浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

顔をみたくない

2017-10-23 10:13:56 | その他
 私の家にはテレビがない。だから、選挙にもっとも影響のあるというNHKニュースやワイドショーでどのようなことが報じられているかまったくわからない。

 テレビを見ない理由の一つは、見たくない顔を見ないようにするということだ。

 すでにテレビメディアは、安倍独裁政権の軍門に降っている。テレビを見るということは、安倍的なものにみずからの精神が侵食されるということでもある。安倍的なものとは、みずからの思想と似通った者、みずからの朋友、自分自身にお追従をする者、そういった者どもを優遇することであり、好戦的であるということであり、ファッショ的な思考をもつことであり、世界的なコモンセンスと背反するということである。

 安倍的なものを峻拒することによって、みずからの精神の健全性を維持したいのである。

 テレビを視聴することにより、人生にとり貴重な時間を浪費したくない、ということでもある。それよりも、アマゾンミュージックでクラシック音楽を聴きながら本を読むほうがよほど意味がある。

 見たくない顔。別に政治家だけではない。芸人という人、キャスターと云われる人々・・・無数にいる。

 生きている間、価値なきものとは関わらない。残念ながら、一般社会の価値観と私のそれとは、ものすごく乖離し、一般社会の価値観についてはすでに理解不能になっている。以前は、一般社会のそれをも理解しようとしたけれども、しかしそれはムダであるという認識に到達した。

 私には、読まれることを待っている厖大な本がある。そうした本を読むことにより、みずからの人生を豊穣にしたい。

 その成果を、講座などで提供していきたいと思う。日本社会の知的劣化は、首相から日本社会の末端まで浸透しているようだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あらしが荒れ狂っている

2017-10-23 00:14:25 | その他
 なかなか雨風が強い。そんななか、私は『伊藤野枝全集』を読み進めている。そのなかで、こうなりたいなあと思った文。

私は自分をゴマカして生きて居る事のできない性分ですから、世間からは、随分悪く云はれる代りに、自分の生活にビクつくやうなことのないことを、ひそかに誇として居ます。経済界がどうあらうと、思想界がどうあらうと、我には何んの不安も動揺もありません。世間に悪がられやうと、お上に睨まれやうと、監獄にブチこまれようと、新聞でコキ下されようと平気なものです。同様に火事に遇おうと、泥棒にはいられやうと平気であります。今でも私の家では夜明けぱなしで寝ていますが、之れは何んにもとられて、惜しいものが無いからです。同様に私は他から突つかれてグラグラする様なヤクザな、自分を持ち合はせませんから安心です。(「当代名流の安心する所」、『実業之日本』1920年12月号)

 選挙結果に動揺せず、こういう人に、私はなりたい。そしてその他の人も、野枝のようになれば、世界は変わるか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする