐる点での最新の理論は「行動経済学」です。こうした理論を学ぶことによって、人間の心理の不思議さがわかります。私たちが知りたい、学びたいと思っている森羅万象は、結局のところ、「人間とは何か」という究極の疑問に結びつく気がします。

・「リベラルアーツ」とは、何か。これはヨーロッパで生まれて発展した概念です。「リベラル」には「自由」という意味があります。「人を自由にする学問」とでもいうべきものなのです。古代ギリシャでは、人は奴隷と、奴隷を使う自由人に分かれていました。リベラルアーツは自由人としての教養を身につけるための学問として発展しました。ローマ時代に、これは「自由7科」として定義されます。7科とは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽です。13世紀にヨーロッパで大学が誕生した当時、専門家養成のための学部に進む前の学問として位置づけられました。この伝統はいまも受け継がれ、ヨーロッパそしえアメリカの多くの大学で、専門教育を受ける前のコースになっています。特にアメリカでは、ハーバード大学のように学部4年間はリベラルアーツ教育を行い、それを基礎に大学院に進学し、大学院で専門教育を受けることが一般的です。そのためのリベラルアーツ・カレッジが数多く存在します。日本では、第二次世界大戦前まで、旧制高校でリベラルアーツ教育が行われてきました。戦後は、旧制高校が4年制の新制大学の教養課程になり、ここでリベラルアーツ教育を受けることになりました。しかし1991年、文部省が、大学設置基準の大綱化を実施したことで、従来型の一般教養科目が激減します。

・韓国の場合、海外から移籍した技術者は5年間所得税免除という制度があるが、そのような産業政策は日本にも必要なのではないか、と、国の産業政策のあり方にまで及びました。

・検索能力は必要な能力ですが、あるキーワードで検索して引っ張ってきたものと、別のキーワードで引っ張ってきたものを重ねることによって新しい発想を生み出す。そこまでできないと、あまり意味がないと思うのです。「組み合わせて引っ張り出す能力」と言っていいかもしれません。頭の中から、そのときに合わせて適切な知識を引っ張り出す。あるいは知識と知識を組み合わせることによって自分なりに展開させる。そのような能力こそが、いま必要なのではないでしょうか。そのためには、引っ張ってくるべき内容を大量に蓄積していなければなりません。これが、現代の教養のひとつなのでしょう。それができることが「教養がある」ということではないか、とも思います。

・テレビで共演した聴き上手といえば、イノッチこと井ノ原快彦さんが思い浮かびます。イノッチは、面白がって聴いてくれることで、相手をのせて、さらにそこから話を発展させてくれます。「うわーッ、面白いですね」とうなずきながら聴いてくれると、こちらもついついしゃべってしまいます。これは、天性の聴く力というのでしょうか。それに加えて、相手をいい気持ちにさせてくれる性格のよさがあります。気のきいたことを言おうとするのではなく、「ほう」「はあ」「へえーッ、すごいですねえ」などと、シンプルな合いの手がうまくて、そのときの顔の表情もまたいいのです。とにかく全身で受け止めて話を一所懸命聴いてくれる、そんな印象を与えるタイプです。

・SMAPの中居正広さんも聴き上手です。中居くんは私が何か言うと、それについて自分の知識を総動員して、「つまりこういうことですか?」と問いかけてきたり、私の話の展開に合わせようとしたりしてくれます。そこがとても好感を与えます。知識を総動員して話を展開させようとする、その性格のよさは素敵だと思いますし、こちらもついつい丁寧にしゃべってしまいます。気のきいたことを差しはさんだりとか、話をまとめたりとか、話を発展させようとして必死になるよりは、相手の話を面白がって聴くというのが、まずは一番大事です。中居くんのように、相手の話に「つまり、これはこういうことですよね」と返すのは、一歩間違えるとイヤミになりかねません。そう思わせないのは、彼のセンスと人柄だと思います。中居くんはふだんから、非常に勉強家です。けれども、「自分は途中から勉強するようになったので、基礎があるわけじゃない、どこか自分には足りないところがあるんじゃないか、どこか間違っていうかもしれない」という恐れのようなものを持っているように感じられます。自分はまだ十分知らないということを知っている謙虚さは、その人の印象を大きく左右します。

・伝える力には左脳と右脳が関係すると言うのです。左脳と右脳、すなわち、論理をつかさどる脳と、視覚など五感をつかさどる脳です。物事は論理的に言葉で伝えることが大事である。けれども、人間は論理的なものだけで動くわけではない、だから説明には、論理と視覚に訴えるもの、両方が必要である。論理的に説明されて何となくわかるけれどもいまひとつ腑に落ちないときには、ビジュアル化したもので説明されると納得できる。言い換えれば「左脳と右脳」の両方があいまって、「なるほどよくわかった」という気になるのだ。つまり、聴いていて絵が自然に思い浮かび、なおかつ論理が通っていると、ストンと腹に落ちる、それが本当の意味で伝える力なのだ、という話です。

