「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」の購入はコチラ
「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」という本は、無名ながらも多大な功績を残し「時代に一世紀先駆けている」と言われたアドラー心理学のアドラーやその弟子、孫弟子たちの言葉を分かりやすく「超訳」したものです。
私は「嫌われる勇気」を始めとして色んなアドラー心理学本を読みましたが、本書はその神髄を100に分けて分かりやすく解説されていて、どれも勇気づけられ、人生に役立つ内容と感じています♪
これらを参考により良い人生にしたいですね。
特に、周りの人が喜んでもらえるよう考え、実行することは大切ですね♪
「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」という本はとてもオススメですね!
以下はその内容の一部です♪
・たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めることができる。
・遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない。その材料を使って住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、あなた自身が決めればいい。
・フロイトは、人間は過去に蓄積された「性的な力」(リビドー)に突き動かされるのだ、と提唱しました。つまり、人は過去により規定され、自分で未来の自分自身をコントロールすることはできないと言ったのです。これに真っ向から反論を唱えたのがアドラーです。アドラーは遺伝や育て方などの「原因」により行動が規定されるものではないと考えました。そして、人は未来への「目的」により行動を自分で決めているのだ。だから自分の意思でいつでも自分を変えるいことができると「目的論」と「自己決定性」を唱えました。その考え方は現代心理学の常識になり、フロイトの「原因論」は過去の遺物になっているのです。ところが、私たちの日常生活では、いまだに過去の遺物である「原因論」が幅を利かせています。しかし、原因は「解説」にはなりますが、何の「解決」にもなりません。過去を変えることはできないからです。そうではなく自分の意思で未来の「目的」を変え、行動を選び直せばいいのです。アドラー心理学で考えれば、いくらでも問題の「解決」は可能なのです。
・解説者の私が座右の銘としている言葉があります。「過去と他人は変えられない。しかし、今ここから始まる未来と自分は変えられる」。アドラーを源流とする人間性心理学に属するエリック・バーンの言葉です。私はこの言葉のお陰で人生が変わりました。この考え方を活かす上で大切なのは「本当はどちらが悪いのか?」という「原因」を追求することはムダだ、ということです。仕事や家庭において裁判官は不要です。「どちらが悪かったのか」に時間や労力を注ぎ込むくらいならば、その分のエネルギーを未来の解決に費やす方がはるかに生産的です。ですから、実際には上司や部下、配偶者などに非があったとしても「今、自分にできること」だけを見ればいい。もしも相手に気づいてほしいことがあるならば、気づかない相手を責めるのではなく、自分の伝え方を変えるのです。自分の言葉が説得力を持つように、相手から信頼される努力をすべきなのです。健全な人は、たとえ100%他人が悪い、と思えるような状況でも、「今、自分にできること」だけを見てエネルギーを注ぎ込みます。不健全な人は過去を愚痴り、他人の悪口を言い、自分が被害者だと訴えて同情を求め、自らは何も行動を起こしません。どちらの人生が幸福になるか、言わずもがなではないでしょうか。
・劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。
・感情表現による目標達成は赤ん坊時代の名残でしかありません。決して大人が使う方法ではないのです。しかし、幼少期に感情で人を動かすことに味をしめた人が、大人になっても過去の成功パターンを繰り返す場合があります。たとえば、夫の関心を引きつけるために嫉妬という感情を使う妻がいます。しかし、この嫉妬があまりに繰り返し利用されると、夫がそれを嫌になり、結果として妻のもとを去ってしまうことになるでしょう。これはまさに、幼少期の成功パターンが大人になってからはうまくいかなかった例と言えます。そうではなく、理性で相手を説得する方法こそが、大人の目標達成方法といえるでしょう。私たちは言葉を用いて理性的に話し合い、互いに利益がある結果を手にすることができます。相手の力を借りながら、自分も相手の力になる。力を合わせて共働することで、互いに目標を達成することができるのです。何も、泣いたり、わめいたり、嫉妬をして、感情で無理矢理人を動かすことだけが唯一の方法ではないのです。
