浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

安倍についている政治家の本性

2017-06-21 18:44:23 | その他
 元官僚の豊田真由子、そして義家。

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/06211700/

http://news.livedoor.com/topics/detail/13229996/

 なかなかすごい人たちではある。
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遮二無二進む安倍政権

2017-06-21 17:25:06 | その他
 ウソをついても、デタラメを言っても、居直っても、どういうことからか万能感を持った安倍首相。自民党公明党、そして維新という集団を背景に、「戦後レジーム」の破壊に突き進む。

 国民は、そういうことに関心を持たない、いずれ忘れるという「確信」(?)のもとに、突き進む。

 『信濃毎日新聞』コラム。



斜面

加計(かけ)学園をめぐる通常国会の質疑で記憶に残る場面がある。3月13日の参院予算委。社民党の福島瑞穂氏が質問した。国家戦略特区を利用し今治市に獣医学部を新設する学園の理事長は総理の友人だ。行政がゆがめられていないか、と

   ◆

安倍晋三首相は答弁席に資料を放り出して言い放った。「確証がなければ、その人物に失礼ですよ。政治的な力を加えたかの質問ですね。あなた責任取れるんですか。これ全く関係なかったら」。福島氏が「どう喝するのか」と反発したのも無理はない

   ◆

学園理事長は本紙「首相動静」に2013年11月から16年12月まで13回登場する。ゴルフや会食の相手だ。親しい関係が獣医学部新設に有利に働いたのか。証言や文書が示唆する「官邸の意向」の正体は何か。疑惑の追及から逃げるように政府・与党は国会の幕を強引に下ろした

   ◆

内閣支持率の急落を受け、首相は記者会見で「深く反省する」と低姿勢をみせた。だが言葉の端々に「印象操作」をした野党に責任がある、とにじませている。支持率については「こんなものでしょう」と漏らしたという。嵐が過ぎ去るのを待つ作戦か

   ◆

国民の目をそらすのも巧妙だ。特区制度など岩盤規制の改革には抵抗勢力が存在する。自ら先頭に立ち、ドリルの刃となってあらゆる岩盤規制を打ち破っていくと威勢がいい。「人づくり革命」なる宣伝文句もぶち上げた。9条改憲の悲願を見据え手段を選ばない衣の下のよろいがのぞく。

(6月21日)


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【本】ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)

2017-06-21 14:23:30 | その他
 読みたいと強烈に思っていた本。しかし値段が2400円+悪税。そこで公共図書館から借り出した。予約してからかなり経過していた。それだけ読みたいと思っている人が多いのだ。私は昨日借りてきて、今日読み終えた。私の後には、13人がついている。早く返却しなければ。

 すばらしい本だ。観察力といい、そこから生み出される思考の結果といい、またふと記されることばといい、時に唸らせるような内容である。私は彼女の本をほぼすべて読んだ。

 本書の「あとがき」の最後の文。

 地べたにはポリティクスが転がっている。

 彼女は、イギリスの地べたがそのまま現れる底辺託児所と緊縮託児所の姿を通して、イギリスの現実を捉える。そしてその現実を分析して、それを淡々と記していく。地べたに生きる人間や子どもの姿は、いろいろなことを教える。そして最後に教えられたことは、尊厳ということである。しかしそれはキレイ事としての尊厳ではない。「アナキズムと呼ばれる尊厳」なのだ。

 欧米では尊厳は薔薇の花に喩えられるが、あのアナキズムは理想の国に咲く美しい花でも、温室から出したら干からびて枯れてしまうようなひ弱な花でもない。
 それは地べたの泥水をじくじく吸い、太陽の光などを浴びることがなくとも、もっとも劣悪な土壌の中でも、不敵にぼってりと咲き続ける薔薇だ。


 人間が生きるということはどういうことか。いかなる状況においても、這いずり回りながらでも、生きていくこと、それこそが尊厳なのだという。そしてそれが目の前にある現実なのだ。

 その人間たちは、政治に左右される。

 政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ。
 そう私が体感するようになったのは、託児所で出会ったさまざまな人々が文字通り政治に生かされたり、苦しめられたり、助けられたり、ひもじい思いをさせられたりしていたからだ。(282)


