浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】本田靖春『我、拗ね者として生涯を閉ず』上(講談社文庫)

2013-09-25 22:00:06 | 読書
 本田靖春の本は、『私戦』をはじめ何冊か読んでいる。金嬉老事件をあつかった『私戦』は、きわめて説得力に富み、事件をみる視覚など、私自身がこの事件を書く際に大いに参考にさせてもらった。今回この本を読んだのは、私と思想的に親和的な、いわば同志的な人がジャーナリズムの世界に入ったからだ。本田靖春のような記者になってほしいと思い、いずれその人にこの本は渡るのであるが、その前に読んでおこうと思ったのだ。

 やはり、ジャーナリズムの世界で、ジャーナリストとして活躍できるためには、フツーの人間ではだめだなと思った。ある種変わり者でないとつとまらないようだ。もちろん、記者の中にはサラリーマン的な人間も多くいるが、本田のようになるためには、変わり者に徹する必要があるようだ。

 その変わり者であるためには、やはりなんと言っても反骨精神があるかどうかである。本書を読んでいても、各所にそれが浮き出ている。それも直截的な表現で。

 それともう一つ。清廉さである。清廉さというのは、要するに「ただ酒は飲まない」ということだ。もちろん「ただ酒」のなかには食事などをおごってもらうことも入る。そういうことをされると、必ずペンが鈍る。ペンを鈍らせることはしない、ということだ。本田は、それについては清廉さを貫いている。当然であるが、政治部の諸氏のように、ただ酒をのまされて政治家の走狗となっている記者には、きわめて批判的である。

 たいへん読みやすく、少しの暇があれば読める本だ。

 ただ、この本はある意味の「遺書」でもあるので、現在の国民のあり方に対して、きわめて厳しい批判を浴びせている。その通りではあるが、とにかく手厳しい。

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変わらない日本の体質

2013-09-25 06:30:40 | 読書
 『東京新聞』の記事。「大日本帝国」は、先の見通しもなく戦争を拡大し、圧倒的な経済力の差を知っていながら、最後は無謀な対英米戦争に突入し、自壊するに至った。

 今回の原発事故。原子力発電も、まったく同じ。先の見通しもなく、ひたすら滅亡に向かって走り行く。



核のごみ満杯へ 打つ手なし 再処理技術や処分場も未定

2013年9月24日 朝刊

 原発再稼働をめぐる論議が高まる中、原発から出る放射線量の高い使用済み核燃料を貯蔵するスペースは既に満杯に近づきつつある。「核のごみ」が解決しないまま、原発を動かしてもいずれ行き詰まるのは明らかだ。 (梅田歳晴)
 電気事業連合会などによると、国内にある使用済み燃料は二〇一二年九月末時点で、少なくとも一万七千トン以上。電力会社は各原発の原子炉建屋内にある燃料プールでほとんどを貯蔵しているが、東京電力の福島第一、第二、柏崎刈羽、九州電力玄海、日本原子力発電東海第二でいずれも占有率が80%以上を占め、限界に近づいている。

 青森県六ケ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(再処理工場)にも容量三千トンの一時保管スペースがあるが、再処理事業の遅れで各原発から持ち込まれる使用済み燃料がたまる一方。今年九月の時点で貯蔵量は二千九百四十五トンに達し、占有率は98%に達した。

 原発の燃料プールと六ケ所村の保管スペースを合計した貯蔵容量の73%が埋まり、原発が順次再稼働した場合、数年後には満杯になる計算だ。

 日本は、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを高速増殖炉で燃やす核燃料サイクルを原子力政策の要としているが、再処理は技術的なトラブルが相次ぎ、いまだに事業を開始していない。高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も一九九五年のナトリウム漏れ事故後ほとんど動いていない。

 高レベル放射性廃棄物の最終処分では場所すら決まっておらず、使用済み核燃料が国内の貯蔵能力を上回れば、事実上、原発の運転が不可能になる。

 京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)は「再稼働すれば行き先のない核のごみは増え続けるばかりだ。全体のグランドデザインをしっかり考える人がいなかったのではないか。これ以上、原発を再稼働させるべきではない」と、核のごみを放置し、原発を増やし続けた国や電力会社の姿勢を批判している。
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