今日は久しぶりの雨である。昨日夕方、それを見越して畑にいろいろな苗を植えた。あまりに雨が降らないと、苗を植えつけても枯れてしまう。雨が降らないと1日2回水遣りをしないといけない。しかしその水遣りも、少しだけだと土の表面を濡らす程度である。雨は、土全体に水をしみこませる。雨なしの農業は考えられない。もちろん水耕栽培という、いつでも水があるという栽培方法もある。いずれにしても、水なしに植物は生長しない。
それと同じように、人間には読書が必要だ。人間の属性として「考える」という行為がある。その「考える」という行為の結果を、つぎには語る、書くというように、「表現する」ことが行われる。多かれ少なかれ、人間は「考え」、「表現する」。
「表現する」ということは、みずからの内面を外に出す、
outputする、出力するのだが、出力するためには、
inputする、入力することがなければならない。その入力の最大のものが、読書なのである。読書をしている人との会話は楽しく、また発展がある。
だから読書は欠かせない。
さて、山川菊栄は、本書でこう記している。
選挙権が拡張される場合、新しい有権者が男子でも女子でも、ただ選挙権を持つだけで政治が革新され、民主主義がおこなわれるものではありません。そこに政治教育の必要があり、組織の必要があります。言論、集会、結社の自由を与えずにただ選挙権だけ与え、棄権することが恐るべき罪悪であるかのようにいって盲目的に投票することを強いれば、男子でも、婦人でも既成政党のエサになるにきまっています。私たちは、参政権をどういう目的のために要求するか、その点を出発点からはっきりしておく必要をみとめていました。
昨日紹介したコラムの中に、安倍政権が公正さや民主主義を振り捨てて行った蛮行の数々が明らかになっても、若者の安倍内閣支持率が50㌫以上あるという記述があった。狂暴な安倍内閣と通ずる心性が若者に存在しているのだろうと思う。
昨日、
若者の6割以上「インターネット空間が自分の居場所」 内閣府調査で明らかにという記事が目についた。
ネットの世界に記されているものは、ほとんどすべて短い文である。そうした短文は、結論のみが記される。なぜそういう結論に至ったのかを縷々説明するためには、長い文が必要となる。長い文を読まないと、思考力や論理性が育たない。
読書なしに、健全な社会はありえないと思う。
この本のように、「大日本帝国」を生きてきた女性が、みずからの来し方を振り返る時、そこには豊かな栄養がある。そうした栄養を吸収して、私たちはよりよい社会を築いていこうとしなければならない。
山川も、
人間はあらゆることを見たり、聞いたり経験したりすることのできるものではなく、その範囲は極めて狭いのですから、他人の知識や経験によってそれを補わなければならぬ。それを提供するのが書物なのです。
と記している。同感である。