<金曜は本の紹介>
「旅する力 深夜特急ノート(沢木耕太郎)」の購入はコチラ
この本は、あの香港からロンドンまでのバス等での旅を書いた「深夜特急」の作者である沢木耕太郎さんが書いた本です。
いままでその「深夜特急」に関して読者から様々な質問を投げかけられ、さまざまな答えを返しているうちに、その内容を1つにまとめておこうという気になって書いた本とのことです。
「深夜特急」愛読者であるなら持つであろうさまざまな質問に対する回答が詳しく書いてあるので、「深夜特急」愛読者には堪らない本だと思います。
また、私もこの本を読んで、改めて「深夜特急」を読みたいと思いました。
特に、あのギャンブルのところが面白かったなぁと思い出します。
とてもオススメな本です!!
以下はこの本のポイントなどです。
・私はその100ドル札を常にパスポート入れの奥深くにしまい、何かがあったときのためにと使わないでおいた。実際、その100ドル札が1枚あることでどれほど励まされたことだろう。心強かったことだろう。いざとなったら、これを使えばいいのだ、と思いつづけることができた。そして、ついに日本に帰るまで使わないままでいることができた。私はその「100ドル札1枚の餞別」にしびれ、以後、知人が外国に行くときは同じようなことをしていた。
・のちになって理解することになるのだが、香港から東南アジアを経てインドに入っていくというのは、異国というものに順応していくのに理想的なルートだったかもしれない。気候とか水や食物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・・・・・。だから、インドに入ったからと言って、生水で下痢をするようなこともなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物をおいしく食べることができた。さらに、インドからパキスタン、アフガニスタンを抜けていけば、イラン、トルコと西に行くにしたがって少しずつ都会的になっていく。たとえば、トルコのイスタンブールに着いたとき、ああ、自分はついに西洋に足を踏み入れたのだなと思った。ところが、ヨーロッパから下ってきた人によると、イスタンブールに入ったとたん、ああ、これからは東洋なんだと思ったという。
・私はいつの頃からか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。しかし語学の才の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、しだいに、必要最小限の単語だけを教えてもらうようになった。
「いくら、何、どこ、いつ」 「こんにちは、ありがとう、さようなら」
この2つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない土地に放置されても、なんとか切り抜けられるということがわかってきたからだ。
・ただひとつ、バスの旅に関する後悔がある。バスは昼間の時間に乗ることが多かった。朝に乗って、夕方に降りる。基本的にはその繰り返しだった。しかし、何回か夜行のバスを使ってしまったことがある。そのときは、夜行バスの便利さを優先したのだが、日本に帰ってそれを後悔することになった。そのときには考えもしなかったが、もしかしたら、そこはもう2度と行くことのできないところだったかもしれないのだ。その大切な風景を私は見逃してしまった。
・時折、こんなことを訊ねられることがある。ロンドンに着いてからどうしたのですか。あるいは、アイスランドには行かなかったんですか、と。結論から言えば、アイスランドには行かなかった。ロンドンからドーバーに出て、フェリーでオランダのロッテルダムに渡った。それはヒッピーのもうひとつの聖地とも言うべきアムステルダムに行くためだった。しかし、そのアムステルダムでは、シルクロードですれちがうヨーロッパからの旅行者の多くが口にしていた、「冬のヨーロッパは寒いぞ」という言葉を思い知らされることになった。私は、それまでとは違い、ゴッホの美術館に通う以外は、ホテルで「猫のように」丸くなっていた。
・旅から帰って、友人や知人から頻繁に訊ねられたのは、どこの国のどの街がいちばんよかったかという質問だった。はじめのうちは真剣に考え、考えれば考えるほどわからなくなってきたが、やがてさほど生真面目に対応する必要のないことに気がついた。それが外国に長いこと行っていた者への、儀礼的な、一種のあいさつがわりの質問だということがわかってきたのだ。それが理解できるようになってからは、私もそのときそのときの気分に従って、香港と答えたり、カルカッタと答えたり、イスタンブールと答えたりするようになった。
