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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

憎悪の表出

2013-09-18 21:54:57 | 日記
 ボクは、長い間、差別の問題を歴史的に研究してきた。被差別への差別、「在日朝鮮人」への差別など、これからはハンセン病者に対する差別を研究しようとしているが、時間がないため、足踏みしている状態だ。

 何度かここでも書いてきたが、差別というのは二種類あるとボクは思っている。日常的に、泡のように浮かんでは消えていく差別と、社会的に多くの人が陰に陽に抱いている社会的差別と。前者の差別は、こういうたとえはしたくはないが、理解をすすめるために仕方なく表現するのだが、たとえばすれ違う相手を見て「いけ好かない奴」とか「ブス!」とか思ったりすることだ。一時的に何者かを差別的に見るということは、日常的にあるだろうと思う。しかしこれはまさに「一時的」であって、消えていく。

 だが社会的差別は、別に表現しなくても、いつのまにか意識の中に入り込んでいるものだ。現在の若者の被差別に対する差別意識は解消へと向かっていると信じたいが、どうだろうか。「在日朝鮮人」はボクらの周辺にいるけれども、彼らは本名があっても、日本人らしい名前、通名というが、それで通していた。最近、姜尚中のように本名で堂々とテレビなどに出演する人も増えてきた。よいことだ。以前は、通名で生きていないと何かと差別されていたのだ。

 ボクは、今までの研究を通して、社会的差別は、その背景には必ず公的権力による差別的な制度や取り扱いがある、と主張してきた。差別をなくすためには、まずもって公的権力による差別をなくすことが必要だと。まだまだではあるが、公的なそういう差別は、非合理であり、正義に反するために、少しずつなくされてきたことは確かだ。「在日」に対する指紋押捺の問題もクリアされてきた。

 しかし、以前なら、差別というのは公然と表出されるということはなかった。どちらかというと隠然と、隠されたかたちで差別は語られてきた。なぜか。人々は差別は正義に反するという意識を持っていたからだ。差別はいけないことだという感覚があったからだ。

 ところが、近年、差別を公然と街頭で主張したり、あるいは週刊誌やテレビなどで、公然と差別的発言を表出する者が、増えてきている。ボクはそれは品性の下落だと思うが、ひどいと思うのは、月刊誌や週刊誌のメディアなどが率先してやっていることだ。

 たとえば産経新聞社が発行している月刊誌『正論』の10月号の特集は、「韓国につける薬はあるのか」である。隣国を批判するなと言いたいのではない。批判することもあろう。だがこういう表現は、あえて対立を煽るような書き方ではないだろうか。

 一昔前までは、理性的な議論をしようという雰囲気があった。何時の頃からか、そういう雰囲気はなくなり、議論というよりも「喧嘩」のような、過激な、感情に訴えるような表現をつかったものが増えてきた。

 なぜそうなったかを考えるとき、ボクは新自由主義的な経済にぶちあたるのだ。新自由主義という、弱肉強食を原理とするような競争が社会の成員に強制されるようになり、社会の成員に余裕(ゆとり)が失われ、過密な、それでいてあまり給与が伸びていかない生活が当たり前のようになってきた。

 そういう生活に対する不満が、ラクして生きているようにみえる、たとえば公務員や、生活保護を受給している人々への怨嗟となる、さらにメディアの後押しを得て、差別的な表現をしていく、メディアが公然と差別的な表現をしているので、隠れることなく堂々と差別を叫ぶようになる。

 そこには理性的な検証や議論は皆無である。

 だが、こういう社会は、悲しい。
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聞き上手

2013-09-18 08:54:39 | 日記
 知識や情報は、メディアや書物などから得ることの方が多いが、しかし人から得ることも多い。「タテ人間」は、メディアや書物からは情報を得ることができるだろうが、他人から得ることはあまり多くはないだろう。というのも、「タテ人間」に対しては、当たり障りのないことは話すが、自分が本当に大切だと思っていることはしゃべらない。信用できないからだ。

 人間関係は、信頼によって築かれる。その信頼は、多くは会話によって獲得される。会話をすれば、その人間がいかなる人間であるかが、だいたいわかるからだ。

 ボクは、「タテ人間」に対しては、「敬」して遠ざかるか、ビジネスライクのつきあいしかしない。そういう人間から得るものは少ないし、またボクのもっている情報などはあげたくなからだ。

 信頼によって築かれた「ヨコ人間」同士の関係の中では、もちろん情報のギブアンドテイクは必要ではあるが、聞き上手というのも、とても大切だ。

 何気ない会話の中でも、そのときには気づかなくても、あとからその意味がとても深いことがわかったりして驚くことがあるが、信頼を背景にした「ヨコ人間」の関係では、勉強になることをいっぱい伝えてくれる。だから、せっかくの会話の中から、良い話しを聞くためには聞き上手にならなければならない。

