今度の総選挙は、論者をして「日本は戦争への道に踏み込んだ」を書かしめるにいたっている。書いた人は桂敬一、ジャーナリズムの研究者である。
http://jcj-daily.seesaa.net/article/308706657.html
小選挙区制度が、いかに「極悪」の制度であるかを如実に示したのが、今回の選挙である。この選挙制度が国民の政治的意思を反映しない虚構の上に立つものであることは確かである。
その虚構の上に、新しい自民党、公明党、「維新」による「極悪」政治がこれから行われるのであるが、だからといって今度の選挙において「責任」がないわけではない。「責任」を担いつつ、どのようにこの過酷な現実を打開するか。
ボクたちのように、インターネットを駆使して、マスメディアの意図的な情報ではない情報を得ることは簡単にできるのだが、しかし多くの人は、そんなに簡単ではない。
昔は、労働組合などがあって(「連合」などのように、権力の一翼を担う労働組合組織では、もちろんない。普通のあるべき労働組合のことをいうのだ)、そこから流される権力の流す情報ではない、異質な情報が存在した。しかし今、そうした回路はなく、権力側から流される情報だけが舞い上がっている。
ボクたちは、マスメディアの流す意図的な欺瞞的な情報ではなく、真に民衆のための情報を伝えていくことを真剣に考えなければならない。
来年は、関東大震災九〇年である。ということは、朝鮮人虐殺九〇年、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一虐殺90年ということになる。
大杉の書いたものに、「新しき世界の為めの新しい芸術」がある。民衆の芸術について書いたものであるが、これは芸術を情報に置き換えてもいいのではないかと思った。
「民衆芸術は、其の第一条件として、それが娯楽である事」
「民衆芸術は元気の源でなければならない」
「民衆芸術は理知の為めの光明でなければならない」
(これは「青空文庫」からコピーしたもの)
http://www.aozora.gr.jp/
人々が楽しめる、元気の源になる、理知のための光明となる情報、これを流していかなければならない。現実が現実だから、そういうような情報は難しいと思われるかも知れないが、しかしいかなる時代であってもそういう情報は存在したであろう。なぜならそういう情報があったがために、独裁政権は倒され、抵抗は続けられたのだ。
「責任」を担うということは、「極悪」の政治を推進しようとする「奴ら」の困るような情報を、積極的に流していくことだ。彼らにも必ず弱点がある。最大の弱点は、彼らも民衆の支持がなければ何もできないということなのである。