台風21号が近づいている。雨はあまり降ってはいないが、徐々に風が強くなってきた。あらしが来る。あらしをのりこえなければならない。風が唸るように通り過ぎていく。そんなときには、古典に親しむのがよい。精神的に落ち着くのだ。
E・H・ノーマンの『クリオの顔』(岩波文庫)に、こう記されている。
自由の歴史がたどる道は決してまっすぐな一本道ではなく、むしろ曲がりくねった道であって、ときには袋小路に入り込み、そこからまた苦しい回り道をしなければならないのであります。改革者や自由の戦士たちがはじめに意図したことが、それ自体としては、彼らの理想が裏切られるのを必ずしも十分に阻止できなかったからといって、そのために将来の戦いもすべて無駄であり、また幻滅であると考えるならば、それは卑劣な降伏であり、自由の敵を利するにすぎないでありましょう。反対に、過去の期待はずれや挫折の教訓からこそ、後の自由のための指導者たちは自由実現の試みにいっそう確実な基礎づけを与えることを学んできたのであります。
いま、現代の世界史において明らかなことが一つあるとすれば、それは自由は我々を取り巻く空気のように不変なまた確実なものではないということです。自由は意識的にかちとらなければならないもの、熱心に守らなければならないものである。自由はそれが永らく勢力を持っていた国においても、これをおろそかにしたり冷淡であったりするならば、失われてしまうことがあり得るものです。ですから、自由のための戦いは、いつも目覚ましい形や激しい形をとる必要はないにしても、たえず継続しなければならない。それは冷淡と無関心と冷笑癖に対する戦いであって、大体において地味ではあるけれども、重大な戦いなのであります。
E・H・ノーマンの『クリオの顔』(岩波文庫)に、こう記されている。
自由の歴史がたどる道は決してまっすぐな一本道ではなく、むしろ曲がりくねった道であって、ときには袋小路に入り込み、そこからまた苦しい回り道をしなければならないのであります。改革者や自由の戦士たちがはじめに意図したことが、それ自体としては、彼らの理想が裏切られるのを必ずしも十分に阻止できなかったからといって、そのために将来の戦いもすべて無駄であり、また幻滅であると考えるならば、それは卑劣な降伏であり、自由の敵を利するにすぎないでありましょう。反対に、過去の期待はずれや挫折の教訓からこそ、後の自由のための指導者たちは自由実現の試みにいっそう確実な基礎づけを与えることを学んできたのであります。
いま、現代の世界史において明らかなことが一つあるとすれば、それは自由は我々を取り巻く空気のように不変なまた確実なものではないということです。自由は意識的にかちとらなければならないもの、熱心に守らなければならないものである。自由はそれが永らく勢力を持っていた国においても、これをおろそかにしたり冷淡であったりするならば、失われてしまうことがあり得るものです。ですから、自由のための戦いは、いつも目覚ましい形や激しい形をとる必要はないにしても、たえず継続しなければならない。それは冷淡と無関心と冷笑癖に対する戦いであって、大体において地味ではあるけれども、重大な戦いなのであります。