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鹿屋航空基地史料館(鹿児島県 鹿屋市)は史料が充実しとてもオススメ!

2024年11月27日 01時00分00秒 | イベント・外出

 鹿児島県鹿屋市にある鹿屋航空基地史料館へ土曜の15:40位に車で行って来ました♪

↑案内図

 入場無料で、事前予約は不要でした。

 この鹿屋航空基地史料館は、昭和11年(1936年)に海軍鹿屋航空隊が開隊して以来、現在の海上自衛隊鹿屋航空基地に至るまでの豊富な史料が展示され、特に第二次世界大戦時の史料やゼロ戦の実機の展示、戦後の海上自衛隊による災害派遣や海外派遣任務、そして屋外には航空機の実機が多数展示され、かなり充実しています!
 
 閉館が17時なのであまり時間がなく、駆け足で主に以下を見学しました♪

・屋外で戦後の輸送機や練習機、ヘリコプターの実物展示
・屋外で旧日本海軍の魚雷3種
・屋外で二式大艇(唯一の残存機)
・空母赤城の模型
・真珠湾攻撃の詳細解説(鹿児島での真珠湾を模した訓練模様含む)
・鹿屋での海軍工廠(軍事工場)
・鹿屋への米軍空襲
・後に作家となった鹿屋での海軍報道班員
・鹿屋での第5航空艦隊司令部壕
・特攻隊員と市民の交流
・特攻隊員となり出撃するも不時着し帰還した俳優の西村晃氏
・掩体壕
・日本海軍の軌跡
・日露戦争での日本海海戦
・江田島海軍兵学校
・ゼロ戦の復元展示
・日本の航空母艦
・海軍航空隊の発展
・P-3Cなど対潜哨戒機
・ジプチ共和国での活動(ソマリア沖、アデン湾含む)
・東日本大震災での活動
・今日は何の日?

 もっと時間に余裕を持って、じっくり見学したかったですね。
 実際には上記以外にもたくさんの史料がありました。

 まずは以下の通り屋外展示を見学しました!

↑屋外での航空機の実機展示

↑屋外での航空機の実機展示

↑屋外での航空機の実機展示

↑屋外での航空機の実機展示

↑T-34Aメンターの解説

 魚雷の展示があるのには驚きましたね。

↑魚雷やエンジンの展示

↑魚雷の解説

↑実際の魚雷展示

↑実際の魚雷展示
 実際には酸素魚雷ではなかったのは残念でした。
 意外とスクリューは小さかったですね。

↑US-1A(おおとり)救難飛行艇

↑US-1A(おおとり)救難飛行艇の解説

 救難飛行艇はさすが巨大で、これが救援に来るとかなり安心感がありますね。
 後述の二式大艇はこれよりも大きく感じ、当時の二式大艇は凄かったんだなぁとも思いました。

↑史料館

↑総合案内

 屋内展示入口では受付をし、近くの広い部屋で5分ほどの解説ビデオを観れたのは良かったです♪
 遅い時間だったので貸切でした!

 そして航空母艦「赤城」の説明がありました。

↑空母赤城の模型

↑空母赤城の説明

↑空母赤城の説明

 赤城は模型ながら巨大さがよく分かりましたね。
 また速力が31.2ノットもあったとは高速です。

 それからかなり戦果があったハワイの真珠湾攻撃の解説がありました。

↑真珠湾攻撃の解説

↑真珠湾攻撃部隊編成

 特に鹿屋会談の解説には興味深かったですね。
 実際には昭和16年2月に真珠湾攻撃の検討が始まり、12月の攻撃に至ったようです。

↑鹿屋会談(日米開戦のための秘密会議)

↑鹿屋会談の内容

 当時は真珠湾に似た鹿児島の地形を利用して猛訓練されたようです。

↑真珠湾攻撃のための鹿児島基地訓練地要図

 真珠湾は水深が12mしかなく、通常の魚雷では地面に突き刺さって利用できなかったためギリギリまで改良され、現在の北方領土の単冠湾へ向かう船上で魚雷を改修したようです。(ちなみに単冠湾へ集合し、そこから艦隊はハワイへ向かいまいした。)

↑真珠湾攻撃に改良された九一式改造魚雷図

↑その魚雷改造の説明

↑当時の鹿児島湾での写真

↑当時の訓練詳細説明

↑空母赤城からハワイへ出撃する97式艦上攻撃機

 それから鹿屋の海軍工廠の解説がありましたね。
 学徒動員等で、最盛期は1万人以上も働いていたとは驚きです。
 特攻兵器「桜花」は鹿屋でも製造されたとのことです。

↑鹿屋での海軍工廠(軍事工場)

 戦争末期には、鹿屋飛行場等も次々と爆撃されたようです。

↑鹿屋への米軍空襲の記事

 そして米軍の戦略爆撃機B29や、B29搭乗のクリス大尉のタコ爆弾による撃墜の証言もありました。
 タコ爆弾とは海軍の三号爆弾で、黄燐等を利用したものですね。

↑クリス大尉の証言

↑B29

↑撃墜されたB29

↑鹿屋空襲

 それから後に作家となった鹿屋での海軍報道班員の解説があり、川端康成や山岡荘八も鹿屋に在籍したんですね。

↑川端康成の説明

↑山岡荘八の説明

 そして鹿屋での第5航空艦隊司令部壕の解説がありました。
 戦争末期の昭和20年1月頃から突貫工事で地下防空壕が造られ、作戦電話室、電信室、暗号室、参謀室等があったようです。

↑鹿屋での第5航空艦隊司令部壕の解説

↑海軍司令部壕の写真など

 また近くの高等女学校生も通信隊の仕事を支えたようです。

↑高等女学校学徒通信隊

 それから特攻隊員と、市民の交流もあったようです。

↑特攻隊員と市民の交流

 そして、特攻隊員となり出撃するも不時着し帰還した俳優の西村晃氏の説明もありましたね。

↑俳優の西村晃氏

↑海軍少尉時代の西村晃氏

 それから航空機を隠した掩体壕(えんたいごう)の説明もありましたね。
 ただ、当時の陸海軍では掩体壕という用語は使用していなかったとは驚きです。

↑掩体壕の全体説明

↑掩体壕の写真

↑掩体壕の説明

 そして日本海軍の軌跡の説明がありました。

↑日本海軍の軌跡

 日露戦争時のロシアのバルチック艦隊に完勝した日本海海戦の説明もありましたね。

↑日露戦争時の説明

↑日露戦争での日本海海戦の解説

 それから広島の江田島海軍兵学校の説明もありました。

↑江田島海軍兵学校

 そしてゼロ戦展示のフロアに進みますが、ゼロ戦はかなり勇壮で目立ちます!

↑ゼロ戦の復元展示

 機銃の説明もあり、同じ20mm機銃でも型式により変化があるようです。

↑ゼロ戦52丙型の13mm機銃と20mm機銃

↑ゼロ戦21型20mm機銃

 それから、この錦江湾から回収されたこのゼロ戦の復元等についての解説がありました。

↑ゼロ戦の復元

↑ゼロ戦の解説

↑ゼロ戦のエンジン

↑後ろからゼロ戦

 そして日本の航空母艦の説明があり、世界で最初の航空母艦「鳳翔」の模型もありましたね。

↑鳳翔

↑鳳翔の解説

↑旧日本海軍の全航空母艦の説明

 また海軍航空隊の発展の説明もありました。

↑海軍航空隊の発展

 そして昭和19年にドイツから持ち帰ったロケット戦闘機の資料を基に戦争末期に開発された局地戦闘機「秋水」の説明もありましたね。

↑ロケット戦闘機「秋水」の説明

↑開発歴史

 それから、戦後のP-3Cなど対潜哨戒機の説明もありました♪

↑P-3C対潜哨戒機の写真

↑P-3C型航空機の銘盤

↑P-2J哨戒機の操縦席

↑P-2J哨戒機の横から

 そしてジプチ共和国での活動(ソマリア沖、アデン湾含む)について説明がありましたね♪

↑P-3Cの活動拠点:ジプチ共和国

↑ソマリア沖、アデン湾での活動

↑アデン湾における海賊対処活動

 それから東日本大震災での活動の写真もありました。
 この活動にはとても感謝したいと思います。

↑東日本大震災での活動

 それから今日は何の日?の説明があり、この日は当時の南太平洋海戦と特攻出撃の説明もありました。合掌です。

↑10月26日の出来事

 閉館間近だったので翌日のものに途中で差し替えられました。

↑10月27日の出来事

 そして、屋外の道を隔てた所に大きな二式大艇がありました!
 その巨大さには驚き、デザインが洗練されているとも思いました。
 これは唯一の残存機とのことでしたね。

↑二式大艇

 鹿児島県鹿屋市にある鹿屋航空基地史料館は、昭和11年に海軍基地として開隊して以来、現在の海上自衛隊に至るまでの豊富な史料が展示され、屋外にも多くの実物航空機等が展示されとてもオススメです! 

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