・人間が自ら体験して知ることには限りがあります。でも本を読んでいくと、自分が知らない世界を、まるで目の前で見るように知っていくことができます。本によって”体験”できることも多いのです。本からどれだけ私はいろんなことを学んだだろうか、とよく思います。

・私は本が好きで、本を読むとほっとしていたし、読書は勉強になると思っていたのですが、そうではないとショーペンハウエルは断言するのです。確かに読書とは、他人が書いたものを読んでいるわけです。他人が考えたことを追いかけているにすぎないと言われても仕方がないのです。ショーペンハウエルはかなり毒舌家だとはわかっていましたが、ショックでした。でもさらに読み進めていくと、読書を否定しているわけではないのです。本を読んでも、その後に今度は、自分でものを考える時間がなければダメだ。ひたすら本だけ読んで賢くなった気持ちになっていても、それは、自分でものを考える力がつくわけではないということを言っているのです。読書がなければ教養は身につかないけれども、読書しただけで教養が身につくわけではない。これをショーペンハウエルは教えてくれたのです。深く感動した本や、自分にとって意味があると思った本については、次の本にすぐに行かないで、しばらく余韻に浸るということが大事なのです。その後で、著者は、なにを言いたいのか、そこから自分はなにを得ることがあるのかと考える時間を持たなければいけないのです。

・「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」ことが多いのです。すぐには役に立たないけれども、あるいは、一見役に立ちそうにないけれども、長い目で見ると、心の栄養になったり、自分を高めたり、自分の世界を広げてくれる本もあります。そういう本が、教養にとっては大事であり、生きていく上でも大事なのではないかと私は思うのです。すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。後からジワジワ役に立つものもある。本を読むときには、そういう考え方も、また必要ではないかなと思います。

・勉強にどんな意味があるのか。そんな迷いが出たときは、古典をひもとく。福沢諭吉の「学問のすすめ」はどうでしょうか。この本は、私が慶應義塾大学への入学が決まってから、創立者・福沢諭吉の本を読んでおかなくてはいけないだろうと、半ば義務感で読み始めました。しかし、学ぶことが、人生にどんな意味があるかを、10代の私に教えてくれました。すごい先生があの時代にいたんだなあ、その大学に入れるんだとうれしくなったものです。この本で福沢が述べているのは、独立自尊、すなわち独立イズムです。学問があってこそ、一人一人が自分の足で立っていけるということを、改めて教えてくれます。

・私は、教養を持つということは「よりよく生きる」ということではないか、と思うのです。社会で力を発揮することができ、よく生きること。それに資するものは、現代的な教養と言ってよいのではないでしょうか。たとえば、哲学を学ぶことが教養と言えるのは、それは自分がどう生きるかということに関わってくるからだろうと思います。自分がどう考えればよいのかということを知るために、過去の先人っちがどのようなことを考えたかを知る。それはすなわち、「どう生きるべきか」ということにつながってきます。かつての、難しいことをたくさん知っているのが教養という考え方や、高踏的な学問や思想は、いまの時代には、非常に限られた狭い範囲のものになってしまっていて、かつてほど大きな影響力を持たなくなっています。その人の教養おは、単に知識のレベルだけでは、測れません。「教養人」というと、古今東西のさまざまな知識を身につけた人というイメージがあります。けれども、そのような狭い意味のインテリではなくても、長い人生を経て、味わい深いことを言う人、考えさせる発言をする人に、おきどき出会います。そのたびに、こういう方こそ真の教養人だと思うのです。この人たちの教養は、まさに生きる力です。

・リベラル=自由、とは与えられた問題の解を出すのではなく、自ら自由に問題を設定し、新しい解を探しにいくことである。アメリカのリベラルアーツ教育では、既存のシステムを組み替える発想のトレーニングを教えている。このため、社会に出た後も、大卒のエリートたちはシステムやフレームワークを変えることができる。アメリカと日本の政治家を比べると、教養に関しては完敗だ。オバマ大統領にしても、ヒラリー・クリントンにしても、大学時代にみっちりリベラルアーツも勉強しているから、相当な教養の持ち主であり、国際社会では、そんな教養あふれる人たちと伍していかなければならない。かつて日本の行政は、一般市民の政治参加について「巻き込む」という表現をしていた。英語でいうとインヴォルヴメント。主体はあくまで行政サイド。ところが、インヴォルヴメントからパーティシペーション、つまり参加を求めるようになってきて、最近では、エンゲージメントを求めている。つまり、市民が自らの責任で積極的に行政に関わることを意味している。巻き込まれるのではなく、市民が現実の社会、現実の政治に自らの意志で関わっていくことが求められている。

