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東海道五十三次 街道をゆく 東戸塚~藤沢宿 (3)冨塚八幡宮~浅間神社

2015年10月05日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第5回目の東戸塚~藤沢宿の (3)冨塚八幡宮~浅間神社編について紹介したいと思います。

それから、冨塚八幡宮へ到着しました!
この冨塚八幡宮は、平安時代に奥州の前九年の役平定のため、源頼義・義家がこの地に泊まった時に神様が枕元に立ち、その加護により苦難の末に勝利したことから、感謝して1072年に社殿が建てられたとのことです。
なお、この「冨塚」が訛って冨塚→冨塚→冨塚→戸塚となったようです。


↑冨塚八幡宮の説明


↑冨塚八幡宮

なお、この富岡八幡宮には松尾芭蕉の句碑もありました。
「かまくらを 生きて出でりけむ 初松魚(はつがつお)」
ここで見る初カツオは生きがいいから、漁をした鎌倉を出てすぐの頃はまだ生きていたんだろうなぁ」という意味のようです。
ただ、裏の意味としては、当時の鎌倉時代に叛乱で捕まった者たちは鎌倉を出されてすぐの頃はまだ生きていたんだろうなぁという意味のようです。


↑松尾芭蕉の句碑

それから、この冨塚八幡宮の奥には、前方後円墳の古墳があるとのことで、5世紀頃の仁徳天皇稜と同じ時期のようです。
発掘はされていないようで、発掘されると画期的なものが発見されるかもしれません^_^;)


↑古墳の方向

それから、歩くと上方見附跡がありました。
ここで戸塚宿は終わりということとなります。


↑上方見附跡

それから大きな坂である「大坂」を歩きます。
当時はもっと急な坂だったようですが、現在はかなり削られているとのことです。
かつては二つの坂から成り立っていたようです。


↑大坂


↑大坂の説明

坂を上ったところで、鎌倉方面の景色が綺麗でした!
当時も旅人は良い景色を見ていたのだろうなぁと感傷に浸ってしまいましたね。


↑大坂からの景色

それから大阪の松並木からは素晴らしい富士山が眺められることから、多くの浮世絵で描かれたようです。


↑大坂松並木の説明

それから、「お軽(おかる)・勘平(かんぺい)の碑」がありました!
お軽・勘平とは、歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」の登場人物で、この戸塚の山中を舞台に二人の進行が演じられる名場面とのことです。
ちなみに、この歌舞伎が流行って、幕と幕の間に食べる幕の内弁当も流行ったようです。


↑お軽・勘平の碑

それから、日本橋から11番目の原宿一里塚跡がありました。
当時は松の木が植えられていたようです。
当時の木とは違うと思いますが、松が植えられていますね。


↑原宿一里塚

それから、浅間神社へ到着しました。
浅間神社は全国に3500もあるとは驚きましたね。
富士山が見える場所にある神社とのことです。


↑浅間神社

次回は、(4)諏訪神社~藤沢宿です。

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コメント (4)
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