・すべての悩みは対人関係に帰結します。たとえば「仕事がうまく進められない」「目標が達成できない」という悩みもまた、対人関係に行き着くのです。もしも、仕事がうまく進まず、目標を達成できなくても、上司や周囲の全員から「それでいいのですよ。まったく問題はありません」と言われれば、悩むことはないでしょう。つまり、それは仕事がうまく進まないことによる悩みではなく、上司や周囲の人から否定されるかもしれないという対人関係の悩みでしかないのです。
・あらゆる人生の課題は、対人関係に集約され、それはわずか3つに分類されるとアドラーは言いました。それは仕事の課題、交友の課題、愛の課題です。そして、後の方になるほど課題は難しくなると述べたのです。アドラーはこれを3つの課題と総称してライフタスク(人生の課題)と呼びました。
・本来結婚するということは、相手を誰よりも大切に思い、自分のこと以上に相手を大切にすることです。常に「自分が何を手にするか」「自分の要求をいかに押し通すか」と考えるのではなく、「相手に何を与えられるのか」「相手をいかに喜ばせることができるか」を考え、実行する。しかも、それをどちらか一方だけではなく、双方が共に実行する。それが結婚生活を幸福なものにする唯一の方法なのです。ですから、いずれかが「私は常に正しい。相手が間違っている」と思っている限り、うまくいきません。また「自分の方が上である。従ってレベルが低い相手を教育しなければならない」と思っている場合もまた、うまくいきません。それは平等ではないからです。また、支配は単に言葉で行われるとは限りません。物理的および社会的に力が弱いことの多い女性が男性を支配するために涙を流したり、わめいたり、病気を利用したりすることがあります。それもまた力による支配の一つです。当然ながらこのような関係もうまくいきません。あくまでも二人が平等であり、奪うことよりも与えることを大切にする。そうして初めて愛と結婚の課題は解決され、幸せが訪れるのです。愛と結婚の課題においては、男性と女性が平等であることが前提条件です。それが崩れている限り、二人は常に問題を抱え続けることになるでしょう。
・アドラーは家族関係、特に兄弟姉妹関係がライフスタイル(=性格)形成に大きな影響を与えると考えました。最初に生まれた第一子は親の愛を独占して育ちます。しかし第二子が生まれると、突如として独占状態を失い、親の愛を下の子供に奪われてしまいます。そこから兄弟間での「親の愛」を巡る奪い合いが始まります。第一子、中間子、末子それぞれが、それぞれの得意分野でアピールし、親の愛と関心を奪い合うのです。しかし、それぞれは相手が得意な分野(例えば勉強やスポーツなど)にはあえて参入しようとしません。そうではなく、独自な新しいジャンル(例えば芸術など)で兄弟に対する優越を示し、親に認めてもらおうと考えるのです。このように、子供のライフスタイル形成は、親子関係以上に兄弟関係が大きく影響するとアドラー心理学では考えます。そのため、家族布置と呼ばれる家系図や家族間の人間関係、さらには家族の雰囲気や家族で共有された価値などを調べることで本人の内面を分析していくのです。
・性格(=ライフスタイル)は人生の脚本であり地図です。人は幼少期10歳位までに完成させたこのシナリオと地図を使って、生涯にわたって同じ思考・感情・行動のパターンを取り続けるのです。カウンセラーがクライアントの精神的、身体的な苦しみを取り除くためには、まずは現在のライフスタイルを明確にし、それが歪んだものであるならば、正しいライフスタイルへと書き換えるナビゲーターとならなければなりません。アドラー派のカウンセラーは、クライアントのライフスタイル診断に際して、家族布置分析と幼少期の記憶である早期回想分析を最も重視します。家族布置分析では、幼少期に一緒に暮らした家族の年齢、職業、性格、身体的および頭脳的な優越性、社会的地位や職業などを明らかにします。また、それぞれの間での仲の良さ、悪さを図示します。そうして、両親や兄弟などがどのように本人に接していたかを推測し、それにより形成されたであろう本人のライフスタイル(自己概念、世界像、自己理想)を推理していきます。また早期回想分析も有効な手法です。クライアントが記憶している最も古い記憶もしくは最もビビッドな記憶を3~6個話してもらい、それを分析するのです。その際、記憶は曖昧でも、極端な話や作り話であっても問題ありません。修正や創造された記憶にも意味があるからです。これらによりクライアントの現在の性格が明らかにされるのです。