 伊藤ルイさんは、おそらく聞き上手なのだろうと思う。『必然の出会い』には、人から聞いたことがたくさんしるされているのだが、その内容がとても深いのだ。

 一つだけ紹介してみよう。イギリス人の方から聞いたこと。オーストラリアの話しだ。

 オーストラリア二カ所のウラン鉱山の近くに住む原住民の間には、一つの共通するタヴーがある。この人たちは数万年の歴史をもっているといわれているのだけれど、共に『土を掘る』という行為を宗教的に禁止しているの。ここには彼らを守っている大きなイグアナが棲んでいて、人間が土を掘ると、その大きなイグアナが天に昇っていってしまう。するとそれにつれて、すべてのイグアナが天に昇ってしまう。そのときには人間はすべて死滅する、と伝えられ、そのタヴーは厳重に守られているの。

 こういう話しを聞くことができるからこそ、会話は楽しいし、貴重なのだ。そういう機会をたくさんもてばもつほど、ボクらは成長し、変わっていくことができる
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文章に唸る

2013-09-18 07:12:10 | 日記
 昨年亡くなられた市原正恵さんの遺志を継いで、ボクはこれから「9月16日」の問題に関わってく決意をしている。「9月16日」の問題というのは、様々な方面に派生していく。

 「9月16日」が起きたのは、1923年である。いわゆる「大正デモクラシー」と呼ばれる時期に起きた。大日本帝国憲法下、少しは陽がさした時代である。しかしその時期に起きた。だとすると、「大正デモクラシー」とはなんであったのか。「大正デモクラシー」の後、近代日本は中国侵略をはじめとした戦争と抑圧の時代へと変遷していくのだが、だとするなら「大正デモクラシー」とはなんであったのかを、総体的に捉えていく作業が必要だろう。もちろん、この問題意識の中には、現今の日本の状況が視野にある。

 「9月16日」は、大杉・野枝らが虐殺された日。しかし、関東大震災のさなか、朝鮮人や中国人、労働運動家も、権力(軍隊)や民間に存在した社会団体などに殺されている。この時期の権力構造はいかなるものであり、何故に彼らは殺されなければならなかったのか。

 そして「9月16日」に殺された大杉や野枝の思想や行動を辿り、評価し、考えることだ。大杉や野枝の思想は、がっちりと堅牢に構築された思想ではなく、いまだ発展途上の、開かれた無限の可能性をもったものだ。大杉や野枝の思想から学び発展させることは可能なはずだ。

 さらに「9月16日」のあと、遺された子どもたちがいた。「いた」というのは、その子どもたちは皆亡くなっているからだ。その子どもたちが、いかなる生き方をしたのか、あるいは生き方をせざるをえなかったか、それを見ることは、そしてさらに三カ所にあった彼らの墓にまつわる「物語」は、その後の日本の近現代史のあり方を知る契機になりうるのではないか。

 その一環というのではないが、今ボクは暇があれば、「9月16日」の問題に関わる本を読んでいる。そのなかで、伊藤ルイ(大杉・野枝の娘)の『必然の出会い』(影書房)に出会ったのだが、その本、内容も相まって、文章がとてもいいのだ。こういう文章を「唸る文章」というのだろう。

 記されている内容が一つ一つとても深い。今から30年も前の文章ではあるが、それぞれ普遍性をもっていて、大いに触発してくるのだ。それはおそらく、伊藤ルイの人間性がまずもってそれを可能にしているのだろうと思う。

 ボクは人間には「タテ人間」と「ヨコ人間」がいると思っている。人間との関係を、タテ関係、つまり上下関係を基本とする人間と、基本的には上下関係を気にせず、いかなる人間に対しても水平の関係で、相手に敬意をもちながら接する人間と。

 伊藤ルイは、もちろん後者。そして彼女の下へ集まってくる人たちも、そういう人たちだ。だから、会えば相互に学び合える。学び会うというその接触の場で生まれるものを、彼女は上手にすくい上げている。それも器械ではなく、自らの両手で優しく。

 そういう関係のなかからすくい上げられたものだからこそ、書かれているものが、ボクを唸らせるのだ。

 ボクには「座右の書」というものがもちろんある。その代表的な本は、ボクの思想や生き方に多大な影響をもたらした吉野源三郎の『同時代のこと』(岩波新書)であるが、この『必然の出会い』も、「座右の書」にしたくなった。

  
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