先に行われた学力テストで、小学校の国語の成績が全国で最低だったことから、川勝知事が点数の低い小学校の校長名を公表すると言い出した。
それに対して、県教育委員会は、それには反対であると主張している。ボクは教育委員会は好かないが、この場合だけは支持する。
そもそも学力テストは、よく解釈してみれば、子どもたちの学力を客観的に調べ、その不足してるところを知って、その後の指導に役立てようということなのだろうと思う。別に子どもたちや教員、学校を競わせるためにおこなったものではないはずだ。もし競わせるために行われたとするなら、ボクは学力テストそのものに反対する。
さて、子どもたちの学力は、学校の力だけで決まるものではなく、地域や家庭の状況に大きく左右されることは、経験的に明らかである。
すでに子どもの学力と親の経済力が比例関係にあることは、証明されている。親の経済力が高ければ高いほど、子どもの学力は高い。
だとするならば、学校名ではなく、たとえ校長名でも、それが公表されれば地域が特定され、学力差だけではなく、経済力をはじめとした地域の力も序列化の渦に巻き込まれるであろう。
川勝知事は、そんなことをするよりも、もっと教員の数を増やし、一クラスの子どもの数を減らし、教員たちに教材研究をする時間を保障するべきだ。そうすれば、子どもの学力は底上げされていくことだろう。
それに対して、県教育委員会は、それには反対であると主張している。ボクは教育委員会は好かないが、この場合だけは支持する。
そもそも学力テストは、よく解釈してみれば、子どもたちの学力を客観的に調べ、その不足してるところを知って、その後の指導に役立てようということなのだろうと思う。別に子どもたちや教員、学校を競わせるためにおこなったものではないはずだ。もし競わせるために行われたとするなら、ボクは学力テストそのものに反対する。
さて、子どもたちの学力は、学校の力だけで決まるものではなく、地域や家庭の状況に大きく左右されることは、経験的に明らかである。
すでに子どもの学力と親の経済力が比例関係にあることは、証明されている。親の経済力が高ければ高いほど、子どもの学力は高い。
だとするならば、学校名ではなく、たとえ校長名でも、それが公表されれば地域が特定され、学力差だけではなく、経済力をはじめとした地域の力も序列化の渦に巻き込まれるであろう。
川勝知事は、そんなことをするよりも、もっと教員の数を増やし、一クラスの子どもの数を減らし、教員たちに教材研究をする時間を保障するべきだ。そうすれば、子どもの学力は底上げされていくことだろう。