前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第6回目の藤沢宿~平塚宿(1)藤沢宿~弁慶塚編について紹介したいと思います。
今回のJR藤沢駅での集合時間は9:40で、今回もみんなで体操をして出発します。
藤沢宿は1601年に東海道の宿場となり、東海道五十三次の6番目の宿場です。
1843年の記録では、宿場の人数は4089人、屋敷919軒で、大山道や江ノ島道が分かれる観光地としてのにぎわいに加え、周辺農村からの物資の集積地として繁盛したようです。
当時の藤沢宿の浮世絵でも繁盛している様が伺えます^_^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/56/6535c9e04b5eae5e777a892a6eb36f21.jpg)
↑藤沢宿の浮世絵
それから、地元ガイドによる遊行寺の説明がありました。
遊行寺は鎌倉時代の末期の1325年に門前町としてできたようです。
鎌倉時代の終わりが1333年なので、そのたった8年前ですね。
その後、北条早雲が1513年に三浦道寸との戦いで遊行寺は焼けてしまったようです。
そして94年間そのままだったのですが、1591年に徳川家康から寄進されて遊行寺は復活したようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b1/7edae5d3c9bdf73f08e70c06843a2e13.jpg)
↑遊行寺橋等の説明
それから歩いていると、江戸時代から続くという紙屋がありました。
桔梗屋とのことです。
建物は当時の独特の格子ですね。
いかにも古そうな建物で、風情があります^_^)
ただ建物は明治時代のものとのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/2b/cdcc130aec20b6e386bba047fbcf4b0a.jpg)
↑紙屋
それから蒔田(まいた)本陣跡がありました。
毎度のことですが、大名等が泊まった宿です。
当時はこの辺りが藤沢宿の中心だったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/95/7122456e96b1b7ddaf6d48e1b32b1541.jpg)
↑蒔田本陣跡
そして常光寺へ行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d7/a0c893c7ac2ac504a79b7aef60542b64.jpg)
↑常光寺
山門の左脇には藤沢警察署発祥の地の石碑があり、本堂左手には国際的詩人の野口米次郎の記念墓碑がありました。
そして、高さ25mもある樹齢300~400年のカヤの巨木は立派ですばらしかったですね。
かなり高い!
ちなみにカヤの木は将棋や囲碁の盤に使われるようです。
カヤの木の油を使って拭くと、将棋盤などにツヤが出るようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7c/5de53084bb6894ecc37c30f39b8b5793.jpg)
↑カヤの木
そして、裏山には弁慶塚がありました。
弁慶塚は、源義経を祀る白旗神社を向いているとは泣かせます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/48/421080dfe642f0bb3200b58aecb5a5f9.jpg)
↑弁慶塚
それにしても、この境内の森林は素晴らしく、さすが藤沢市指定の天然記念物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/05/28e4ac9c1f1404ec25a07ed5d2c889bf.jpg)
↑境内の森林
次は、(2)源義経首洗い井戸~弁当です。
お勧めなお話(2015年上半期)
自動車保険を安く!
<今日の独り言>
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。
今回のJR藤沢駅での集合時間は9:40で、今回もみんなで体操をして出発します。
藤沢宿は1601年に東海道の宿場となり、東海道五十三次の6番目の宿場です。
1843年の記録では、宿場の人数は4089人、屋敷919軒で、大山道や江ノ島道が分かれる観光地としてのにぎわいに加え、周辺農村からの物資の集積地として繁盛したようです。
当時の藤沢宿の浮世絵でも繁盛している様が伺えます^_^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/56/6535c9e04b5eae5e777a892a6eb36f21.jpg)
↑藤沢宿の浮世絵
それから、地元ガイドによる遊行寺の説明がありました。
遊行寺は鎌倉時代の末期の1325年に門前町としてできたようです。
鎌倉時代の終わりが1333年なので、そのたった8年前ですね。
その後、北条早雲が1513年に三浦道寸との戦いで遊行寺は焼けてしまったようです。
そして94年間そのままだったのですが、1591年に徳川家康から寄進されて遊行寺は復活したようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b1/7edae5d3c9bdf73f08e70c06843a2e13.jpg)
↑遊行寺橋等の説明
それから歩いていると、江戸時代から続くという紙屋がありました。
桔梗屋とのことです。
建物は当時の独特の格子ですね。
いかにも古そうな建物で、風情があります^_^)
ただ建物は明治時代のものとのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/2b/cdcc130aec20b6e386bba047fbcf4b0a.jpg)
↑紙屋
それから蒔田(まいた)本陣跡がありました。
毎度のことですが、大名等が泊まった宿です。
当時はこの辺りが藤沢宿の中心だったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/95/7122456e96b1b7ddaf6d48e1b32b1541.jpg)
↑蒔田本陣跡
そして常光寺へ行きます。
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↑常光寺
山門の左脇には藤沢警察署発祥の地の石碑があり、本堂左手には国際的詩人の野口米次郎の記念墓碑がありました。
そして、高さ25mもある樹齢300~400年のカヤの巨木は立派ですばらしかったですね。
かなり高い!
ちなみにカヤの木は将棋や囲碁の盤に使われるようです。
カヤの木の油を使って拭くと、将棋盤などにツヤが出るようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7c/5de53084bb6894ecc37c30f39b8b5793.jpg)
↑カヤの木
そして、裏山には弁慶塚がありました。
弁慶塚は、源義経を祀る白旗神社を向いているとは泣かせます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/48/421080dfe642f0bb3200b58aecb5a5f9.jpg)
↑弁慶塚
それにしても、この境内の森林は素晴らしく、さすが藤沢市指定の天然記念物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/05/28e4ac9c1f1404ec25a07ed5d2c889bf.jpg)
↑境内の森林
次は、(2)源義経首洗い井戸~弁当です。
お勧めなお話(2015年上半期)
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