 政治は、底辺に生きる人々を生かしたり、そういう人々を消したり、託児所を閉鎖させたりする。

 さて、私は本書からいろいろ教えられた。

 1980年代は、新自由主義の経済政策が冷酷にも開始された頃だ。イギリスではサッチャーという女性が鉄腕をふるった。

 みかこは、こう書く。

 英国に住んで彼女(サッチャー)が犯した罪とは本当は何だったのかがわかった気がする。それは、経済の転換によって犠牲になる人々を敗者という名の無職者にし、金だけ与えて国畜として飼い続けたことである。・・・人間というものは、「希望」というものをまったく与えられずに飯だけ与えられて飼われると、酒やドラッグに溺れたり、四六時中顔をつきあわせなければならない家族に暴力を振るったり、自分より弱い立場の人々(外国人とか)に八つ当たりをして、画一的に生きてしまうもののようだ。(30)

 なぜか。それは「セルフ・リスペクトを失う」からだ。イギリスの政治は、「セルフ・リスペクトを失」った人々を大量に創り出し、そして保守政権は彼らを捨てた。「自力で立ち上がれ」といいながら。だが、「セルフ・リスペクト」を失った人々は、みずからの力で立ち上がることはできなかった。

 現代の国家というものはあまりに金融機関化しすぎており、投資だの金利だの資本だのといった問題ばかりに囚われていて、人民を忘れている。(49)

 階級を昇っていくことが、上層の人々の悪癖を模倣することであれば、それは高みではなく、低みに向かって昇っていくことだ。(65)

 「どんなプアでも、過去より未来のほうがよくなるんだと信じられる人々のほうが幸福度は高い。」(81)

 「レイシズムはやめましょう」「人類みな兄弟」とプラカードを掲げていくら叫んでもできることはたかが知れている。社会が本当に変わるということは地べたが変わるということだ。地べたを生きる人々が日常の中で外国人と出会い、怖れ、触れ合い、衝突し、ハグし合って共生することに慣れていくという、その経験こそが社会を前進させる。それは最小の単位、取るに足らないコミュニティの一つから淡々と始める変革だ。この道に近道はない。(85~6)

 イギリスの保育施設のルーツは、マーガレット・マクミランという人だった。彼女は社会主義者、フェビアン協会のメンバーだったという。上層階級の子どもたちと同様に、「遊びと教育」と健康的環境を労働者階級の子どもたちにも、ということで、保育学校をつくったのだという。(97)
 社会主義思想の素晴らしさが、ここにもある。

 日英の保育士の配置基準についても言及されていた。
日本
 〇歳児      保育士1:子ども3  
 一歳児、二歳児     1:6
 三歳児         1;20 
 四歳児 五歳児     1:30 

英国
 〇歳児 一歳児     1:3
 二歳児         1:4
 三歳児 四歳児     1:8

 こうした基準によって、日本で失われているものをみかこは挙げている。

 決断力。クリエイティヴィティ。ディペートする力。(114) 

 英国社会における階級の流動性は失われた、とみかこは指摘する。

 いまや英国の労働者階級の若者たちは「チャヴ」と呼ばれてクールどころかダサい社会悪とされ、流行のカルチャーは戦前のようにミドルクラスの若者たちから発信されている。(134)

 英国の緊縮財政の下で、カサカサしているのは、

 「みんな余裕がないからよ、少ないシェアの取り合いになって、そのシェアがどんどん減っていくから」 それをみかこは、「心のデフレ」という。(139)

 solidarity(団結)への郷愁。ソリダリティはいいことなのだという、solidarityの復権を。

 人間が結束することをすべて駄目化する形で庶民は分割統治されてきた。(146) 

 みかこが働いていた託児所。

 人は大人になると仕事をするのがふつう。どうして?一家は勤労する親の収入で生計を立てるのがふつう。どうして?子どもには父親がいて母親がいるのがふつう。どうして?両親は異性なのがふつう。どうして?
 どうして?と疑わずにはいられないような家庭環境で育っている子どもたちや、どうして?と疑う人が社会に増えればいいという思想を持つ人々の子どもたちが通っていたのがこの託児所だった。(171)


