浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

みのもんた、はめられた?

2013-09-17 19:53:51 | 日記
みのもんたの次男が、逮捕されて、メディアは騒いでいる。おかしいのは、8月13日に現金引き出しに失敗する姿が防犯カメラに映っていて、逮捕が9月11日だということだ。なぜ?

 次は『日刊ゲンダイ』の記事。

深まる謎…みのもんた次男は本当に盗みをはたらいたのか

2013年9月14日 掲載

 みのもんたの次男の事件のあらましはシンプルだが、実は“謎”だらけだ。
 御法川雄斗容疑者(31)は、酒に酔って路上で寝ていた男性のかばんから財布を盗み、中にあったキャッシュカードを使って東京・新橋のコンビニで現金を不正に引き出そうとした――大方の見立てはこうだ。

「ところが、男性のかばんからも財布からも、御法川の指紋は出ていません。仮に御法川が窃盗の“プロ”で、指紋が付かないように盗んだとします。そこまで周到な男がですよ、コンビニの防犯カメラに素顔がバッチリ写るようなヘマをするでしょうか?」(捜査事情通)

 御法川は「高校時代から手癖が悪くて、何度も父親にもみ消してもらっていた」(知人)なんてウワサ話もあるが、もし常習だったら財布から現金だけを抜き取り、さっさと逃走するはず。暗証番号が分からない他人のカードを使って、コンビニで現金を引き出すなんて危ない橋は渡らないだろう。逮捕してくださいと言わんばかりだ。

「事件のあった日に、御法川が男性の別のカードを使って、2万円を引き出していたなどと一部で報じられましたが、あれは完全にガセ情報。御法川が自分のカードを使って2万円を引き出しただけです。カネに困っていたわけじゃなさそうで、そもそも、みのの息子で日テレ社員で高級マンション暮らしの“セレブ”が、なぜ? それが最大の謎でしょうね」(マスコミ関係者)

 謎が多すぎて、みのが次男から聞いたという説明のほうが正しいように思えてくる。次男は〈財布がないことに気づき、2万円を引き出したコンビニのATMで、自分の銀行と同じカードを見つけた。自分のものと思って慌てて残高照会した〉などと話したという。

 とはいえ、無罪放免とはいかないようだ。
「防犯カメラに写っていた男が御法川 本人であることは確認されている。他人のカードを使おうとしたという“罪”は免れません。だから警察も有名人の息子の逮捕に踏み切れたわけです。ただ、はっきりしているのはそれだけ。男性のかばんも盗んだのかは定かじゃない。動機も謎です」(前出の捜査事情通)

 御法川は否認を続け、調書への署名も拒否しているというから、ウヤムヤのまま終わる可能性もありそうだ。


 これについて、次のブログはいろいろ推測している。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3272.html
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畑で学んだこと

2013-09-17 19:26:23 | 日記
 二日ぶりに畑に行った。まず気がついたこと。人参を植えてある畑に、三日前には生えていなかった草が、いや生えていたかも知れないが、生えているとは思えないほどの状態だったのに、何と一面に草が生えていたこと。

 雑草は、天からの雨がありさえすれば、確実に生長を果たす、ボクらが畑に行けない隙を狙って、ぐっと自らを生長させる。見事だ。

 暖かくなってからの畑作りは、常に雑草との闘いである。雑草が勝つか、それともボクらが勝つか・・・果てしない闘いが、夏中続いた。少し涼しくなってきたので、雑草も伸びないと思うと、決してそうではない。

 粘り強い闘いが必要であるということだ。

 もう一つ。

 畑に植えてある棉花は大きく生長している。台風が来るというので、支柱をしっかりと立てておいた。しかし今日見たら、すべて倒れていた。

 ところが、二本だけ、太くて長い支柱と短い支柱の二本で支えていたものがある。その一本が折れていた。そしてもう一本は、支柱が折れていた。この二本は、あの台風の風に立ち向かい、力尽きたのだろう。

 他のものは、実家の裏に生えている竹で支えていた。これらはすべて倒れていたし、数本の竹は折れていた。おそらくあの強風には、とても立ち向かうことはできないままに早い段階で折れ、棉花も倒れたのだろう。

 今日、竹を持参して、倒れている棉花をおこした。

 倒れていれば、また起こせば良い。しかし折れてしまえば元も子もない。

 剛には、柔軟に対応した方がよい、ということだろう。
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嵐の後

2013-09-17 09:04:07 | 日記
 朝から抜けるような青空。雲一つない。嵐が空の雲をまとめて持ち去ったようだ。静かな穏やかな一日が始まる。

 昨日、『華氏 451度』(ハヤカワ文庫)が、届いていた。焚書官モンターグの仕事は、世界が禁じている“本”を見つけて焼き払うことである。そして人々は、ラジオやテレビから流されるものを無条件に受け容れる。そういう世界の話しだ。

 オーウェルの『1984年』にしても、管理社会に警鐘を鳴らすもの。

 現在はどうなのだろう。同じような状況があっても、現在は国民に知られないように、静かに管理社会が実現している。

 なぜ知られないのか。

 おそらく国民が、そういう社会にみずから「自主的に」入り込んでいるからだ。疑問を持たないまま。

 嵐がやってくると、勿論人々はそれに対処しようと躍起になる。だが、襲い来る嵐ではなく、知らず知らずにやってくる「変化」には気づかない。その「変化」が積もり積もって、嵐の時と同じような状況をつくりだすかも知れない。

 嵐はいずれ去って行くが、積もり積もった「変化」は、容易には消えてなくならない。その「変化」に気づくとき、手遅れとなる。
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