・教養が日本で重視されるようになったのは、かつて「大正教養主義」と言われていた時代、大正時代に入ってから。東京帝大んどの旧帝国大学では、専門能力を身につけることが重視されていたが、帝大に入る前の旧制高校では、ゲーテを読んだりカントを読んだりして、学生は、理系文系にかかわらず、徹底的に「教養」武装をしていた。戦前、「教養」は高貴とされていた。世俗的な、一般庶民の生活の知恵につながる「修養」を下に見ていた。戦前の教養主義は、東洋を見ずに、西洋を重視していた。その流れは戦後も続き、「岩波文庫を何冊読んだか」が競われるような時代があった。1970年代に、こうした教養のあり方が崩壊。誰もが大学に通う時代になって、大学生はエリートではなくなり、教養と修養を差別化する必然性がなくなったと。一見役に立たない「教養」を学ぶ時間を削り、専門科目でだけを徹底的に習得させると、学生たちは「できる人間」
になるが、この「できる人間」とは、「決められた枠組み」の中で「できる人間」のことである。価値観が多様化して、「枠組み」そのものをどう決めるかが問われる時代には、「決められた枠組み」の中だけで「できる人間」や「専門家」は、新しい時代には対応できない。「決められた枠組みで、決められた問題をいかにエレガントに素早く解くか」という力だけでは、「いまの社会では何が問題か?」と、問題そのものを自分で設定しその答えを自ら探していく、という状況には対応できない。

・「大学で教養を学び、社会に出ることに、人間としてどんな意味があるのか?」究極の質問ですね。これに私はこう答えました。「自分の存在が社会の中でどんな意味を持つのか、客観視できる力を身につけること」ができるのだ、と。そうでないと、ただやみくもに働いたり生きたりすることになります。そこで少し客観的になれるかどうか。視野が広げられるかどうか。枠の外側から眺められるかどうか。そういう力をつけることが、大学で教養を学ぶということではないかと思います、と。

<目次>
はじめに
第1章 学ぶことは楽しい
 名詞の力をはずして
 まずは刑法、刑事訴訟法から勉強した
 英語の勉強も始めた
 夜回りの英会話
 記者会見待ちの時間も本を読んでいた
 ペーパーバックで「大草原の小さな家」を読んだ
 やめないコツ
 NHKを辞める
 大学の社会人講座に通った
 調べるほど無知に気づく
第2章 大学で教えることになった
 理科系の大学で教えることになった
 リベラルアーツとはどんなものか
 「現代世界の歩き方」
 「現代日本を知るために」
 つかみとしての質問
 テレビ解説と講義
 メモとレジュメ
 メモをとる力
 地図の大切さ
 公害を授業で取り上げた
 いまの時代に三池炭坑について教える
 頭で理解できてもピンとこない
 時代の空気を伝えるということ
 「まったく遠い話」ではなくなるように
 歴史を追体験してもらいたい
 出席はとらない
 800次レポート
 期末試験
 原稿用紙の使い方を教える
 縦書きの世界
 批判力を持つ-大学で身につけたいこと1
 自ら学ぶ力-大学で身につけたいこと2
 技術者の生き方を考える授業
 「新しい論点を加えてくれたね」
 3つのメッセージ
 大学生に学ぶこと
 成績を厳しくつけたら・・・
第3章 身につけたい力
 ノートのとり方
 キーボード入力への懸念
 キーワードとは何か
 お笑い芸人のずらす力
 検索能力があればそれでOKか?
 ミャンマー、南アフリカ、韓国で共通に起きたこと
 一般化してみる
 聴き上手なイノッチと中居くん
 左脳と右脳の伝える力
 頭で絵を描けるように話す
 モニュメントのビジュアル
 「伝える力」の両輪を鍛えるには
 アメリカ大統領選挙に学ぶプレゼンテーション能力
 ハリケーン対策で国民から高い評価
 紙の新聞を読もう
 ラジオアナウンサーの描写力
 ラジオの久米さん
 サイズ感を伝える
 「相手は何がわからないのか」を考えながら
第4章 読書の楽しさ
 人生を変えた一冊の本
 ショーペンハウエルの衝撃
 読書はザルでの水汲みのようなもの
 読むことと考えること
 ビジネス小説の魅力
 リアル書店の棚で勉強できる
 情報収集、本でなくネットでいいのでは?
 「君たちはどう生きるか」といじめ
 読書は「現実逃避」
 すぐ役に立つ本・すぐ役に立たない本
 学問のすすめ
第5章 学ぶことは生きること
 いまの教養
 アメリカの大学の教養教育
 リベラルアーツセンターで学んだこと
おわりに

面白かった本まとめ(2013年上半期)

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