 託児所の責任者アニーは、こう語っていたそうだ。

「・・空疎な言葉だけど、人はその気になればどんなことでも大丈夫にできるんです。人間の偉大さはそれに尽きる」(174)

 笑っている限り、私たちは負けていないのだ。(179)

 この指摘は実感。

「力」というものの中には、きっと実際の作業をする能力というのはあまり含まれておらず、自己プロやネットワーキングを行う手腕といった「作業換金力」が80パーセントから90パーセントなのだろう。(234)

 以上。本書にはたいへん考えさせられ、また教えられた。地べたから考えること、これはとても重要なコンセプトであると思う。

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「ultra-nationalist」たちの蛮行

2017-06-21 12:26:48 | その他
 政界でも、官界でも、ultranationalistたちが、私的利益確保に権力を使っているが、神社本庁という同類項でも、同様のことが起きているようだ。彼らは、fair(公正さ)ということばを知らない。思い立ったら吉日とばかりに、私的利益のために奔走する。手続きなんて何のその。

 週刊ダイヤモンドの記事。

http://diamond.jp/articles/-/132516?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor

 その渦中の人物が「転勤」した先は、宇佐八幡宮。この神社では、最近、南北朝の時代から宮司を務めてきた到津家を排斥して、神社本庁が乗っ取った事件があった。
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【本】山川菊栄『20世紀を歩む』(大和書房)

2017-06-21 07:03:13 | その他
 今日は久しぶりの雨である。昨日夕方、それを見越して畑にいろいろな苗を植えた。あまりに雨が降らないと、苗を植えつけても枯れてしまう。雨が降らないと1日2回水遣りをしないといけない。しかしその水遣りも、少しだけだと土の表面を濡らす程度である。雨は、土全体に水をしみこませる。雨なしの農業は考えられない。もちろん水耕栽培という、いつでも水があるという栽培方法もある。いずれにしても、水なしに植物は生長しない。

 それと同じように、人間には読書が必要だ。人間の属性として「考える」という行為がある。その「考える」という行為の結果を、つぎには語る、書くというように、「表現する」ことが行われる。多かれ少なかれ、人間は「考え」、「表現する」。

 「表現する」ということは、みずからの内面を外に出す、outputする、出力するのだが、出力するためには、inputする、入力することがなければならない。その入力の最大のものが、読書なのである。読書をしている人との会話は楽しく、また発展がある。

 だから読書は欠かせない。

 さて、山川菊栄は、本書でこう記している。

 選挙権が拡張される場合、新しい有権者が男子でも女子でも、ただ選挙権を持つだけで政治が革新され、民主主義がおこなわれるものではありません。そこに政治教育の必要があり、組織の必要があります。言論、集会、結社の自由を与えずにただ選挙権だけ与え、棄権することが恐るべき罪悪であるかのようにいって盲目的に投票することを強いれば、男子でも、婦人でも既成政党のエサになるにきまっています。私たちは、参政権をどういう目的のために要求するか、その点を出発点からはっきりしておく必要をみとめていました。

 昨日紹介したコラムの中に、安倍政権が公正さや民主主義を振り捨てて行った蛮行の数々が明らかになっても、若者の安倍内閣支持率が50㌫以上あるという記述があった。狂暴な安倍内閣と通ずる心性が若者に存在しているのだろうと思う。

 昨日、若者の6割以上「インターネット空間が自分の居場所」 内閣府調査で明らかにという記事が目についた。

 ネットの世界に記されているものは、ほとんどすべて短い文である。そうした短文は、結論のみが記される。なぜそういう結論に至ったのかを縷々説明するためには、長い文が必要となる。長い文を読まないと、思考力や論理性が育たない。

 読書なしに、健全な社会はありえないと思う。

 この本のように、「大日本帝国」を生きてきた女性が、みずからの来し方を振り返る時、そこには豊かな栄養がある。そうした栄養を吸収して、私たちはよりよい社会を築いていこうとしなければならない。

 山川も、

 人間はあらゆることを見たり、聞いたり経験したりすることのできるものではなく、その範囲は極めて狭いのですから、他人の知識や経験によってそれを補わなければならぬ。それを提供するのが書物なのです。

 と記している。同感である。

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