『枕草子』で清少納言は、秋は夕暮れがいちばん!と書いた。同感である。昨日も今日も夕方畑に行った。秋とはいえ、日差しは強く、16時頃に畑に立つ。
今日はサツマイモ掘り。長いツルを切り、スコップでイモのあるところを掘る。たくさんつくったので、少しずつ掘り出していくつもりだ。昨日掘ったイモは今日食べた。紅あずま、なかなかおいしい。
畑にいると、頭上を自衛隊機が爆音を立てて飛び去る。ちらっとみる。戦争の道具である。
今日は、伊藤野枝全集第一巻と、『かつて10・8羽田闘争があった』を並行して読む。私の世代にとって、ベトナム戦争はとても、とても大きな事件であった。『かつて・・・』を読んでいて、こんなにも多くの人がベトナム戦争に人生を規定されていたのかと驚く。私も、いまもってベトナム戦争が私の思考のなかに入り込んでいることを感じるし、私という人間を創ったのはベトナム戦争であると思っている。
ベトナム戦争の悲惨、その悲惨を生み出しているものに対する怒り。その悲惨を生み出したものが、今もって世界に害悪をまき散らし、日本の主権を掌握していることにも憤怒をもちながら・・・
しかし、秋の夕暮れは、そうした怒りを一瞬、消し去る。毎日毎日異なる夕暮れの空、そして色。
第2次大戦下、収容所のユダヤ人は過酷な環境の中、点呼のたびに寒風吹きすさぶ広場に長時間立たされる。しかしそうした人々の頭上にも朝焼けや夕焼けが訪れる。その美しさにみとれて生きていこうと決意する。明日もそれを見るために。
人間は、みずからを取り囲む世界に意味を見出す。しかし夕焼けは、意味ではなく、この世界がいかに美しさに満ちているかだけを示す。それだけで、人間は生きることを選ぶのだ。