平日の16時過ぎに愛媛県今治市の今治城へ一人で行ってきました♪
場所はJR今治駅から海方向へ徒歩約15分〜20分ほどでしょうか。
今治城は、瀬戸内海に面した砂丘地帯に、関ヶ原の戦いの戦功で、伊予半国20万国を拝領した築城の名手として名高い藤堂高虎によって約5年の歳月をかけて慶長12年(1607年)にほぼ完成した海城となります♪
その後、藤堂高虎の養子が在城し、その後は徳川家康の甥にあたる松平定房が城主となり、そのまま松平家が明治維新まで存続したようです。
明治時代になって、城の建物は全て解体されましたが、城の中心部の石垣と内堀はほぼ完全に残り、現在では天守を始めとして櫓・城門などの再建が進み、昔の雄大な城郭の姿を見せているようです。
確かに私が行ってみると、濠の中で、天守が想像以上の雄大さに驚き感動しましたね!
このブログで紹介しましたが、この直前に訪れた丸亀城の江戸時代からの残存天守がその残存の中で一番小さいものだったためでもあります。
↑今治城
↑石垣や濠
それにしても青い空の下、今治城がかなり美しく立派です!
歩いて城内に入っていきます♪
↑城内へ進む
↑天守
↑門
↑天守
↑櫓入口
↑櫓を通る
天守にどんどん近付きます♪
↑天守
↑天守入口
そして今治城沿革の説明がありましたね♪
↑今治城沿革
そして天守入口へ向かいます。
↑天守入口
隣は立派な吹揚神社となっていて創建150周年のようでした。
↑吹揚神社
↑吹揚神社
そして520円を支払って天守閣に登ります♪
展示物は充実していましたが撮影禁止だったので紹介できないのは残念です。
↑天守の案内
天守の6階展望台に進むと、青い瀬戸内海や立派な来島海峡大橋等があるしまなみ海道、また山側には四国一高い石鎚山なども見え、素晴らしい景色が広がっていました♪
↑東の案内
↑実際の東の瀬戸内海
↑しまなみ海道方面
↑瀬戸内海
↑南の案内
↑実際の石槌山等
↑西の案内
↑実際の西方面
↑北の案内
↑実際の北方面のしまなみ海道
↑しまなみ海道拡大
しばらくゆっくり素晴らしい景色を堪能しましたね♪
青い空の下、素晴らしい景色です♪
下の方には広場や神社となっていましたね♪
美しい木々の緑に囲まれています。
↑下の方
↑神社
そして階段を降りて周りを散策しました♪
↑階段
下から見ると、改めて今治城は素晴らしい天守です♪
↑改めて今治城
それから馬に乗った藤堂高虎公の銅像もありましたね♪
今治城をバックに映えます♪
↑藤堂高虎公の銅像
↑藤堂高虎公の銅像
そしてもう一つの門から出ました♪
↑門
↑藤堂高虎公の銅像と今治城
そして今治城案内図もカラーでありました。
↑今治城案内図
それから城を出て振り返ると、石垣の中で大きな勘兵衛石がありましたね!
城主の権威を示すために、目立つ場所に巨石が置かれるようです。
今治城の築城奉行と伝わる渡辺勘兵衛にちなんだもので、江戸時代には勘兵衛石と呼ばれていたようです。
重さが16.5tもあるとは素晴らしいです!
↑勘兵衛石
↑勘兵衛石の説明
↑勘兵衛石
そしてこの鉄御門(はがねごもん)の説明もありましたね。
↑鉄御門の説明
↑勘兵衛石
↑勘兵衛石方面
それから城の入口には「日本最大の海賊の本拠地:芸予諸島」の説明もありましたね♪
この芸予諸島には42もの文化財があるようで、翌日にはこのブログでも紹介しますが、これら芸予諸島のしまなみ海道を、自転車で約80kmのサイクリングを楽しみました♪
↑「日本最大の海賊の本拠地:芸予諸島」の説明
改めて今治城が濠の中にあり素晴らしいです♪
↑今治城
↑今治城
今治城は、濠の中にある想像以上に素晴らしいお城で、天守閣からの眺めも素晴らしく、また場内展示も充実していて、とてもオススメです!
