夕方畑に行った。今日は、たくさんの人が畑に出ていた。ナスをとる人、芽が出たばかりのニンジンをビニールで覆ってる人など、皆忙しく働いていた。
天気予報は、この地方に台風が来ると知らせている。台風の進路から考えると、海の塩を一杯含んだ風が吹く。すると、夏野菜やニンジンの苗は、おそらく枯れてしまう。それを予想して、今日、たくさんの人が畑にでたのだ。
ボクも、大きく成長した棉花が倒れないように支柱をしっかりと立ててきた。しかし、支柱があっても、おそらく倒れる。
ところでボクは、16日に台風が来るというが、来てもらいたくはないと思っている。16日は、90年前、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一が国家権力に惨殺された日である。墓がある静岡の沓谷霊園で墓前祭を挙行することになっている。そしてそのあと、追悼集会をもつ。
台風が荒れ狂う中、墓前祭をやらなければならないのだろうか。
国家権力の暴威によって殺された三人が、今凶暴な姿を現し始めている、その暴威をボクたちに知らせようとしているのだろうか。「オマエタチハソノ暴威ニタチムカウコトガデキルカ」と。
それとも、墓前祭・追悼集会を主催する者らに苦労をさせたくないとして、台風の進路を変えてくれるのだろうか。
いずれにしても、16日という日は絶対に変えられない。たとえ嵐が来ようとも、猛暑が続いていようとも、そして参加者が少なくても、何があっても9月16日は、大杉ら三人の惨殺を想起しなければならないのである。あるいは、惨殺したその時代を振り返らなければならないし、同時に、「今」という時代を考えなければならないのである。
16日の準備は整っている。墓前祭では、赤いバラを献花することにした。赤いバラの花言葉は「情熱的」「美しさの象徴」だという。
まさに、大杉も野枝も、情熱的にそれぞれの生を生きた。
そして赤いバラが「美しさの象徴」であるとするなら、その美は「諧調」であってはならない。大杉が言うように、「乱調」のなかに美はあるはずだ。
16日、赤いバラが、献花台にそっと積まれていくのか、それとも強い風に吹き飛ばされるのか。大杉らは、墓の下で何を思う・・・・?
天気予報は、この地方に台風が来ると知らせている。台風の進路から考えると、海の塩を一杯含んだ風が吹く。すると、夏野菜やニンジンの苗は、おそらく枯れてしまう。それを予想して、今日、たくさんの人が畑にでたのだ。
ボクも、大きく成長した棉花が倒れないように支柱をしっかりと立ててきた。しかし、支柱があっても、おそらく倒れる。
ところでボクは、16日に台風が来るというが、来てもらいたくはないと思っている。16日は、90年前、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一が国家権力に惨殺された日である。墓がある静岡の沓谷霊園で墓前祭を挙行することになっている。そしてそのあと、追悼集会をもつ。
台風が荒れ狂う中、墓前祭をやらなければならないのだろうか。
国家権力の暴威によって殺された三人が、今凶暴な姿を現し始めている、その暴威をボクたちに知らせようとしているのだろうか。「オマエタチハソノ暴威ニタチムカウコトガデキルカ」と。
それとも、墓前祭・追悼集会を主催する者らに苦労をさせたくないとして、台風の進路を変えてくれるのだろうか。
いずれにしても、16日という日は絶対に変えられない。たとえ嵐が来ようとも、猛暑が続いていようとも、そして参加者が少なくても、何があっても9月16日は、大杉ら三人の惨殺を想起しなければならないのである。あるいは、惨殺したその時代を振り返らなければならないし、同時に、「今」という時代を考えなければならないのである。
16日の準備は整っている。墓前祭では、赤いバラを献花することにした。赤いバラの花言葉は「情熱的」「美しさの象徴」だという。
まさに、大杉も野枝も、情熱的にそれぞれの生を生きた。
そして赤いバラが「美しさの象徴」であるとするなら、その美は「諧調」であってはならない。大杉が言うように、「乱調」のなかに美はあるはずだ。
16日、赤いバラが、献花台にそっと積まれていくのか、それとも強い風に吹き飛ばされるのか。大杉らは、墓の下で何を思う・・・・?