・「叱らずにどのように相手に分からせればいいのでしょうか?」この問いに対してアドラーは明確に答えています。「何も叱ったり罰を与えたり脅したりする必要はありません。相手に簡単な説明や親しみのある話し合いをするだけで十分です。信頼関係があれば、相手はそれを受け入れます」大切なのは信頼関係を築くことです。そうすれば、相手は私たちの説明や話し合いを受け入れることでしょう。その場合、私たちは相手の問題行動のすぐ後にその場で説明をしてはいけません。それは、言葉の表現が穏やかなだけで、実際は叱責になるからです。話し合いのふりをした叱責は教育効果がないのは、先に述べた通りです。できれば相手とは問題行動が起きた後、しばらく経って穏やかな雰囲気になったところで話し合いをしたいものです。「私は、あなたがこうしてくれたら嬉しいなぁ」「あなたがこのような行動を取ると、とても悲しくなるんだ」。そこで持たれる話し合いは、相手を支配したりコントロールしたりする言葉を使ってはなりません。自分がどう感じるかを伝えるだけにとどめたいものです。そして相手が自分の意思で行動を変えるのを待つのです。
・他人と比較されることにより、子供は自信を失い傷つきます。そして劣等感を肥大化させ、間違った方向で劣等感を補償しようと試みます。多くの場合、それは問題行動となります。つまり、親が子供を比較することにより、問題行動がなくなるのではなく、むしろ問題行動を増やしてしむことになるのです。そして、この問題は親子間に限ることではありません。先輩と後輩、上司と部下の間においても同じことが起きます。その場合も周囲の人と比較すべきではないのです。もし正しい例を示したいのであれば、本人の中にあるほんのわずかでもできていることを見つけ、それに気づかせることが大切です。たとえわずかであったとしても、できていることを示し、それを認め、さらに増やすよう要望するのです。比較をするのなら、過去の相手と現在の相手を比較することです。相手の「自己ベスト更新」をほめるのです。
・部下に苦労をかけまいと甘やかす上司のもとでは、部下は一人では何もできないようになることでしょう。教育とは相手が一人で課題を解決できるようにすることです。決して相手を甘やかすことではありません。甘やかしは相手をパラサイト=寄生動物に仕立て上げてしまいます。甘やかされた相手は自力で問題を解決しようという意欲を失います。その結果、一人で課題を解決する能力も育ちません。ですから、親は子供に一人で課題を解決させる機会を与えなければなりません。親がすべきは子供の課題を肩代わりすることではなく、子供が一人で課題を解決できるよう勇気づけることだけなのです。
・アドラー及び彼の高弟ルドルフ・ドライカースらは「共同体感覚」を持つことの大切さを繰り返し述べました。なぜならば、それこそが悩みから解放され、幸せになる唯一の道だからです。そして共同体感覚とは「他者に対する貢献」により形成されると言いました。社会の中で居場所がないことは大変悲しいことです。しかし、泣き言を言っても誰も助けてはくれません。そうではなく自ら居場所をつくるのです。そのためには「他者へ貢献する」ことから始めなくてはなりません。そのことにより他者から感謝され、そして他者からもお返しとして支援され、社会の中に居場所をつくっていくのです。
・「他者は私を援助してくれる」「私は他者に貢献できる」「私は仲間の一員である」この感覚がすべての困難からあなたを解決するだろう。
・感謝されれば誰でも嬉しいものです。そして自分が行った貢献に対して感謝が帰ってきたときに初めて人は自己効力感が満たされ、自己信頼を感じます。同時に相手に対しても信頼感を持つ。すなわち他者信頼も芽生えるのです。「感謝する」のと「ほめる」のは違います。例えば子供が片づけのお手伝いをした時に「ありがとう。とっても助かるよ」と言うのと「偉いね。よくできたね」と言うのでは、受け取る際の印象が違うことがおわかりでしょう。「感謝」は横から目線。「ほめる」は上から目線です。現に、新入社員が社長に対して「よくできたね」とほめることはしないでしょう。それをされたら社長はむっとするはずです。なぜならば「ほめる」は上から目線であり、なおかつ相手に対して「期待していない」ことが前提だからです。上から目線で「ほめられる」よりも横から目線で「感謝される」ことが自己信頼と他者信頼にははるかに有効です。貢献と感謝の体験を増やすことが共同体感覚を養う上で最も大切なことなのです。
・神経症、不眠症で悩む患者が問いました。「どうすればこの苦しみから抜け出すことができるでしょうか?」アドラーは答えました。「他の人を喜ばせることです。「自分に何ができるだろうか?どうすれば他の人に喜んでもらえるだろうか?」と考え、それを行動に移すことです。そうすれば、悲しい思いや不眠はなくなり、すべてが解決するでしょう」解説者の私はこれを実践するために手帳を活用しています。毎日手帳を眺めながら、周囲の人に喜んでもらうためにできることをリストアップし、それを一つずつ実践するように心がけているのです。手帳には周囲の人の分類が書かれています。「家族」「友人」「同僚」「顧客」。そして毎朝思いついた「相手を喜ばせる方法」をリストアップしていき、できる範囲からそれを実行しているのです。相手を喜ばせ、感謝の言葉をもらうほど幸福感を感じることはありません。そうすれば社会の中に居場所を見つけることができ、共同体感覚は高まっていくでしょう。また小さな徳を積むことも有効です。例えば道に落ちている空き缶を拾って捨てる。お年寄りに座席を譲る。エレベーターで他の人に先を譲る。楽しい会話の席で自分ばかりがしゃべらずに、周囲の話に相づちを打つ役割にまわる、など。自分よりも相手を大切にすると、共同体感覚は高まります。そして幸福へとまた一歩近づくのです。
・判断に迷った時は、より大きな集団の利益を優先することだ。自分よりも仲間たち。仲間たちよりも社会全体。そうすれば判断を間違うことはないだろう。
・大切なことは「共感」することだ。「共感」とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることである。
・間違いを指摘せず、原因究明という吊し上げもせず、「こんなやり方はどうかな?」と提案する。それこそが、相手を育てる有効な方法である。
良かった本まとめ(2017年上半期)
<今日の独り言>
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「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」という本は、無名ながらも多大な功績を残し「時代に一世紀先駆けている」と言われたアドラー心理学のアドラーやその弟子、孫弟子たちの言葉を分かりやすく「超訳」したものです。
私は「嫌われる勇気」を始めとして色んなアドラー心理学本を読みましたが、本書はその神髄を100に分けて分かりやすく解説されていて、どれも勇気づけられ、人生に役立つ内容と感じています♪
これらを参考により良い人生にしたいですね。
特に、周りの人が喜んでもらえるよう考え、実行することは大切ですね♪
「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」という本はとてもオススメですね!
以下はその内容の一部です♪
・たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めることができる。
・遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない。その材料を使って住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、あなた自身が決めればいい。
・フロイトは、人間は過去に蓄積された「性的な力」(リビドー)に突き動かされるのだ、と提唱しました。つまり、人は過去により規定され、自分で未来の自分自身をコントロールすることはできないと言ったのです。これに真っ向から反論を唱えたのがアドラーです。アドラーは遺伝や育て方などの「原因」により行動が規定されるものではないと考えました。そして、人は未来への「目的」により行動を自分で決めているのだ。だから自分の意思でいつでも自分を変えるいことができると「目的論」と「自己決定性」を唱えました。その考え方は現代心理学の常識になり、フロイトの「原因論」は過去の遺物になっているのです。ところが、私たちの日常生活では、いまだに過去の遺物である「原因論」が幅を利かせています。しかし、原因は「解説」にはなりますが、何の「解決」にもなりません。過去を変えることはできないからです。そうではなく自分の意思で未来の「目的」を変え、行動を選び直せばいいのです。アドラー心理学で考えれば、いくらでも問題の「解決」は可能なのです。
