『沖縄タイムス』の社説
社説[積極的平和主義]それで何がしたいのか
2013年9月29日 09時30分
積極的平和主義という言葉が安倍政権の外交・安全保障政策を表現するキーワードとして浮上してきた。
字義通り解釈すれば、憲法9条を守り平和主義をさらに徹底させる、という意味に受け取れるが、安倍晋三首相の言う積極的平和主義はそういうことではないようだ。
安倍首相はニューヨークの国連本部で演説し、「積極的平和主義の立場から国連平和維持活動(PKO)をはじめ国連の集団安全保障措置に一層積極的に参加できるようにしていく」と明言した。
保守系のシンクタンク「ハドソン研究所」での演説では、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更に意欲を示すとともに、「愛する国を積極的平和主義の国にしようと決意している」と述べた。
積極的平和主義という言葉は、口当たりのいいスローガンではあるが、中身はあいまいではっきりしない。護憲の立場に立つ平和主義を消極的平和主義だと批判し、具体的な行動を起こすことが重要だと安倍政権は指摘するが、何をもって積極的だと考えるのか、あやふやだ。
集団的自衛権の行使が認められた場合の自衛隊の活動について、防衛省出身の高見沢将林・内閣官房副長官補は、自民党の会合で「『絶対、地球の裏側には行きません』という性格のものではない」と述べた。それが積極的ということの意味なのか。
安全保障の基本政策をいとも簡単に葬るようなやり方は、周辺国の疑心や国際社会の誤解を招きかねない危うい転換だ。
■ ■
積極的平和主義の具体的な内容がはっきりしないだけでなく、安倍首相自身の発言も浮かれ気味で安定性を欠くところがある。
侵略の定義や靖国参拝、慰安婦問題などについて、米国から安倍政権の右傾化を懸念する声が上がると、たちどころに持論を引っ込め、発言を修正したり和らげたりする半面、ハドソン研究所での演説では、中国からの反発を念頭に、「私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいならどうぞ」と挑発してみせた。
国内の一部の支持者は、こうした発言に留飲を下げるかもしれない。しかし、相手国の国民感情を逆なでするようなユーモアの感じられない発言は外交的にマイナスだ。
中国や韓国との関係をいかに改善していくか。日本の将来にとっては、それが重要な外交課題であるはずなのに、首相自身がトゲのある言葉を使うようでは関係改善の扉を自ら閉ざすのに等しい。
■ ■
米国のアーミテージ元国務副長官ら知日派グループが、日米同盟を米英同盟並みに強化することや集団的自衛権の行使、などを日本政府に提言したことがある。
「今後、世界の中で一流国であり続けたいのか、二流国に甘んじるのか」と露骨な文句を並べて日本の役割拡大を求めた。
安倍首相の積極的平和主義は、この路線に沿った動きのように見える。沖縄を対中包囲網の「キーストーン」と位置づけ、さらなる負担を強いる政策は願い下げだ。
次は『京都新聞』の社説。
首相の国連演説 「平和」をはき違えるな
米ニューヨークで開かれた国連総会で、安倍首相は「積極的平和主義」という新たな旗を掲げて、国連の集団安全保障に参加できるようにすると演説した。
その旗が何を意味するのか。いまだ日本国民に十分説明もされておらず、熟議も経ず、合意も形成されていない。国連決議に基づく多国籍軍や国連軍に自衛隊が参加し軍事行動を共にする意味だと、国際社会は受け止めるだろう。
国連は集団安全保障の考え方を憲章第7章に盛り込んでおり武力制裁や国連軍編成の根拠になる。日本政府は「国際法上は権利を有するが、憲法上、行使できない」との立場を取ってきた。各国が激しい外交折衝を繰り広げたシリアの化学兵器廃棄に向けた安全保障理事会の決議案づくりでも、制裁条項で第7章に言及するかどうかが焦点だった。
積極的平和主義という名は美しく響くかもしれないが、内実は集団的自衛権行使の決意表明だ。
時の政権が国民を差し置いて、平和憲法の重しを一存で外すことは許されない。
今回の訪米中に首相が別の場所で述べた言葉から、「積極的平和主義」の輪郭は浮かぶ。
自衛隊の活動範囲について「地理的概念」の枠に縛られないと表明した。地球の裏側で起き
たとしても、テロ事件も、検討対象に加えるとした。
これでは、日本の領土・領海から遠く離れた他国でも、自衛隊が戦闘行為をしうることになる。周辺事態を想定していた従来の安全保障体制見直し論の範囲からも踏み出した。軍事力派遣の範囲が、際限なく広がることを憂慮する。
「平和」の大義を掲げて多くの戦争が始まり、たくさんの人が殺された。世界史に刻まれた事実である。「平和」を「権益」や「自国民保護」に置き換えても、同じことだ。だからこそ、憲法に歯止めの規定がある。
安倍首相は、米国での講演で、日本の防衛費の伸びは中国と比べて低いとした上で「右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞお呼びいただきたい」と発言した。
反語的な表現のつもりかもしれないが、日本国民を代表する発言として一人歩きしかねず、不見識だ。日本が再び軍国主義の道を歩むと見なされてもかまわないとは、国民の多くは思っていないだろう。
安倍首相が訪米中の講演で誇った保健・医療や人道分野での国際貢献は、まさに平和主義を掲げる現行憲法の下に、営々と築かれたものだ。平和貢献の本質をはき違えてはならない。
[京都新聞 2013年09月28日掲載]
社説[積極的平和主義]それで何がしたいのか
2013年9月29日 09時30分
