浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

二俣事件

2016-04-10 09:02:34 | その他
 静岡県は、「えん罪のデパート」といわれるくらいに、えん罪事件が多い。現在も最終的に解決されてはいない袴田事件もそうだが、二俣事件、幸浦事件、島田事件、丸正事件・・・。

 その二俣事件について『中日新聞』が連載している。静岡県のえん罪事件については、『日本の刑事裁判』(岩波新書)にその一部が記されている。記事は、清瀬一郎『拷問捜査』を援用しているが・・・
 いずれにしても、物的証拠ではなく、取り調べにあたった警察官は、何が何でも自白をとることに熱心であった。もちろんそのためには、拷問や利益誘導など、ありとあらゆるを手段をとった。

 日本国憲法には、こうある。

第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

 戦後日本においては、自白証拠だけでは有罪にされないと、憲法にあるにもかかわらず、有罪判決が下される。つい先日も、「栃木小1女児殺害事件」で勝又被告に求刑どおり無期懲役の判決が裁判員裁判で下されたが、憲法の趣旨からすれば無罪にされるべき事案である。

 この事件では、取り調べの一部が「可視化」された。しかし、すべての取り調べが公開されたわけではなく編集されたものが見せられたのである。たとえ自白した箇所が可視化されても、ボクはにわかには信用できない。刑事事件において、今までの警察や検察が行ってきた取り調べの実態を想起すれば、そのまま信用することはありえない。



 この記事中、袴田事件の巌さんの姉、秀子さんが自宅近くの交差点にいたとき、初老の女性から話しかけられたという箇所があった。その女性は、幸浦事件の犯人とされた人の姪であった。ボクは幸浦事件については、当該自治体史に書いたことがあるが、その際地元の名士から、「私は今でも犯人とされた人がやったと思っている」といわれたときに、驚いたことがある。

 本当の犯人が逮捕されていればそういうこともなくなるだろうが、えん罪で逮捕されるということは、無罪となってもいつまでも白い目で見られるということでもある。

 記事に、二俣事件で「この少年は犯人ではない」と法廷で証言した警察官・山崎兵八さんのことが記されている。そのことで、山崎さんは偽証容疑で逮捕され職を追われた。同時に居住する地元で、家族に対する様々な迫害があったと記されている。

 二俣事件などえん罪事件に関わった紅林警部補は、あちこちでえん罪事件の当事者となっている。そういう刑事の責任が問われず、取り調べにあたり真犯人でないとした警察官が迫害されるという現実。

 人々は、警察権力とか権力を、即自的に信用する傾向がある。権力を疑うという、あるべき姿勢が残念ながらない。そうした「国民性」がえん罪を生み出す下地にもなっているように思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする