浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

自然のなかで生きる

2016-04-05 20:28:45 | その他
 ボクは政治の動向に敏感に反応しながら生きているが、しかし本当は政治のことなんか考えないで生きていくことのほうが、幸せだ。

 久しぶりに畑に行き、菜花を摘み、ほうれん草を収穫し、大きくなったタマネギのあいだにはえている雑草を抜き、いただいた白菜の苗を植える。そして畑の上を乱舞するモンシロチョウを眺めながら、とりとめのない話を畑仲間とする。

 現代社会は都会に生き、どこかの会社に勤め、夕方になって帰宅して家庭生活を送る。そうした生活が一般的なのだろうが、前近代においてはほとんどの人は農業に従事していた。

 人々は、自然の恵みと、労働、当時は厳しく過酷なものだっただろうが、自然の移ろいに逆らわず、自然の恩恵に浴しながら生きていたはずだ。

 家族が食べられるだけの食料が生産され、したがって食うに困ることなく、少しの生産物を販売してカネに換え、最低限必要なものを買い整える。自らの成り立ちが侵されたとき、時には一揆を起こす。

 みずからの生活を拡大するのではなく、先祖から受け継いだ生き方を生き、それを自らの子孫に伝えていく。

 それでは発展しないではないかといわれるだろうが、しかし、発展や成長は「善」なのだろうか。自然に囲まれ、自然とともに生きていくことはすばらしいことではないかと思う。

 今ボクは、いろいろな種を蒔く。少しずつ暖かくなる気候に、種の袋に書かれている発芽温度に注意しながら順次蒔いていく。しばらくすると、芽がでる。今日は細ネギと金蓮花の新芽を見つけた。それは、喜びなのだ。

 前近代の農民は、そうした喜びを日々体験しながら生きていた。政治は、日常的には遠い世界の話であったが、時に自らの生活の「成り立ち」が難しくなったときには、政治を引き寄せて闘う。

 近世の民衆思想史を研究していた安丸良夫氏が亡くなられたという。面識はないが、著作にはいろいろなことを教えられた。民衆の生活に寄り添い、民衆の生活に即した思想を発見された。

http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=58dd7c4933349c69e08857ccf6f67094&p=1&disp=30
 
 春の風が吹き、寒さを気にしなくなった小鳥たちがさえずりながら飛び回る。モンシロチョウは、どこに卵を産み付けるか探しながら舞い続ける。水仙が咲き、収穫しなかった大根からは白い花が咲き乱れる。

 生きとし生けるもの、自然の中から生まれ育ち、そして一定の時期が過ぎると去って行く。

 自然の摂理にしたがって生きていくこと、それは民衆の生き方でもあるのだが、それを再発見する時代が来ているように思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016-04-05 09:33:08 | その他
 針葉樹林はおもしろみがない。広葉樹こそ、日本の自然にふさわしいと思う。山の中を車で走っていると、春を感じる。

 昨年葉を落とし、寂しくなっていた木々に新芽が出て、少し賑やかになっている。新芽の色は、緑を基調にしながら、様々な色をつくりだし、モコモコと豊かな葉を茂らしていく。まったく派手ではない。しかし針葉樹のように、単調ではない。その単調でないさまがいいのだ。

 桜も満開である。きれいではあるが、ボクは広葉樹がモコモコと新芽を出しているほうがいい。桜でも、山桜がいい。見てくれとばかりに咲き誇っている桜は、どうもね・・・

 今朝は、スイカと百日草の種を蒔いた。もうすでにスイカやキュウリなどの苗が売られている。しかしそれらは、今が種まきのシーズンなのである。種苗業者は、自然の移ろいを強引につくりだして芽を出させる。

 自然はつくりかえられていく。しかし、自然の移ろいに身を任せながら生きていくのがよいのだろう。

 ボクは、畑で作業しているときがいちばん好きだ。人間たちがいるところには、どこでも自己主張の強い人がいて、自慢をする。そういう自慢を聞くのは好きではない。ボクにとって、すごいなあと思う人はたくさんいる。でもそういう人は、自己主張しない。自己主張しなくても、その人がすごい人間であることは、ボクを含めてまわりの人間がおのずから認識していく。

 「僕ってすごいでしょ、すごいでしょ・・」と言いながら、悪文を平気で書き散らす人がいる。


 自然のうつろいとともに生きていく。

 雑草も季節ごとに変化する。今はスギナの真っ盛りだ。しかしだんだん暖かくなると、それも消えていく。毎年毎年、同じ時期に変わることなく雑草が生え、季節の変化に合わせてほかの雑草に場所を譲っていく。

 人間も同じだ。70~80年間を生きて、次の時代を生きる人間に場を譲っていく。

 アメリカでは、富豪らが、不老長寿の薬をひたすら追い求めているのだという。そういえば、中国の皇帝もそうであった。無理をするな。人間も自然の中から生まれ、自然に還っていくのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする