この対談を読む。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160424-00115149-toyo-soci
昨日、某家に資料調査に行った。その際、ご当主のW氏から、農業で「自然に対する謙虚さ」を学ぶという話が出た。
仕事を辞めてから、再任用という制度で働いている方々から、「何してるの?やることないなら働いたら?」などと言われる。いやいや、畑の仕事や講座の準備などで、忙しい日々を過ごしている。そういう質問をする方々こそ、今までやっていた仕事しかないから、時間をつぶし、少しのカネを稼ぐために同じ仕事で働いているのだろうと思ってしまう。他にやることないの?と、のどまで出かかってしまう。
近在の畑、何も作らず雑草に覆われているところを見る。誰かやればいいのに。ボクはもう、2教室以上の面積をつかって野菜を作っている。これ以上は増やせない。
今日はタマネギを抜く。一昨日、葉が枯れかかっているタマネギを抜いたら、根のところが腐っていた。近くの農家に持って行ったら、今年の気候は寒暖が激しくていつもと違うから、「葱坊主」が出たりしている、だからもう全部とってしまえといわれた。本当はまだ収穫の時期ではないのだが。
農業はおもしろい。同じようにやっていてよい作物ができるときとそうでないときがある。なぜ?長い間農業をしている方々はその理由を推測できるのだが、素人であるボクはわからない。まさに謙虚にならなければならない。自然に対して、先達に対して。
パチンコの前を通ると、その駐車場はいつもいっぱいだ。ここにいる人たちが農作業をするようになったら、登いつも思う。
先ほど紹介した対談にこの一節があった。
平田:・・・海外に目を転じると、子育て世代のために様々な優遇政策がとられています。たとえばフランスでは、子どもを三人以上もつ親は、美術館などの文化・レジャー施設の料金が大幅に割り引きされます。これは子どもと一緒でなく、親がひとりで利用するときでも適用されます。子育て中であっても、子どもにかかりきりになるのではなく、演劇や美術、映画や音楽といった「文化」に触れる機会を失わないように配慮しているんです。
■ 文化や芸術に接する権利を軽視している
藤田:欧州は「生存権」をとても大事にしているのでしょう。そもそも生存権とは、単に生きているだけではなく、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利のことです。しかし日本の場合は、そうした文化や芸術に接する権利を軽視している。生活保護を受けている人がコンサートに行ったり、映画を見たりしていたら、「生活保護のくせに、ぜいたくだ」などと言われてしまう。
日本では、文化を享受するためには多額のカネを費やさなければならない。クラシックコンサートのチケット代もかなり高い。
イギリスに行ったとき、「喜歌劇こうもり」のチケットが安かったので観劇したことがある。高い、という感覚はなかった。日本では後ろの座席でも8000円以上だ。
幼いときから、日本人は文化や芸術を享受する時間的・経済的余裕のない生活に生きる。だから、年齢を重ねて何もなくなったとき、何をしたらよいかがわからず、パチンコなどに時間を費やす。
生活保護の人がパチンコをしていると、通報されるという条例をつくったところがある。しかし、パチンコではなく、ゆとりある時間を有効につかう手立ては示されない。自分で探せ、という声もあるだろうが、仕事仕事で生きてきた人に、文化や芸術を享受する生活は馴染みがないのだ。
フランスのように、人生を文化的に豊かに生きる生活を、国全体で保障する、そういう社会にすべきだ。今は、さらに悪くなっているが、まだまだ日本には、改められなければならないことがたくさんある。