相撲の名古屋場所が始まりました。でも名古屋に行かれない私。またまた両国のお話。
両国の広小路 江戸時代“火除け地”として作られた所。火事の時延焼しないように広い空き地・道路を作った所で普段は簡単な小屋で見世物小屋などが有ったようです。上野の広小路も有名です。
両国の広小路は両国ではなく橋の反対側の中央区に有ったとは驚き!
今でもそのまま広小路ですが(京葉道路です)、江戸時代でしたらどこまでが火除け地だったのでしょうか?写真の向こう側が両国で足元は中央区
その近くに良さげな橋。“柳橋”向こうは台東区 華やかなりし頃、花柳界が有り粋な芸者さんが沢山いたそうな。屋形船が沢山舫ってあります。
両国橋から振り返ってみると
柳橋が見えます。写真の中側の緑が広小路の碑付近です。
橋を渡り少し歩くと“回向院”が有ります。
江戸時代に有った“振袖火事”の犠牲者を回向したのが始まりとか。その後、地震や戦争の犠牲者もここに祀られているそうです。
そして、回向院では奉納相撲として江戸時代から興行が行われ、その後、国技館も立てられました。
今は両国駅そばにある国技館ですが、その前は蔵前橋先に。その前は今ある場所で 又その前はこの回向院横(今は商業施設になっています)
商業施設の中庭に
丸い模様が
実はこれ土俵が有った所でした。何も知らなければただの通路ですが、女の人は上がれない土俵 今なら入り放題! どすこい! どすこい!! (しま)
※両国では身体の大きな人がいるようで洋服店では“10L”の服が有ったり街角では
こんな靴を見つけたり…
日本橋から3キロでこんなにボロボロになるのかな~
両国の広小路 江戸時代“火除け地”として作られた所。火事の時延焼しないように広い空き地・道路を作った所で普段は簡単な小屋で見世物小屋などが有ったようです。上野の広小路も有名です。
両国の広小路は両国ではなく橋の反対側の中央区に有ったとは驚き!
今でもそのまま広小路ですが(京葉道路です)、江戸時代でしたらどこまでが火除け地だったのでしょうか?写真の向こう側が両国で足元は中央区
その近くに良さげな橋。“柳橋”向こうは台東区 華やかなりし頃、花柳界が有り粋な芸者さんが沢山いたそうな。屋形船が沢山舫ってあります。
両国橋から振り返ってみると
柳橋が見えます。写真の中側の緑が広小路の碑付近です。
橋を渡り少し歩くと“回向院”が有ります。
江戸時代に有った“振袖火事”の犠牲者を回向したのが始まりとか。その後、地震や戦争の犠牲者もここに祀られているそうです。
そして、回向院では奉納相撲として江戸時代から興行が行われ、その後、国技館も立てられました。
今は両国駅そばにある国技館ですが、その前は蔵前橋先に。その前は今ある場所で 又その前はこの回向院横(今は商業施設になっています)
商業施設の中庭に
丸い模様が
実はこれ土俵が有った所でした。何も知らなければただの通路ですが、女の人は上がれない土俵 今なら入り放題! どすこい! どすこい!! (しま)
※両国では身体の大きな人がいるようで洋服店では“10L”の服が有ったり街角では
こんな靴を見つけたり…
日本橋から3キロでこんなにボロボロになるのかな~
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