グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

第4回ジオガイド養成講座「伊豆大島の歴史と暮らし」

2016年01月28日 | 火山・ジオパーク
一昨日(1月26日)第4回ジオガイド養成講座「伊豆大島の歴史と暮らし」が行われました。

参加者は58名。

講師は現在大島町の教育委員会で文化財の整理などを担当している岩崎薫氏。


会場に行って最初に感動したのが、配布された資料の内容でした。

写真や図表以外に、初心者でも理解しやすいように、わかりやすい文章でまとめられた46pに及ぶ資料…これを作るのはきっと大変だったことでしょう(感謝)

岩崎氏の説明によると、現在島内には52カ所の遺跡が見つかっており、それらの発掘は大学に任せきりにするのではなく、継続して島民が関わって来たとのこと。(高校生が発見した遺跡もあります)

発掘の際には考古学者と地質学者の意見を聞きながら年代特定などをしていくそう。

…で、その意見調整の結果、大島には今から8000年前には人が住んでいたことになっているそうです。

興味深い話がたくさんありました。

その1 縄文時代の遺跡よりも古墳時代後期の遺跡が一番多く発掘されている。

古墳時代後期に人がいっぱい住み始めていたことを示しているそうです。

その2 溶岩流の下の龍の口遺跡の土器は赤く焼かれた独特の色をしている。

流れて来た溶岩の熱で焼かれて赤くなったのでしょうか?溶岩流が人の暮らしを飲み込んでいく…これは過去の出来事であると同時に、未来の私たちに起こることでもあるのだなぁと思いながら、話を聞きました。

その3 縄文時代の遺跡にはイノシシの骨は出土するが、シカは角しか出てこない。
「縄文時代の移動手段は丸木舟。イノシシの子どもは船に乗せ、食料として連れてこられたのだろうが、シカは足が長くて丸木舟に乗せにくかったのでは無いか?」とのことでした。

その4 土器はどの時代も島外から持ち込まれたもの。
大島には粘土が無いので土器が作れなかったのだそう。
石器はほとんど大島内か利島の溶岩とのことでした。

神津島の黒曜石もたくさん使われていたそうです。

神津島まで丸木舟で航海していたこともスゴいと思いますが、縄文時代にどうやって情報を入手し、交易をしていたのか想像すると楽しいです。

縄文時代から現代まで続く、島の住人の暮らし…
資料には、今に至るまでの島の水事情も載っていました。

水はけの良い火山灰に覆われ川が無い伊豆大島。標高の高いところから沸き出る真水と、海岸近くに掘った塩分を含む水を、用途によって使い分け大切にしながら営まれてきた島の暮らし…。

今、唯一当時の姿を残す「掘り井戸(ハマンカーと呼ばれる)」の、中の写真も資料にありました。

キレイに埋め込まれた溶岩の井戸!
火山の島の井戸だなぁと思いました。

この日の講習、本当に面白かったです。縄文時代の島の暮らしから今の自分の暮らしまでがつながって、そこに火山の存在を感じました。

そして、私たちに「わかりやすく島の歴史を伝えよう」としてくれている岩崎氏の熱意も感じました。

その熱意に応えられるように、作っていただいた資料をしっかり読み直して、ガイドの時に伝えていきたいと思います。

(カナ)
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