・解説者の私が座右の銘としている言葉があります。「過去と他人は変えられない。しかし、今ここから始まる未来と自分は変えられる」。アドラーを源流とする人間性心理学に属するエリック・バーンの言葉です。私はこの言葉のお陰で人生が変わりました。この考え方を活かす上で大切なのは「本当はどちらが悪いのか?」という「原因」を追求することはムダだ、ということです。仕事や家庭において裁判官は不要です。「どちらが悪かったのか」に時間や労力を注ぎ込むくらいならば、その分のエネルギーを未来の解決に費やす方がはるかに生産的です。ですから、実際には上司や部下、配偶者などに非があったとしても「今、自分にできること」だけを見ればいい。もしも相手に気づいてほしいことがあるならば、気づかない相手を責めるのではなく、自分の伝え方を変えるのです。自分の言葉が説得力を持つように、相手から信頼される努力をすべきなのです。健全な人は、たとえ100%他人が悪い、と思えるような状況でも、「今、自分にできること」だけを見てエネルギーを注ぎ込みます。不健全な人は過去を愚痴り、他人の悪口を言い、自分が被害者だと訴えて同情を求め、自らは何も行動を起こしません。どちらの人生が幸福になるか、言わずもがなではないでしょうか。
・劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。
・感情表現による目標達成は赤ん坊時代の名残でしかありません。決して大人が使う方法ではないのです。しかし、幼少期に感情で人を動かすことに味をしめた人が、大人になっても過去の成功パターンを繰り返す場合があります。たとえば、夫の関心を引きつけるために嫉妬という感情を使う妻がいます。しかし、この嫉妬があまりに繰り返し利用されると、夫がそれを嫌になり、結果として妻のもとを去ってしまうことになるでしょう。これはまさに、幼少期の成功パターンが大人になってからはうまくいかなかった例と言えます。そうではなく、理性で相手を説得する方法こそが、大人の目標達成方法といえるでしょう。私たちは言葉を用いて理性的に話し合い、互いに利益がある結果を手にすることができます。相手の力を借りながら、自分も相手の力になる。力を合わせて共働することで、互いに目標を達成することができるのです。何も、泣いたり、わめいたり、嫉妬をして、感情で無理矢理人を動かすことだけが唯一の方法ではないのです。
・すべての悩みは対人関係に帰結します。たとえば「仕事がうまく進められない」「目標が達成できない」という悩みもまた、対人関係に行き着くのです。もしも、仕事がうまく進まず、目標を達成できなくても、上司や周囲の全員から「それでいいのですよ。まったく問題はありません」と言われれば、悩むことはないでしょう。つまり、それは仕事がうまく進まないことによる悩みではなく、上司や周囲の人から否定されるかもしれないという対人関係の悩みでしかないのです。
・あらゆる人生の課題は、対人関係に集約され、それはわずか3つに分類されるとアドラーは言いました。それは仕事の課題、交友の課題、愛の課題です。そして、後の方になるほど課題は難しくなると述べたのです。アドラーはこれを3つの課題と総称してライフタスク(人生の課題)と呼びました。
・本来結婚するということは、相手を誰よりも大切に思い、自分のこと以上に相手を大切にすることです。常に「自分が何を手にするか」「自分の要求をいかに押し通すか」と考えるのではなく、「相手に何を与えられるのか」「相手をいかに喜ばせることができるか」を考え、実行する。しかも、それをどちらか一方だけではなく、双方が共に実行する。それが結婚生活を幸福なものにする唯一の方法なのです。ですから、いずれかが「私は常に正しい。相手が間違っている」と思っている限り、うまくいきません。また「自分の方が上である。従ってレベルが低い相手を教育しなければならない」と思っている場合もまた、うまくいきません。それは平等ではないからです。また、支配は単に言葉で行われるとは限りません。物理的および社会的に力が弱いことの多い女性が男性を支配するために涙を流したり、わめいたり、病気を利用したりすることがあります。それもまた力による支配の一つです。当然ながらこのような関係もうまくいきません。あくまでも二人が平等であり、奪うことよりも与えることを大切にする。そうして初めて愛と結婚の課題は解決され、幸せが訪れるのです。愛と結婚の課題においては、男性と女性が平等であることが前提条件です。それが崩れている限り、二人は常に問題を抱え続けることになるでしょう。
