浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

想像力と決断

2013-09-12 20:41:13 | 日記
 『東京新聞』の記事である。原発事故の被災者が、宙ぶらりんの状態のままに置かれている。もう2年半だ。果たして自宅に帰って生活できるのかできないのか。そんな状態のまま、放っておかれたら、ボクならどうするだろう、どう考えるだろう、どう思うだろうか・・・、当事者となっていたらどういう行動にでるだろうか・・・といろいろ想像する。

 飯村さんの場合、おそらく帰宅できないだろうと思う。しかしこのまま避難先で同じ状態のまま置かれたら、飯村さんたちは夢や希望を持てずにただ何かを待つということしかできなのではないか。

 となると、東電や政府は、こうした人々に、「明確にあなたたちは帰宅できない、だから別の所に住んでください」などと決断すべきである。もちろん、別の場所で、フクシマでの生活が同じようにできるように、経済的にもきちんと補償してであるが。

 今のままでは、避難した人たちを放っておいて、亡くなるのを待つという、今まで日本政府が戦後補償の問題などでとってきた冷たい政策が続けられるだけだ。

 多くの国民の想像力と、それに基づいたアクションと、そして政府や東電の決断があってはじめて、この問題は動き始める。そうならないのだろうか。


震災2年半 避難先 募る絶望感

2013年9月12日 朝刊

 東日本大震災は十一日、発生から二年半を迎えた。被災地や避難先では、地震発生時刻の午後二時四十六分、遺族らが犠牲者の冥福を祈り、黙とうをささげた。警察庁などによると、九月十一日現在の死者は一万五千八百八十三人、行方不明者は二千六百五十四人。避難生活による体調悪化や自殺などを原因とした震災関連死は二千六百八十八人(三月末現在)に上る。

 「皆さんの中で本音で帰れると思う人はどれだけいるんでしょうか」。東京電力福島第一原発事故で福島県浪江町から東京都江東区の東雲(しののめ)住宅に避難した飯村長治さん(66)は先月末、都内で開かれた町議との意見交換の席で思い切って尋ねた。

 今も町民すべてが避難生活を強いられている。「長生きしても、あと十五年ほど。浪江に帰ったところで、どんな暮らしができるのか」。生まれ育ち、三人の息子を育て上げた町をそんなふうに言わねばならない無念が、胸に湧き上がった。

 海辺にあった半農半漁の家に生まれた。高校を出て地元の銀行に勤め、県内十数カ所を転勤したが、定年は浪江町で迎えた。忙しくてできなかった畑作りを始め、少しコツをつかんできたころ震災が起きた。「小さな農機具も買って。あの年はソラマメの生育が良くて、期待できるなって楽しみにしてたんだ」

 十三年前に建てた自宅は高台にあり津波被害を免れた。居間も入れて八部屋があるゆったりした家。手入れを欠かさず、震災直前には百四十万円をかけて塗装もし直したばかりだった。二年半たった今、自宅に立ち寄っても、むなしさが募る。「住めないんだって思ったら掃除してもしょうがないって。行くたびにがっかりする」

 故郷を断ち切り、中古住宅を借りるなどして、新たな暮らしを始めるべきなのか。避難者同士が顔を合わせれば、そんな話が増えた。結論は出ず、いつも堂々巡りになる。二〇一一年四月に入居が始まってから、東雲では四人の避難住民が亡くなった。うち二人は孤独死だ。

    ◇

 町は五月と七月、計一万四千七百九十三人の町民の代理となり、東電が精神的慰謝料を一人月額十万円から三十五万円に引き上げるよう、原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争手続き(ADR)を申し立てた。

 「将来設計が決まらない。目的を持てない…絶望感がぬぐえず、生き地獄とすら感じる」(三十代女性)「何もすることがなく、ただ嫌な毎日を過ごさなくてはならない」(七十代以上男性)。町が増額を求める根拠を示すために実施したアンケートには、悲鳴ともうめきともつかない声が寄せられた。

 月額十万円は、交通事故の被害者に自賠責保険から支払われる慰謝料(月額換算十二万六千円)を基準に決められる。しかも、それより低い。それを知って飯村さんも申し立てに加わった。「体のけがは、少しずつ良くなるという希望があるかもしれない。でも、私たちは時間がたてばたつほど、モヤモヤが増えてくるばかりなんです」 (小林由比)