・つまり「深夜特急」の旅では、飲むもの食べるものどれもおいしいと思っていたのだ。気がつくと丸一日バナナしか食べていなかったというような日もあったが、ほとんどは地元の人が食べるようなものを食べて、それで満足していた。ひとつには地元の人が食べるものがもっとも安くておいしいということがある。しかし、毎日、毎日そうしたものをおいしいなおいしいなと思って食べていたのは、やはり私が若かったからということがあるような気がするのだ。
・しかし、20代を適齢期とする旅は、やはり20代にしかできないのだ。50代になって20代の旅をしようとしてもできない。残念ながらできなくなっている。だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいた方がいいと思うのだ。
・時が経つにつれて、どうしてあの「深夜特急」の旅を無事に終えることができたのかという思いはますます強くなっていく。たぶん、危険とすれすれのところにいたのだという気がする。しかし、絶対的な困難には見舞われなかった。まず、大きな病気にかからなかった。一度だけインドで高熱を発したことはあるが、それもインドの丸薬を飲むと治ってしまった。盗難にはまったく遭わなかった。いかにも金がなさそうに見えたからかもしれないが、盗まれるどころか、さまざまな意味での「施し」を受けることの方が多かった。
<目次>
序章 旅を作る
第1章 旅という病
第2章 旅の始まり
第3章 旅を生きる
第4章 旅の行方
第5章 旅の記憶
第6章 旅する力
あとがき
面白かった本まとめ(2008年)
<今日の独り言>
5歳の息子は、テレビのアンパンマンをよく見るのですが、その中でいつも紹介されるアンパンマンの似顔絵に興味を示し、自分も似顔絵を紹介されたいようです。さっそくハガキの裏にアンパンマンの似顔絵を書いて応募しました。しかし、ちょっと薄かったかな・・・。無事に紹介されるとうれしいんですけどね・・・^_^;)
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この本は、あの香港からロンドンまでのバス等での旅を書いた「深夜特急」の作者である沢木耕太郎さんが書いた本です。
いままでその「深夜特急」に関して読者から様々な質問を投げかけられ、さまざまな答えを返しているうちに、その内容を1つにまとめておこうという気になって書いた本とのことです。
「深夜特急」愛読者であるなら持つであろうさまざまな質問に対する回答が詳しく書いてあるので、「深夜特急」愛読者には堪らない本だと思います。
また、私もこの本を読んで、改めて「深夜特急」を読みたいと思いました。
特に、あのギャンブルのところが面白かったなぁと思い出します。
とてもオススメな本です!!
以下はこの本のポイントなどです。
・私はその100ドル札を常にパスポート入れの奥深くにしまい、何かがあったときのためにと使わないでおいた。実際、その100ドル札が1枚あることでどれほど励まされたことだろう。心強かったことだろう。いざとなったら、これを使えばいいのだ、と思いつづけることができた。そして、ついに日本に帰るまで使わないままでいることができた。私はその「100ドル札1枚の餞別」にしびれ、以後、知人が外国に行くときは同じようなことをしていた。
・のちになって理解することになるのだが、香港から東南アジアを経てインドに入っていくというのは、異国というものに順応していくのに理想的なルートだったかもしれない。気候とか水や食物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・・・・・。だから、インドに入ったからと言って、生水で下痢をするようなこともなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物をおいしく食べることができた。さらに、インドからパキスタン、アフガニスタンを抜けていけば、イラン、トルコと西に行くにしたがって少しずつ都会的になっていく。たとえば、トルコのイスタンブールに着いたとき、ああ、自分はついに西洋に足を踏み入れたのだなと思った。ところが、ヨーロッパから下ってきた人によると、イスタンブールに入ったとたん、ああ、これからは東洋なんだと思ったという。
