ボクは政治の動向に敏感に反応しながら生きているが、しかし本当は政治のことなんか考えないで生きていくことのほうが、幸せだ。
久しぶりに畑に行き、菜花を摘み、ほうれん草を収穫し、大きくなったタマネギのあいだにはえている雑草を抜き、いただいた白菜の苗を植える。そして畑の上を乱舞するモンシロチョウを眺めながら、とりとめのない話を畑仲間とする。
現代社会は都会に生き、どこかの会社に勤め、夕方になって帰宅して家庭生活を送る。そうした生活が一般的なのだろうが、前近代においてはほとんどの人は農業に従事していた。
人々は、自然の恵みと、労働、当時は厳しく過酷なものだっただろうが、自然の移ろいに逆らわず、自然の恩恵に浴しながら生きていたはずだ。
家族が食べられるだけの食料が生産され、したがって食うに困ることなく、少しの生産物を販売してカネに換え、最低限必要なものを買い整える。自らの成り立ちが侵されたとき、時には一揆を起こす。
みずからの生活を拡大するのではなく、先祖から受け継いだ生き方を生き、それを自らの子孫に伝えていく。
それでは発展しないではないかといわれるだろうが、しかし、発展や成長は「善」なのだろうか。自然に囲まれ、自然とともに生きていくことはすばらしいことではないかと思う。
今ボクは、いろいろな種を蒔く。少しずつ暖かくなる気候に、種の袋に書かれている発芽温度に注意しながら順次蒔いていく。しばらくすると、芽がでる。今日は細ネギと金蓮花の新芽を見つけた。それは、喜びなのだ。
前近代の農民は、そうした喜びを日々体験しながら生きていた。政治は、日常的には遠い世界の話であったが、時に自らの生活の「成り立ち」が難しくなったときには、政治を引き寄せて闘う。
近世の民衆思想史を研究していた安丸良夫氏が亡くなられたという。面識はないが、著作にはいろいろなことを教えられた。民衆の生活に寄り添い、民衆の生活に即した思想を発見された。
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=58dd7c4933349c69e08857ccf6f67094&p=1&disp=30
春の風が吹き、寒さを気にしなくなった小鳥たちがさえずりながら飛び回る。モンシロチョウは、どこに卵を産み付けるか探しながら舞い続ける。水仙が咲き、収穫しなかった大根からは白い花が咲き乱れる。
生きとし生けるもの、自然の中から生まれ育ち、そして一定の時期が過ぎると去って行く。
自然の摂理にしたがって生きていくこと、それは民衆の生き方でもあるのだが、それを再発見する時代が来ているように思う。
久しぶりに畑に行き、菜花を摘み、ほうれん草を収穫し、大きくなったタマネギのあいだにはえている雑草を抜き、いただいた白菜の苗を植える。そして畑の上を乱舞するモンシロチョウを眺めながら、とりとめのない話を畑仲間とする。
現代社会は都会に生き、どこかの会社に勤め、夕方になって帰宅して家庭生活を送る。そうした生活が一般的なのだろうが、前近代においてはほとんどの人は農業に従事していた。
人々は、自然の恵みと、労働、当時は厳しく過酷なものだっただろうが、自然の移ろいに逆らわず、自然の恩恵に浴しながら生きていたはずだ。
家族が食べられるだけの食料が生産され、したがって食うに困ることなく、少しの生産物を販売してカネに換え、最低限必要なものを買い整える。自らの成り立ちが侵されたとき、時には一揆を起こす。
みずからの生活を拡大するのではなく、先祖から受け継いだ生き方を生き、それを自らの子孫に伝えていく。
それでは発展しないではないかといわれるだろうが、しかし、発展や成長は「善」なのだろうか。自然に囲まれ、自然とともに生きていくことはすばらしいことではないかと思う。
今ボクは、いろいろな種を蒔く。少しずつ暖かくなる気候に、種の袋に書かれている発芽温度に注意しながら順次蒔いていく。しばらくすると、芽がでる。今日は細ネギと金蓮花の新芽を見つけた。それは、喜びなのだ。
前近代の農民は、そうした喜びを日々体験しながら生きていた。政治は、日常的には遠い世界の話であったが、時に自らの生活の「成り立ち」が難しくなったときには、政治を引き寄せて闘う。
近世の民衆思想史を研究していた安丸良夫氏が亡くなられたという。面識はないが、著作にはいろいろなことを教えられた。民衆の生活に寄り添い、民衆の生活に即した思想を発見された。
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=58dd7c4933349c69e08857ccf6f67094&p=1&disp=30
春の風が吹き、寒さを気にしなくなった小鳥たちがさえずりながら飛び回る。モンシロチョウは、どこに卵を産み付けるか探しながら舞い続ける。水仙が咲き、収穫しなかった大根からは白い花が咲き乱れる。
生きとし生けるもの、自然の中から生まれ育ち、そして一定の時期が過ぎると去って行く。
自然の摂理にしたがって生きていくこと、それは民衆の生き方でもあるのだが、それを再発見する時代が来ているように思う。