<原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)> 福島第一原発事故を受け、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会内に設けられた機関。都内と福島県内に事務所を置き、弁護士の仲介委員が和解手続きを進める。申し立ては無料。8月までの申し立ては7500件余りで、和解に至ったのは約3800件。半年程度で和解案を示す方針だが、長引くケースも多いほか、未解決事案も多い。
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記者会見

2013-09-12 19:56:04 | 日記
 今日、16日の大杉栄らの墓前祭について、『朝日新聞』県版に載った。私が送った資料をきちんと読み込み、またコメントも理解されたもので、書いた記者の善意を感じた。感謝である。

 さて、大杉栄らの墓前祭は、10年ぶりである。このブログで紹介したら、参加したいという申し出がいくつかあった。全国から少数ではあろうけれども、注目されていることは確かである。『美は乱調にあり』を書いた瀬戸内寂聴さんも来られたことがある。

 この墓前祭について、県庁で記者たちに説明しようと、記者クラブの幹事社である静岡朝日テレビの記者に先週電話した。この件について、説明させていただく機会をつくってほしいと言ったのだが、電話口に出た記者は、記者会見の申し出を受けようとせず、ホワイトボードに集会名と連絡先を書いておきますから・・・ということで受け付けてくれなかった。

 この墓前祭については、かつて記者会見を行っていた。

 記者会見というのは、幹事社が受けるかどうかを決定する権限があるのか疑問に思った。幹事社が日程を設定して、その記者会見に参加するかどうかは、各社の判断だと、ボクは考えていた。しかし今はそうではないようだ。

 静岡朝日テレビは、取材に来なくても良いとボクは思っている。おそらく来ないだろうが・・・

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そんなにカネが欲しいのか

2013-09-12 15:56:38 | 日記
 アメリカの富裕者は、想像を超える財産をもっているという。その富裕層の財産が、どんどん増えているようだ。あたりまえである。そうなるような政策を展開してきたからで、それは日本でも同じ。

 そんなにカネがあっても、つかいようがないと思うのだが。

 これは、共同の配信。


米、最富裕層が国民収入の19% 格差、歴史的水準に

2013年9月12日 11時56分

 【ニューヨーク共同】貧富の格差が拡大する米国で、上位1%の最富裕層の収入が2012年には国民全体の19%を超し、大恐慌前年の1928年以来最大の割合となったことが11日までに判明した。上位10%の収入は全体の48・2%を占めた。AP通信が米カリフォルニア大バークリー校などの分析として報じた。

 投資による利得に課税する資本利得税の増税を前に、最富裕層が駆け込みで株式などを売却したことが一因。12年は最富裕層の収入が20%増加したのに対し、国民の99%は収入が1%しか増えず、格差が一層鮮明になった。
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桐生悠々に学ぶこと

2013-09-12 15:52:09 | 日記
 今朝『中日新聞』の社説を読んで、ふむふむ、なかなか正論を書いているではないかと思った。この姿勢を、あらゆる分野で貫徹してもらいたいと思うが・・・・・

 とくに同感したところを、線を引いたり赤字にした。すべての記者に、心してもらいたいと思う。


桐生悠々を偲んで 嵐に鳴く蟋蟀のように

2013年9月12日

 参院選での「ねじれ」解消を受け、安倍内閣本格始動の秋です。競い合うように鳴く虫たちの音。何かを告げるようで、胸騒ぎを覚える人もいるのでは。


 <蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>


 明治後期から昭和初期にかけて健筆をふるった反骨のジャーナリスト、桐生悠々(きりゅうゆうゆう)の作句です。


 悠々は、本紙を発行する中日新聞社の前身の一つである新愛知新聞や、長野県の信濃毎日新聞などで、編集、論説の総責任者である主筆を務めました。


 海外にも視野を広げた豊富な知識に基づいて藩閥政治家、官僚、軍部の横暴を痛撃する姿勢は、今も報道に携わる者の手本です。

◆報道の使命を詠む


 冒頭の句が世に出たのは一九三五(昭和十)年二月でした。


 悠々は、信毎時代の三三(同八)年、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」と題した論説で、敵機を東京上空で迎え撃つことを想定した陸軍演習の無意味さを批判します。