・私はいつの頃からか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。しかし語学の才の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、しだいに、必要最小限の単語だけを教えてもらうようになった。
「いくら、何、どこ、いつ」 「こんにちは、ありがとう、さようなら」
この2つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない土地に放置されても、なんとか切り抜けられるということがわかってきたからだ。
・ただひとつ、バスの旅に関する後悔がある。バスは昼間の時間に乗ることが多かった。朝に乗って、夕方に降りる。基本的にはその繰り返しだった。しかし、何回か夜行のバスを使ってしまったことがある。そのときは、夜行バスの便利さを優先したのだが、日本に帰ってそれを後悔することになった。そのときには考えもしなかったが、もしかしたら、そこはもう2度と行くことのできないところだったかもしれないのだ。その大切な風景を私は見逃してしまった。
・時折、こんなことを訊ねられることがある。ロンドンに着いてからどうしたのですか。あるいは、アイスランドには行かなかったんですか、と。結論から言えば、アイスランドには行かなかった。ロンドンからドーバーに出て、フェリーでオランダのロッテルダムに渡った。それはヒッピーのもうひとつの聖地とも言うべきアムステルダムに行くためだった。しかし、そのアムステルダムでは、シルクロードですれちがうヨーロッパからの旅行者の多くが口にしていた、「冬のヨーロッパは寒いぞ」という言葉を思い知らされることになった。私は、それまでとは違い、ゴッホの美術館に通う以外は、ホテルで「猫のように」丸くなっていた。
・旅から帰って、友人や知人から頻繁に訊ねられたのは、どこの国のどの街がいちばんよかったかという質問だった。はじめのうちは真剣に考え、考えれば考えるほどわからなくなってきたが、やがてさほど生真面目に対応する必要のないことに気がついた。それが外国に長いこと行っていた者への、儀礼的な、一種のあいさつがわりの質問だということがわかってきたのだ。それが理解できるようになってからは、私もそのときそのときの気分に従って、香港と答えたり、カルカッタと答えたり、イスタンブールと答えたりするようになった。
・つまり「深夜特急」の旅では、飲むもの食べるものどれもおいしいと思っていたのだ。気がつくと丸一日バナナしか食べていなかったというような日もあったが、ほとんどは地元の人が食べるようなものを食べて、それで満足していた。ひとつには地元の人が食べるものがもっとも安くておいしいということがある。しかし、毎日、毎日そうしたものをおいしいなおいしいなと思って食べていたのは、やはり私が若かったからということがあるような気がするのだ。
・しかし、20代を適齢期とする旅は、やはり20代にしかできないのだ。50代になって20代の旅をしようとしてもできない。残念ながらできなくなっている。だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいた方がいいと思うのだ。
・時が経つにつれて、どうしてあの「深夜特急」の旅を無事に終えることができたのかという思いはますます強くなっていく。たぶん、危険とすれすれのところにいたのだという気がする。しかし、絶対的な困難には見舞われなかった。まず、大きな病気にかからなかった。一度だけインドで高熱を発したことはあるが、それもインドの丸薬を飲むと治ってしまった。盗難にはまったく遭わなかった。いかにも金がなさそうに見えたからかもしれないが、盗まれるどころか、さまざまな意味での「施し」を受けることの方が多かった。
<目次>
序章 旅を作る
第1章 旅という病
第2章 旅の始まり
第3章 旅を生きる
第4章 旅の行方
第5章 旅の記憶
第6章 旅する力
あとがき
面白かった本まとめ(2008年)
<今日の独り言>
5歳の息子は、テレビのアンパンマンをよく見るのですが、その中でいつも紹介されるアンパンマンの似顔絵に興味を示し、自分も似顔絵を紹介されたいようです。さっそくハガキの裏にアンパンマンの似顔絵を書いて応募しました。しかし、ちょっと薄かったかな・・・。無事に紹介されるとうれしいんですけどね・・・^_^;)