共同通信が下記の記事を流したが、共同通信のホームページからは消えてしまった。『琉球新報』ホームページには、共同配信として載せられているので、載せておく。
67年米軍トップが辺野古に照準 新基地承認文書、移設先で参考か
2016年4月4日 02:01
当時のホイーラー米統合参謀本部議長がマクナマラ国防長官に宛てた覚書のコピー。「久志湾を埋め立てた滑走路」などと記述されている
沖縄県が本土に復帰する前の1967年に、名護市辺野古沖を埋め立て、3千メートル級の滑走路を2本備えた大規模な基地を建設する計画を、米軍制服組トップの統合参謀本部議長が承認していたことが3日、分かった。共同通信が機密解除された米公文書を入手した。
この計画は米設計会社が66年に海軍へ提出した「マスタープラン」として知られているが、軍中枢が決裁した事実を示す資料が確認されたのは初めて。日米両政府による96年4月の普天間飛行場(宜野湾市)返還合意から12日で20年。辺野古は、半世紀前に米軍が新基地建設地として正式に照準を定めていた実態が浮かび上がった。
(共同通信)
67年米軍トップが辺野古に照準 新基地承認文書、移設先で参考か
2016年4月4日 02:01
当時のホイーラー米統合参謀本部議長がマクナマラ国防長官に宛てた覚書のコピー。「久志湾を埋め立てた滑走路」などと記述されている
沖縄県が本土に復帰する前の1967年に、名護市辺野古沖を埋め立て、3千メートル級の滑走路を2本備えた大規模な基地を建設する計画を、米軍制服組トップの統合参謀本部議長が承認していたことが3日、分かった。共同通信が機密解除された米公文書を入手した。
この計画は米設計会社が66年に海軍へ提出した「マスタープラン」として知られているが、軍中枢が決裁した事実を示す資料が確認されたのは初めて。日米両政府による96年4月の普天間飛行場(宜野湾市)返還合意から12日で20年。辺野古は、半世紀前に米軍が新基地建設地として正式に照準を定めていた実態が浮かび上がった。
(共同通信)