本田靖春の本は、『私戦』をはじめ何冊か読んでいる。金嬉老事件をあつかった『私戦』は、きわめて説得力に富み、事件をみる視覚など、私自身がこの事件を書く際に大いに参考にさせてもらった。今回この本を読んだのは、私と思想的に親和的な、いわば同志的な人がジャーナリズムの世界に入ったからだ。本田靖春のような記者になってほしいと思い、いずれその人にこの本は渡るのであるが、その前に読んでおこうと思ったのだ。
やはり、ジャーナリズムの世界で、ジャーナリストとして活躍できるためには、フツーの人間ではだめだなと思った。ある種変わり者でないとつとまらないようだ。もちろん、記者の中にはサラリーマン的な人間も多くいるが、本田のようになるためには、変わり者に徹する必要があるようだ。
その変わり者であるためには、やはりなんと言っても反骨精神があるかどうかである。本書を読んでいても、各所にそれが浮き出ている。それも直截的な表現で。
それともう一つ。清廉さである。清廉さというのは、要するに「ただ酒は飲まない」ということだ。もちろん「ただ酒」のなかには食事などをおごってもらうことも入る。そういうことをされると、必ずペンが鈍る。ペンを鈍らせることはしない、ということだ。本田は、それについては清廉さを貫いている。当然であるが、政治部の諸氏のように、ただ酒をのまされて政治家の走狗となっている記者には、きわめて批判的である。
たいへん読みやすく、少しの暇があれば読める本だ。
ただ、この本はある意味の「遺書」でもあるので、現在の国民のあり方に対して、きわめて厳しい批判を浴びせている。その通りではあるが、とにかく手厳しい。
やはり、ジャーナリズムの世界で、ジャーナリストとして活躍できるためには、フツーの人間ではだめだなと思った。ある種変わり者でないとつとまらないようだ。もちろん、記者の中にはサラリーマン的な人間も多くいるが、本田のようになるためには、変わり者に徹する必要があるようだ。
その変わり者であるためには、やはりなんと言っても反骨精神があるかどうかである。本書を読んでいても、各所にそれが浮き出ている。それも直截的な表現で。
それともう一つ。清廉さである。清廉さというのは、要するに「ただ酒は飲まない」ということだ。もちろん「ただ酒」のなかには食事などをおごってもらうことも入る。そういうことをされると、必ずペンが鈍る。ペンを鈍らせることはしない、ということだ。本田は、それについては清廉さを貫いている。当然であるが、政治部の諸氏のように、ただ酒をのまされて政治家の走狗となっている記者には、きわめて批判的である。
たいへん読みやすく、少しの暇があれば読める本だ。
ただ、この本はある意味の「遺書」でもあるので、現在の国民のあり方に対して、きわめて厳しい批判を浴びせている。その通りではあるが、とにかく手厳しい。