浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

笹子トンネル事故で明らかになった中日本高速道路の本質

2012-12-07 18:06:19 | 日記
 以下は『日刊ゲンダイ』の記事。一般紙はここまで書かない。しかし私たちは知るべきである。


中日本高速道路は人命よりカネ    2012年12月5日 掲載


売り上げ6000億円でトンネル修繕たった5億円

 社長以下、幹部複数の逮捕者が出るのは確実だろう。9人が亡くなった中央高速「笹子トンネル」の天井板崩落事故で、山梨県警は4日、業務上過失致死傷容疑で中日本高速道路(名古屋市)の本社や八王子支社などの家宅捜索に入った。

 事故後、中日本は会見で、トンネル最上部から天井板を吊り下げていた「つり金具」の劣化の可能性に言及。金具は77年の開通以来、一度も交換せず、接合部の点検も目視だけで済ませていたことも分かった。道路会社とは思えないほどズサンな管理で、事故は100%「人災」と言っていい。

「中日本などの道路会社は、『老朽化したトンネルや高架橋の修繕には莫大なコストがかかる』と言い訳しているが、人命軽視も甚だしい。もともと国民のカネで整備した道路をメシの種にして商売しているクセに、事故が起きたら責任逃れは許されません」(経済ジャーナリスト)

 中日本の有価証券報告書によると、12年3月期の連結売上高は約6000億円で、当期利益は前年比5%増の約69億円。社員の平均年収は約800万円と一流企業並みだ。笹子トンネルの保全点検を請け負っていた「中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京」や、高速道のSAで飲食や物販を手掛ける「中日本エクシス」など子会社、関係会社を35社も持っている。

 それでいて驚くのは、道路のメンテナンス費用だ。昨年度の「維持修繕費」のうち、「土木構造物修繕」(トンネル)はたった5億円。ナント、売上高の0.1%にも満たない。カネ儲けを最優先に考えている体質は明らかで、人命は二の次、三の次である。道路利権にどっぷり漬かってファミリー会社をどんどん増やす手口は、悪名高き旧道路公団を彷彿(ほうふつ)させる。

 交通ジャーナリストの今井亮一氏がこう言う。
「旧道路公団時代、道路は官僚を儲けさせるための道具に使われた。そのためにファミリー企業をつくり、政治家もぶら下がったのです。保守点検は本来、事故防止のために行うはずだが、彼らにとっては、それが稼ぐ『名目』にスリ替わっていた。その体質が今も残っているのではないか」

 そんなインチキ会社の事業計画には、2016年までに新たに322キロの高速道路を開通させる――とあるからフザケている。社員の給料は半分、道路新設なんて撤回して、今すぐ既設道路の維持管理にカネをかけるべきだ。


http://gendai.net/articles/view/syakai/139970
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】朝日新聞津支局『海よ!芦浜原発30年』(風媒社)

2012-12-07 16:31:35 | 日記
 発行は1994年だから、この芦浜原発が最終的に(といっても、絶対に、とは言えないところが問題ではあるが)白紙となったのは、2000年であるから、途中経過を記したものといえよう。

 三重県に中部電力が原発を建設しようとしたのは、1963年。2000年には実質的に「中止」となっているが、原発予定地はすでに中部電力の所有地となっているから、また息を吹き返すこともあるかもしれない。

 計画が持ち上がってから約40年近く。その間、この原発の建設をめぐって地域に激しい対立が生まれた。

 本書は、賛成派が多い地域と反対派が多い地域の状況、複数ある漁業協同組合の動向、そして自治体の動きなど、その対立がどのように生まれ、どういう経過をたどったのかを、なかなか丁寧に追跡している。

 対立をつくったのは、もちろん原発建設計画である。経済的に豊かな地域ではないところに、電力会社や政府は原発立地を計画する。その理由は簡単だ。札束で頬を撫でれば、「賛成」となる人びとがでてくるからだ。

 人は、理念や理想だけで生きていくわけではない。

 中部電力は、カネをつかう。しかし考えてみれば、そのカネは私たちの電気料金である。そのカネが、買収工作のためにつかわれるのである。

 芦浜原発は中止となっている。中部電力が所有している原発は浜岡だけ。中部電力の原発依存率が低いのは、芦浜原発反対運動があったからだ。

 この反対運動については、もう一冊ある。図書館から借りるつもりだ。

 政府や電力会社、そして原発ムラの住人たちが、原発の新設や再稼働などを企んでいる。過去の反対運動からいろいろな教訓を得ることは必要なことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「決められる政治」

2012-12-07 13:09:36 | 日記
 権力の一翼を担うマスメディアは、しばしば「決められる政治」ということばを使う。要するに、とにかくてきぱきと決定してやっていく、ということが良いことだと思っているらしいのだ。

 だが、そこには「何を」決めるのかという「何」が欠如している。また「どういう方法で」ということも欠如している。

 国政のレベルで何事かを「決める」場合、「何」とともに「どのような方法(手段)で」というのも重要なのだ。後者は、正当性の問題でもある。

 現在の選挙制度は小選挙区比例代表制であるが、小選挙区制は有権者の多様な意思を反映することが出来ない。とにかくひとつの選挙区で最大得票した者が当選するのであって、それ以外の候補者に投票した有権者の意思は無視される。

 私は、こうした選挙制度により当選した議員によって何事かが「決められる」場合、その正当性に問題があると思っている。なぜなら多くも有権者の意思を捨てているからだ。だからこそ、私はこの選挙制度が導入されたとき、この選挙制度に反対の意思を、別のブログなどで厳しく表明した。

 またマスメディアは、「何」については何も言わない。それはそうだ。マスメディアは権力を支える有力なメンバーであるから、つまり「対米隷従」も、「消費税増税」も、「原発存続」も、「TPP参加」も、沖縄の米軍基地問題、オスプレイの問題も、自民党や民主党、公明党、そして財界の進める政策に賛成の立場であるから、とにかくどんどん決めていけばよいと思っている。

 新聞も放送も、特権的な保護政策により守られていているので、最終的には権力に頭を下げるしかない。

 マスメディアの報道には、気をつけた方がよい。「決められる政治」というとき、私たちは何をどのような方法で、に気をつけなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする