浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

墜落か、不時着か

2017-10-12 23:15:46 | その他
 アメリカ紙は、Crash。日本のメディアは?

 沖縄で米軍ヘリが墜落した。しかしBHKなどは墜落とは報じていない。なぜか?

沖縄で炎上した米軍ヘリ、なぜ「墜落」と言えないのか? 防衛省の見解は 機体は大破していても…?
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「秋は夕暮れ」

2017-10-12 22:49:46 | その他
 『枕草子』で清少納言は、秋は夕暮れがいちばん!と書いた。同感である。昨日も今日も夕方畑に行った。秋とはいえ、日差しは強く、16時頃に畑に立つ。

 今日はサツマイモ掘り。長いツルを切り、スコップでイモのあるところを掘る。たくさんつくったので、少しずつ掘り出していくつもりだ。昨日掘ったイモは今日食べた。紅あずま、なかなかおいしい。

 畑にいると、頭上を自衛隊機が爆音を立てて飛び去る。ちらっとみる。戦争の道具である。

 今日は、伊藤野枝全集第一巻と、『かつて10・8羽田闘争があった』を並行して読む。私の世代にとって、ベトナム戦争はとても、とても大きな事件であった。『かつて・・・』を読んでいて、こんなにも多くの人がベトナム戦争に人生を規定されていたのかと驚く。私も、いまもってベトナム戦争が私の思考のなかに入り込んでいることを感じるし、私という人間を創ったのはベトナム戦争であると思っている。

 ベトナム戦争の悲惨、その悲惨を生み出しているものに対する怒り。その悲惨を生み出したものが、今もって世界に害悪をまき散らし、日本の主権を掌握していることにも憤怒をもちながら・・・

 しかし、秋の夕暮れは、そうした怒りを一瞬、消し去る。毎日毎日異なる夕暮れの空、そして色。

 第2次大戦下、収容所のユダヤ人は過酷な環境の中、点呼のたびに寒風吹きすさぶ広場に長時間立たされる。しかしそうした人々の頭上にも朝焼けや夕焼けが訪れる。その美しさにみとれて生きていこうと決意する。明日もそれを見るために。

 人間は、みずからを取り囲む世界に意味を見出す。しかし夕焼けは、意味ではなく、この世界がいかに美しさに満ちているかだけを示す。それだけで、人間は生きることを選ぶのだ。

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本を読むこと

2017-10-12 09:36:42 | その他
 古本屋から購入した『伊藤野枝全集』。読み進めると、消しゴムの消し滓がいろいろなページにくっついている。そして所々にルビが振ってあったりする。古本屋に売るときに消したのだろうなと推測する。

 野枝もたくさんの本を読んでいる。

 並行して『かつて10・8羽田闘争があった』を読んでいるが、すべての人ではないが、いろいろな本の書名が記されている。ベトナム戦争に思いを寄せ、アメリカ帝国主義により侵略され殺傷されるベトナム民衆の苦しみを想像し、それに日本が加担する現実に怒りをもった人々。

 とにかく、運動をしながらも、本を読み、みずからの生を問い、社会をどうするべきかを考えた。そうした人々が、街頭に出た。

 さて、10・8の事件は、1967年であった。この後の学習指導要領の改定によってクラブ活動が「必修」となったのである。学校によっては従来の自主的なクラブ活動と必修クラブと分けるところもあったようだが、多くは一元化し、運動部への参加を半ば強制するようになった。教科外の活動をやらせることによって政府は二つのことを目的にした。一つは子どもたちの時間を奪うことだ。考える時間、本を読む時間をなくすこと。もう一つは、教科外活動を通して教員との結びつきを強めて学外での「妄動」に参加させないようにすることだ。

 かくて、本を読まない子どもが増えていった。それとともに、保守的な思考をもった「若者」が増えていった。

 往々にして、部活動をしている子どもは本を読まない。そんな時間がないのだ。読書体験を経ないで大人になっていく。だから本のセレクトの方法も身についていないから、店頭にある本を何気なく購入し、読む。

 先にノーマンのことばを引いて、本のセレクトについて書いたが、本を読む場合セレクトする方法がある。しかし多くの若者(といっても部活動世代はもうかなりの年齢になっている)はそうした方法も知らずに、読むと言っても数少ない本を適当に選んで読む。

 本を読まなければ、知性は磨かれない。しかし本によっては、知性を破壊するものもある。

 知性の破壊は、支配層の常套手段でもある。

 そうした時代に生きているのだと思う。

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保守王国をつくる選挙制度

2017-10-12 08:39:03 | その他
 私は何度も書くが、小選挙区制度は保守王国をつくるものであるということ。これが導入される前からわかっていることだ。

 民主党だって、自民党にかわることができる保守党としてつくられたはずだ。しかしあまりにひどい政治を自民党・公明党がやるので第2保守党たる民主党が一度は政権を担ったのだが、自民党にいてもおかしくない野田という政治家を首相としたことから、一挙に期待外れが顕在化し、もう民主党への支持はずっと低迷したまま。

 さらにその後も、自民党から立候補したいのだが選挙区の関係で自民党として立候補できないから民主党に入ってきた者、議員のままでいたいから当選するために民主党に入ってきた者など、いろいろな政治志向をもった者の集合体である民主党は、当然の如くなとまるはずもなく、いつも内部の混乱を抱えたまま存在してきた。

 小選挙区制は、第一保守党と第二保守党とが競い合って政権を担当する、保守党政権維持の政治制度である。第二保守党たる民主党が結党以来ずっとまとまりのない政党であり続けてきたわけだから、第一保守党が政権をもちつづけるのは当たり前のこと。

 小選挙区制導入に賛成した者どもが、今頃になって騒ぐのはみっともないといえる。私は、小選挙区制度が導入されてからは、政治にたいしてはまったく醒めている。熱くはならない。

 政治は結果責任と言っている輩がいるが、小選挙区制度に関しては、私はそれに賛成した者を許さない。今自民党が今度の選挙でも大勝するという予報があるが、そういう選挙制度なのだ。そのために導入したものなのだ。

 かくて、わが国の政治は、アメリカの支配層の婢(はしため)として、永遠に位置づけられ、日本人はアメリカのためにすべてを捧げつくすのだ。
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