今日中に書かなければならない原稿が、思いの外早く片付いたので、15時50分からの映画「希望の国」をみにシネマイーラに行った。
道路は空いていて、上映時刻の15分前に到着。待っている時間、最近買ったキンドルで、三木清の『人生論ノート』を読む。高校時代に読んだものだが、もう完全に忘れている。
さて映画が始まった。福島第一原発のあと、某年、大きな地震と津波が襲い、再び「長島県」の第一原発で事故が起き、見えない放射能が「長島県」を中心に襲いかかる。この状況は、もちろんフィクションであるが、実際起きているフクシマの現実でもある。
この映画、始まってから最後まで、映画の題名がでてこない。最後に「希望の国」という題字が浮かび上がる。
「希望の国」とはいいながら、フクシマで起きた現実とがだぶるので、見ていて、悲しくて、悲しくてたまらなかった。別に泣けるような場面ではなくても、目に涙がでてきた。
しかし原発事故が起き、放射能が降り注ぐと、そこには「希望」はない。出口のない不安と絶望が続く。おそらくフクシマの原発周辺の住民も、同様だろう。
主人公の妻がしきりに「家に帰ろう」と主人公に語りかける。原発事故後には、帰る「家」はもうないのだ。
国家によって、ふつうに日常生活をおくるところに、立入禁止の柵ができる。その柵が、あちらこちらで、分断する。
「希望の国」の、英訳は“THE LAND OF HOPE”だ。だがその“LAND”が分断されている。分断されているところを、ボクたちは一歩一歩歩んでいくしかないのだ。
内容はきわめて重く、いろいろ考えさせる映画だ。多くの人に、是非見て欲しいと思った。133分。一瞬たりとも目を離すことはできなかった。
道路は空いていて、上映時刻の15分前に到着。待っている時間、最近買ったキンドルで、三木清の『人生論ノート』を読む。高校時代に読んだものだが、もう完全に忘れている。
さて映画が始まった。福島第一原発のあと、某年、大きな地震と津波が襲い、再び「長島県」の第一原発で事故が起き、見えない放射能が「長島県」を中心に襲いかかる。この状況は、もちろんフィクションであるが、実際起きているフクシマの現実でもある。
この映画、始まってから最後まで、映画の題名がでてこない。最後に「希望の国」という題字が浮かび上がる。
「希望の国」とはいいながら、フクシマで起きた現実とがだぶるので、見ていて、悲しくて、悲しくてたまらなかった。別に泣けるような場面ではなくても、目に涙がでてきた。
しかし原発事故が起き、放射能が降り注ぐと、そこには「希望」はない。出口のない不安と絶望が続く。おそらくフクシマの原発周辺の住民も、同様だろう。
主人公の妻がしきりに「家に帰ろう」と主人公に語りかける。原発事故後には、帰る「家」はもうないのだ。
国家によって、ふつうに日常生活をおくるところに、立入禁止の柵ができる。その柵が、あちらこちらで、分断する。
「希望の国」の、英訳は“THE LAND OF HOPE”だ。だがその“LAND”が分断されている。分断されているところを、ボクたちは一歩一歩歩んでいくしかないのだ。
内容はきわめて重く、いろいろ考えさせる映画だ。多くの人に、是非見て欲しいと思った。133分。一瞬たりとも目を離すことはできなかった。