・アドラーは家族関係、特に兄弟姉妹関係がライフスタイル(=性格)形成に大きな影響を与えると考えました。最初に生まれた第一子は親の愛を独占して育ちます。しかし第二子が生まれると、突如として独占状態を失い、親の愛を下の子供に奪われてしまいます。そこから兄弟間での「親の愛」を巡る奪い合いが始まります。第一子、中間子、末子それぞれが、それぞれの得意分野でアピールし、親の愛と関心を奪い合うのです。しかし、それぞれは相手が得意な分野(例えば勉強やスポーツなど)にはあえて参入しようとしません。そうではなく、独自な新しいジャンル(例えば芸術など)で兄弟に対する優越を示し、親に認めてもらおうと考えるのです。このように、子供のライフスタイル形成は、親子関係以上に兄弟関係が大きく影響するとアドラー心理学では考えます。そのため、家族布置と呼ばれる家系図や家族間の人間関係、さらには家族の雰囲気や家族で共有された価値などを調べることで本人の内面を分析していくのです。
・性格(=ライフスタイル)は人生の脚本であり地図です。人は幼少期10歳位までに完成させたこのシナリオと地図を使って、生涯にわたって同じ思考・感情・行動のパターンを取り続けるのです。カウンセラーがクライアントの精神的、身体的な苦しみを取り除くためには、まずは現在のライフスタイルを明確にし、それが歪んだものであるならば、正しいライフスタイルへと書き換えるナビゲーターとならなければなりません。アドラー派のカウンセラーは、クライアントのライフスタイル診断に際して、家族布置分析と幼少期の記憶である早期回想分析を最も重視します。家族布置分析では、幼少期に一緒に暮らした家族の年齢、職業、性格、身体的および頭脳的な優越性、社会的地位や職業などを明らかにします。また、それぞれの間での仲の良さ、悪さを図示します。そうして、両親や兄弟などがどのように本人に接していたかを推測し、それにより形成されたであろう本人のライフスタイル(自己概念、世界像、自己理想)を推理していきます。また早期回想分析も有効な手法です。クライアントが記憶している最も古い記憶もしくは最もビビッドな記憶を3~6個話してもらい、それを分析するのです。その際、記憶は曖昧でも、極端な話や作り話であっても問題ありません。修正や創造された記憶にも意味があるからです。これらによりクライアントの現在の性格が明らかにされるのです。
・「叱らずにどのように相手に分からせればいいのでしょうか?」この問いに対してアドラーは明確に答えています。「何も叱ったり罰を与えたり脅したりする必要はありません。相手に簡単な説明や親しみのある話し合いをするだけで十分です。信頼関係があれば、相手はそれを受け入れます」大切なのは信頼関係を築くことです。そうすれば、相手は私たちの説明や話し合いを受け入れることでしょう。その場合、私たちは相手の問題行動のすぐ後にその場で説明をしてはいけません。それは、言葉の表現が穏やかなだけで、実際は叱責になるからです。話し合いのふりをした叱責は教育効果がないのは、先に述べた通りです。できれば相手とは問題行動が起きた後、しばらく経って穏やかな雰囲気になったところで話し合いをしたいものです。「私は、あなたがこうしてくれたら嬉しいなぁ」「あなたがこのような行動を取ると、とても悲しくなるんだ」。そこで持たれる話し合いは、相手を支配したりコントロールしたりする言葉を使ってはなりません。自分がどう感じるかを伝えるだけにとどめたいものです。そして相手が自分の意思で行動を変えるのを待つのです。
・他人と比較されることにより、子供は自信を失い傷つきます。そして劣等感を肥大化させ、間違った方向で劣等感を補償しようと試みます。多くの場合、それは問題行動となります。つまり、親が子供を比較することにより、問題行動がなくなるのではなく、むしろ問題行動を増やしてしむことになるのです。そして、この問題は親子間に限ることではありません。先輩と後輩、上司と部下の間においても同じことが起きます。その場合も周囲の人と比較すべきではないのです。もし正しい例を示したいのであれば、本人の中にあるほんのわずかでもできていることを見つけ、それに気づかせることが大切です。たとえわずかであったとしても、できていることを示し、それを認め、さらに増やすよう要望するのです。比較をするのなら、過去の相手と現在の相手を比較することです。相手の「自己ベスト更新」をほめるのです。