積極的平和主義という言葉が安倍政権の外交・安全保障政策を表現するキーワードとして浮上してきた。
字義通り解釈すれば、憲法9条を守り平和主義をさらに徹底させる、という意味に受け取れるが、安倍晋三首相の言う積極的平和主義はそういうことではないようだ。
安倍首相はニューヨークの国連本部で演説し、「積極的平和主義の立場から国連平和維持活動(PKO)をはじめ国連の集団安全保障措置に一層積極的に参加できるようにしていく」と明言した。
保守系のシンクタンク「ハドソン研究所」での演説では、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更に意欲を示すとともに、「愛する国を積極的平和主義の国にしようと決意している」と述べた。
積極的平和主義という言葉は、口当たりのいいスローガンではあるが、中身はあいまいではっきりしない。護憲の立場に立つ平和主義を消極的平和主義だと批判し、具体的な行動を起こすことが重要だと安倍政権は指摘するが、何をもって積極的だと考えるのか、あやふやだ。
集団的自衛権の行使が認められた場合の自衛隊の活動について、防衛省出身の高見沢将林・内閣官房副長官補は、自民党の会合で「『絶対、地球の裏側には行きません』という性格のものではない」と述べた。それが積極的ということの意味なのか。
安全保障の基本政策をいとも簡単に葬るようなやり方は、周辺国の疑心や国際社会の誤解を招きかねない危うい転換だ。
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積極的平和主義の具体的な内容がはっきりしないだけでなく、安倍首相自身の発言も浮かれ気味で安定性を欠くところがある。
侵略の定義や靖国参拝、慰安婦問題などについて、米国から安倍政権の右傾化を懸念する声が上がると、たちどころに持論を引っ込め、発言を修正したり和らげたりする半面、ハドソン研究所での演説では、中国からの反発を念頭に、「私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいならどうぞ」と挑発してみせた。
国内の一部の支持者は、こうした発言に留飲を下げるかもしれない。しかし、相手国の国民感情を逆なでするようなユーモアの感じられない発言は外交的にマイナスだ。
中国や韓国との関係をいかに改善していくか。日本の将来にとっては、それが重要な外交課題であるはずなのに、首相自身がトゲのある言葉を使うようでは関係改善の扉を自ら閉ざすのに等しい。
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米国のアーミテージ元国務副長官ら知日派グループが、日米同盟を米英同盟並みに強化することや集団的自衛権の行使、などを日本政府に提言したことがある。
「今後、世界の中で一流国であり続けたいのか、二流国に甘んじるのか」と露骨な文句を並べて日本の役割拡大を求めた。
安倍首相の積極的平和主義は、この路線に沿った動きのように見える。沖縄を対中包囲網の「キーストーン」と位置づけ、さらなる負担を強いる政策は願い下げだ。
次は『京都新聞』の社説。
首相の国連演説 「平和」をはき違えるな
米ニューヨークで開かれた国連総会で、安倍首相は「積極的平和主義」という新たな旗を掲げて、国連の集団安全保障に参加できるようにすると演説した。
その旗が何を意味するのか。いまだ日本国民に十分説明もされておらず、熟議も経ず、合意も形成されていない。国連決議に基づく多国籍軍や国連軍に自衛隊が参加し軍事行動を共にする意味だと、国際社会は受け止めるだろう。
国連は集団安全保障の考え方を憲章第7章に盛り込んでおり武力制裁や国連軍編成の根拠になる。日本政府は「国際法上は権利を有するが、憲法上、行使できない」との立場を取ってきた。各国が激しい外交折衝を繰り広げたシリアの化学兵器廃棄に向けた安全保障理事会の決議案づくりでも、制裁条項で第7章に言及するかどうかが焦点だった。
積極的平和主義という名は美しく響くかもしれないが、内実は集団的自衛権行使の決意表明だ。
時の政権が国民を差し置いて、平和憲法の重しを一存で外すことは許されない。
今回の訪米中に首相が別の場所で述べた言葉から、「積極的平和主義」の輪郭は浮かぶ。
自衛隊の活動範囲について「地理的概念」の枠に縛られないと表明した。地球の裏側で起き
たとしても、テロ事件も、検討対象に加えるとした。
これでは、日本の領土・領海から遠く離れた他国でも、自衛隊が戦闘行為をしうることになる。周辺事態を想定していた従来の安全保障体制見直し論の範囲からも踏み出した。軍事力派遣の範囲が、際限なく広がることを憂慮する。
「平和」の大義を掲げて多くの戦争が始まり、たくさんの人が殺された。世界史に刻まれた事実である。「平和」を「権益」や「自国民保護」に置き換えても、同じことだ。だからこそ、憲法に歯止めの規定がある。
安倍首相は、米国での講演で、日本の防衛費の伸びは中国と比べて低いとした上で「右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞお呼びいただきたい」と発言した。
反語的な表現のつもりかもしれないが、日本国民を代表する発言として一人歩きしかねず、不見識だ。日本が再び軍国主義の道を歩むと見なされてもかまわないとは、国民の多くは思っていないだろう。
安倍首相が訪米中の講演で誇った保健・医療や人道分野での国際貢献は、まさに平和主義を掲げる現行憲法の下に、営々と築かれたものだ。平和貢献の本質をはき違えてはならない。
[京都新聞 2013年09月28日掲載]