念願の香川県丸亀市にある国指定重要文化財の丸亀城へ行って来ました♪
天守は四国内で最も古く万治3年(1660年)に完成したもので、しかもそれがまだ現存している貴重な3層3階の日本一小さな木造天守となります♪
丸亀城の場所はJR丸亀駅から近く、私の場合は駅前でレンタル自転車を6時間200円で借りて、5分も掛からなかったと思います♪
前回このブログで紹介した通り、そのレンタル自転車で、「うちわの港ミュージアム」を見学した後に、丸亀城へ向かいました♪
この日は天気が良く、青い空や白い雲の下で、丸亀城は新緑の緑が広がり、上の方には石垣と小さな天守が見えていました♪
かなり美しいです!
↑丸亀城
城に近づくと、濠やその上の石垣も素晴らしかったですね♪
↑濠や石垣
すると地図があり、さすが四国で、近くにはお遍路の88ヶ所巡りの76番札所の金倉寺、77番札所の道隆寺、78番札所の郷照寺もありますね♪
高速道路もあり、中津万象園や宇多津のゴールドタワーは気になります♪
↑地図
そして城内に入ります♪
濠や門も美しいです♪
↑濠
↑城門
そして櫓を通って行きます♪
↑櫓
↑櫓
そして坂がかなりきつくなり、皆さん停めているので、看板の辺りで自転車を置きました。
看板に向かって右側に、丸亀市立資料館が入館無料であると紹介があるので城を左回りで天守に向かい、その後で丸亀市立資料館へ行くことにします♪
↑丸亀市立資料館の紹介
そして丸亀城の歴史や年表があるのでそれらを読んで勉強します♪
↑丸亀城の歴史や年表
また丸亀城全体の分かりやすい地図もありましたね♪
左回りで天守へ行け、右側に丸亀市立資料館があります。
↑地図
10分ほど急坂を歩いて天守を目指しました♪
その坂道は、周りは新緑の緑であふれとても美しかったです!
これは素晴らしかったですね!
↑緑あふれる
そして「石垣の美」という看板があり、確かに素晴らしい石垣でした!
しばらく見とれて、写真も撮ります♪
これは素晴らしい石垣です♪
↑石垣の美
↑石垣
↑石垣
↑石垣
↑石垣
↑石垣
それから新緑の中を進みます♪
石垣と木々の緑もなかなか良いですね♪
清々しい気持ちになりました♪
↑新緑と石垣
そして二の丸に到着しますが、ここからの景色も素晴らしかったですね♪
瀬戸内海の青い海と、そして長く立派な瀬戸大橋も美しく見えていましたね!
素晴らしいです!
↑二の丸からの景色
↑瀬戸内海と瀬戸大橋方面
↑景色
↑瀬戸大橋拡大
そして石垣と石垣の間を通って本丸や天守に向かいます♪
↑天守に向かう
↑天守がちらり
天守は白く美しいです!
確かに天守はそんなに大きくはありません。
↑石垣と天守
↑天守
↑天守
↑天守
そしてここからも美しい城下町の景色が広がっていましたね♪
それにしてもこの日は天気が良く、青い空や白い雲の下で天守が映えます♪
↑景色
↑景色
↑天守
それから天守入館の案内やお知らせを読んで200円を支払って入城します♪
↑天守入館の案内
↑お知らせ
国指定重要文化財なので、落書きは処罰されますし、もちろん火気厳禁と書かれていましたね。
靴を脱いでスリッパに履き替え、まずは壁にある資料を読みます。
↑急階段
まずは、築城当時の年号が入ったこの天守の木札が、昭和23年〜25年の解体修理の際に見つかった旨が書かれていましたね。
万治3年(1660年)にこの天守は完成したようです。
↑木札の説明
また丸亀城の木型模型があり、江戸時代には城の築城や改修に際し、木図や紙図を徳川幕府に提出することが義務付けられていて、その写しのようです。
↑丸亀城の木型模型
それから生駒氏・山崎氏・京極氏の家系図があり微妙につながっていることが判ります。
↑家系図
そして京極家の詳しい説明もありあした。
↑京極家の説明
↑京極家をめぐる家系
それから、生駒家・山崎家の説明もありましたね。
↑生駒家の説明
↑山崎家の説明
そして、もちろんこの丸亀城は日本百名城にも選ばれていて、その認定証も飾られていました♪
↑日本百名城の認定証
そして丸亀市立資料館への詳しい地図もありましたね。
丸亀市立資料館へはぐるっと周って行けそうです。
↑丸亀市立資料館への道
そして平成30年10月9日の丸亀城石垣崩落状況の写真があり、かなり痛々しいです。
↑平成30年10月9日の丸亀城石垣崩落状況の写真
そして急階段を上がっていきます。
↑急階段
2階フロアは各地の城の写真がありましたね。
↑2階フロア
そして3階へ上がります。
天守の3階からは素晴らしい景色が広がっていましたね♪
しばらくゆっくりしました♪
↑3階から瀬戸内海方面
太鼓壁の説明があり、壁を厚く塗り、防御を固めていたことが分かるようです。
↑太鼓壁の説明
それにしても青い空や白い雲の下、景色が美しいです♪
↑景色
それから大砲狭間の説明もありましたね。
攻撃された際には、打ち砕いて使用する隠し狭間とはなるほどで、低い位置にあるのは大砲用とのことでしたね。
↑大砲狭間
そして一階に戻り、係員に石垣崩落の話を伺うことができたのは良かったです。
長年の雨水で石垣の間が少しずつ広がり、崩壊が懸念されて多少補強していましたが、ついに崩壊してしまったようです。
現在、その復旧工事が行われていますが、かなり復旧には時間がかかるようです。
外に出ると、改めて丸亀城天守などの説明がありました。
↑丸亀城天守等の説明
そして城を中心に右回りで丸亀市立資料館へ向かいます。
途中、石垣修理のため、一部の道が立入禁止となっていましたね。
↑立入禁止
美しい石垣を見ながら進みます。
↑美しい石垣
美しい山も見えます。
↑美しい山
↑石垣と緑の木々
そして石垣修理工事が、大きなクレーンもあり、大規模に行われていましたね。
実際に見ると、石垣は広範囲に渡ってかなり崩壊していて驚きました。
↑石垣修理工事
↑石垣修理工事
すると、石垣復旧PR館があり、入ってみると詳しい説明もありました。
↑石垣復旧PR館
かなり詳しくがあり素晴らしいです♪
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
↑石垣復旧の説明資料
そして運び出された石垣の石を見ながら、丸亀市立資料館を目指します。
それぞれの石にはナンバリングされているようで、この番号を基に復旧するのでしょうか。
↑運び出された石垣の石
↑石垣修理工事
改めて石垣修理工事は、しっかり足場もでき着々と進んでいるようでした。
↑石垣復旧PR館
そして1番大きい石や2番目に大きい石などが並べら得ていましたね。
これらはかなり重そうです。
↑1番目と2番目に大きい石
石垣修理工事は鹿島が行っているようでしたね。
さすがです!
↑石垣修理工事
↑石垣修理工事
そして丸亀市立資料館に13:30頃に到着しました。
↑丸亀市立資料館
この丸亀市立資料館は、昭和47年(1972年)10月に開館した資料館で、地域に関わる考古・歴史・美術・民俗資料などを収集・保管・調査し、系統的に展示・公開するなど、郷土の遺産を次世代に伝える活動をしているとのことです。
1階が企画展示室ですが、今回は開催されておらず、2階の常設展示室に行ってみました。
入館無料となります。
2階の常設展示室は、特に丸亀城の歴史や、丸亀城主だった生駒氏・山崎氏・京極氏に関する資料を中心に丸亀の近世の歴史を紹介していましたね。
↑常設展示室ギャラリー入口
↑丸亀城年表
↑丸亀城の歴史
↑展示室
↑展示室
特に京極氏の領地の変遷が興味深かったですね。
近江や若狭、この讃岐だけでなく、播磨や出雲にも移っています。
出雲の松江時は26万石もあったようですが、讃岐の丸亀で6万石で、明治維新まで続いたのは凄いことだと思います。
↑京極氏の領地の変遷
そして城の入口に戻りますが、途中からは青い空の下、木々の緑あふれる上に天守や石垣が美しく映え、とても素晴らしかったですね♪
↑丸亀城
丸亀城は緑あふれる中、天守や石垣が美しいだけでなく、天守からの景色も素晴らしく、また石垣復旧PR館や丸亀市立資料館の資料も充実していて、とてもオススメです!