 日本全国が焦土と化した歴史を振り返れば、悠々の指摘は正鵠(せいこく)を射たものですが、在郷軍人会の怒りに触れ、信毎を追われます。


 悠々が戻ったのは新愛知時代に住んでいた今の名古屋市守山区でした。ここで個人誌「他山の石」を発行して、糊口(ここう)をしのぎます。<蟋蟀は…>はこの「他山の石」に掲載されたものでした。


 昭和十年といえば、中国東北部を占領した六年の満州事変、海軍の青年将校らが当時の犬養毅首相を殺害した七年の五・一五事件、国際的な孤立へと突き進んだ八年の国際連盟脱退と続く、軍部台頭の流れの真っただ中です。


 <嵐の夜>からは、そうしたきな臭い時代背景を読み取ることができます。その中にあっても<鳴き続け>る<蟋蟀>には、ジャーナリストとしての使命感や意地が込められているようです。

◆一大軍縮見る前に


 悠々は四一(同十六)年九月、太平洋戦争の開戦三カ月前に六十八歳で亡くなります。その間際まで、「他山の石」を舞台に、発行停止処分を度々受けながらも、軍部や戦時の外交・内政への批判を旺盛に続けました。


 亡くなる前、悠々自身が発送した「廃刊の辞」も発行停止処分となり、その通達が通夜の席に届けられたといいます。


 「戦後の一大軍縮を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何(いか)にも残念至極」という部分が当局を刺激したのでしょう。


 それから七十年余り。悠々が見たいと切望した一大軍縮は戦後、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」ことをうたった、新憲法の九条に結実します。


 その後、憲法解釈により、自衛のための必要最小限度の実力部隊である自衛隊が誕生しましたが、専守防衛に徹し、節度ある防衛力の整備に努めてきました。


 かつての戦争の反省に立った新憲法の平和主義は、日本の新しい「国のかたち」ともいえます。


 これを根本的に変えようというのが、安倍晋三首相率いる自民党の憲法草案です。自衛隊を「国防軍」に改組し、現行憲法では禁じられている集団的自衛権も行使できるようにするものです。


 憲法改正に至らなくても、自衛隊を強化し、内閣法制局長官を交代させてでも政府の憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を認める。これが安倍内閣の狙いです。


 イラク戦争のような米国の誤った戦争に引きずり込まれることがあっては、断じてならない。


 政府が策定作業を進める「特定秘密保護法案」も見過ごせません。安全保障上の秘密を漏らした公務員を最高十年の懲役刑に処すものですが、知る権利の制限につながりかねない内容は、弾圧の治安維持法と重なります。


 こうした動きは、戦前から戦中にかけてと全く同じではないにしろ、きな臭さを感じさせます。


 もし、権力者が国民を間違った方向に誘導するのなら、警鐘を鳴らすのは私たち報道の役目です。


 特に新聞は、政府のお先棒を担ぐようなことが再びあっては決してなりません。権力者の宣伝機関に堕し、偽りの情報を大本営発表の名の下に流して読者を欺いた、戦前から戦中にかけての誤りを繰り返してはならないのです。

◆言うべきこと言う


 悠々は「言わねばならないことを言うのは義務の履行」であり、「義務の履行は多くの場合、犠牲を伴う」とも書き残しています。身をもって導き出した教訓です。


 もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それこそが私たち報道に携わる者の義務の履行です。


 一昨日の九月十日は悠々の没後七十二年の命日でした。大先輩の業績を偲(しの)び、遺訓を胸に刻む。そんな日にしたいと思うのです。
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大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭、追悼集会

2013-09-12 09:08:51 | 日記
 以前、下記のように、表記の行事の紹介をしたところ、参加したいという方からメールなどいただきました。ご自由に参加できます。追悼集会は、静岡県近代史研究会の例会でもありますが、誰でも参加できます。問い合わせ先を記しておきます。

2013年9月16日(月)
 11:30~ 墓前祭  於:沓谷霊園
  14:00~ 追悼集会
於:静岡県総合社会福祉会館(シズウェル)6階

講演 大杉栄から受け継ぐこと

講師 大杉豊 大杉栄の弟・勇の子。東京放送(TBS)を定年退職。
著書『日録・大杉栄伝』(社会評論社、2009年)など。

報告 大杉栄らの墓前祭と静岡県近代史研究会  小池善之


主催  静岡県近代史研究会
        連絡先 水曜文庫(静岡市葵区鷹匠2-1-7)  
電話/ファックス 054-266-5376

なお9月のこの集会だけ、連絡先が水曜文庫になります。
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