・部下に苦労をかけまいと甘やかす上司のもとでは、部下は一人では何もできないようになることでしょう。教育とは相手が一人で課題を解決できるようにすることです。決して相手を甘やかすことではありません。甘やかしは相手をパラサイト=寄生動物に仕立て上げてしまいます。甘やかされた相手は自力で問題を解決しようという意欲を失います。その結果、一人で課題を解決する能力も育ちません。ですから、親は子供に一人で課題を解決させる機会を与えなければなりません。親がすべきは子供の課題を肩代わりすることではなく、子供が一人で課題を解決できるよう勇気づけることだけなのです。
・アドラー及び彼の高弟ルドルフ・ドライカースらは「共同体感覚」を持つことの大切さを繰り返し述べました。なぜならば、それこそが悩みから解放され、幸せになる唯一の道だからです。そして共同体感覚とは「他者に対する貢献」により形成されると言いました。社会の中で居場所がないことは大変悲しいことです。しかし、泣き言を言っても誰も助けてはくれません。そうではなく自ら居場所をつくるのです。そのためには「他者へ貢献する」ことから始めなくてはなりません。そのことにより他者から感謝され、そして他者からもお返しとして支援され、社会の中に居場所をつくっていくのです。
・「他者は私を援助してくれる」「私は他者に貢献できる」「私は仲間の一員である」この感覚がすべての困難からあなたを解決するだろう。
・感謝されれば誰でも嬉しいものです。そして自分が行った貢献に対して感謝が帰ってきたときに初めて人は自己効力感が満たされ、自己信頼を感じます。同時に相手に対しても信頼感を持つ。すなわち他者信頼も芽生えるのです。「感謝する」のと「ほめる」のは違います。例えば子供が片づけのお手伝いをした時に「ありがとう。とっても助かるよ」と言うのと「偉いね。よくできたね」と言うのでは、受け取る際の印象が違うことがおわかりでしょう。「感謝」は横から目線。「ほめる」は上から目線です。現に、新入社員が社長に対して「よくできたね」とほめることはしないでしょう。それをされたら社長はむっとするはずです。なぜならば「ほめる」は上から目線であり、なおかつ相手に対して「期待していない」ことが前提だからです。上から目線で「ほめられる」よりも横から目線で「感謝される」ことが自己信頼と他者信頼にははるかに有効です。貢献と感謝の体験を増やすことが共同体感覚を養う上で最も大切なことなのです。
・神経症、不眠症で悩む患者が問いました。「どうすればこの苦しみから抜け出すことができるでしょうか?」アドラーは答えました。「他の人を喜ばせることです。「自分に何ができるだろうか?どうすれば他の人に喜んでもらえるだろうか?」と考え、それを行動に移すことです。そうすれば、悲しい思いや不眠はなくなり、すべてが解決するでしょう」解説者の私はこれを実践するために手帳を活用しています。毎日手帳を眺めながら、周囲の人に喜んでもらうためにできることをリストアップし、それを一つずつ実践するように心がけているのです。手帳には周囲の人の分類が書かれています。「家族」「友人」「同僚」「顧客」。そして毎朝思いついた「相手を喜ばせる方法」をリストアップしていき、できる範囲からそれを実行しているのです。相手を喜ばせ、感謝の言葉をもらうほど幸福感を感じることはありません。そうすれば社会の中に居場所を見つけることができ、共同体感覚は高まっていくでしょう。また小さな徳を積むことも有効です。例えば道に落ちている空き缶を拾って捨てる。お年寄りに座席を譲る。エレベーターで他の人に先を譲る。楽しい会話の席で自分ばかりがしゃべらずに、周囲の話に相づちを打つ役割にまわる、など。自分よりも相手を大切にすると、共同体感覚は高まります。そして幸福へとまた一歩近づくのです。
・判断に迷った時は、より大きな集団の利益を優先することだ。自分よりも仲間たち。仲間たちよりも社会全体。そうすれば判断を間違うことはないだろう。
・大切なことは「共感」することだ。「共感」とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることである。
・間違いを指摘せず、原因究明という吊し上げもせず、「こんなやり方はどうかな?」と提案する。それこそが、相手を育てる有効な方法である。
良かった本まとめ(2017年上半期)
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