浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

本が届いた

2017-10-10 23:36:47 | その他
 『かつて10・8羽田闘争があった』という本が届いた。ここに書いているのは、私より上の世代である。しかし政治的に早熟であった私には、同じ時代の空気を吸っていたという自覚がある。

 山崎博昭さんの死は、高校生であった私には大きなショックであったことは、以前書いた。山崎さんの死を含め、当時の空気は今もなお、私を包んでいる。

 見ず知らずの人間の死が、私自身をある意味拘束している、という気がする。この本を読んでいると、書いている人が皆そうなっている。当時の私たち、いやここから僕らはとする。僕らは山崎さんと同じようにマルクスはじめたくさんの本を、それこそ読みあさった。なぜか。やはりどう生きるべきかを問うていたからだ。

 日露戦争後にも、同じような状況があったそうだが、思春期を迎えた人間は、大人になることの怖れがあったのか、生きていく先の自らのあり方を自問自答する。そのために、古今東西の哲学書や文学書を手当たり次第に読むのだ。そのなかにマルクスは必ず入っていた。自らと社会のあり方をつなぐ思想として、当時マルクス主義があったからだ。

 とりわけ岩波文庫は、僕らの前にあった。その頃の岩波文庫は、旧字で書かれていたものもあった。ルビが振ってあったから、僕らはなんなくそれを読んだし、今でも、書くことはなかなかできないが、読むことはできる。それが読めないと、西欧思想や西欧文学に近づけなかった。

 殺された山崎さんは、東京に当然、本をもっていった。マルクス、レーニン、宇野弘蔵、トロツキー、キルケゴール・・・・どこかに行くときに本をもっていくのは当たり前だった。今も私は、電車で何処かに行くときには本をもっていく。いったい何冊読めるかを考えながらカバンに詰める。寸暇を惜しんでの読書は、僕らの生活の中にあったし、今もある。どんなことでも理解したい。理解するために本を読む。
その理解したいというもののなかに、みずからの生がある。今もって、自らを理解したいという気持ちがある。この本を買ったのもそれがひとつの理由である。

 みずからの生に疑問を持つたとき、今の若者たちは何をするのだろうかと思う。

 この年齢になると、みずからの生をふり返り、それを書く人もたくさんいる。僕自身も、書こうと思えばいろいろなことを書けるだろう。でも僕は書かない。僕は今も、未来に向かって生きたいからだ。過去は過去。

 この本を読んでいると、山崎さんの死から50年の、みずからの来し方を書いている人がいる。そこには重い人生が記されているものもある。その人生に自らの生を重ねながら読み進める。

 なかなか厚い本だ。読み終えるのに、そんなに時間はかからないだろう。

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これ、読むべし

2017-10-10 10:02:38 | その他


丹羽宇一郎氏が提言 今の日本こそ「戦争の真実」学ぶべき
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【本】E・H・ノーマン『クリオの顔』(岩波文庫)

2017-10-10 08:12:40 | その他
 先日、現在市議会議員となっているMさんと話した。ずっと前から、名前だけを知っていたが、直接会って話をすることはなかった。しかし横浜事件の集会を開く準備会で会い、お互いに名前を知ってはいたが、初めて会うことに感動を覚えていた。

 Mさんは私と同じ世代である。私たちは、自分自身が動けば社会は変わると思いながら生きてきた、と語り合った。だから、今もなお、何らかの市民運動などに関わっているのだが、しかしどうも雲行きがおかしい、という認識でも一致した。

 私たちは、自分自身が動くことによって変化をつくりだしたという経験をもっている。もちろん一人ではできない。多くの人と問題を共有し、話し合ってことをすすめた。

 そういう会話をした後、私はなぜ今雲行きがおかしくなっているのかを考え続けている。

 先日、若い方と話をした。ことばを発するのだが、どうもことばが共鳴しない。

 ことばというものは、表現されたそのことばの奥に無限の意味を持っている。だけど、Mさん等とは、ことばを表現すれば、それがどういう意味であるか、ことばの奥を詳しく説明しなくても、理解し合うことができた。

 今それができなくなっているのではないか。

 ことばは、読んだり、書いたり,話したりする際の手段としてつかわれる。

 私たちの世代は、たくさんのことばと出会っている。それはたくさんの本を読んでいるということだ。同時に、読む本をきちんとセレクトしてきたということでもある。

 E・H・ノーマンの『クリオの顔』(岩波文庫)にこうある。

 われわれは一つの時代ないしは人物に興味を感じた場合、その方面での最高の権威によって書かれたものを読むまでは、第二流の権威または通俗物語級のものを読まないことである。

 われわれは正しい権威によって書かれたものを理解しないかぎり、歴史的著作のなかからセンスとナンセンスを見分けるのに必要な批判的知識を築きえたとは言えない。


 今私は、伊藤野枝について調べている。今までの研究史を踏まえて、読まなければならない本はすでに揃えてある。研究史上紹介されている基本的な文献を読んだ後、通俗的な本を一応読む。ノーマンが指摘することは、すでに私たちは行っているのだ。

 だが、近年、書店に行けば、扇情的な、放言だらけ、平気でウソを記した本に出会う。それが積まれている。

 私たちが若い頃、そういう本はとても少なかった。おそらくそういう本は売れていなかったと思う。私たちが書店で見る本は、良質な、信頼に足る本が並んでいた。だから、私たちがセレクトしなくても、出版社でも矜持をもって良質な出版を心がけていたと思う。

 ある分野で誰の本が「正しい権威によって書かれたもの」であるかを知るためには努力しなければならないが、私たちが若い頃は、出版社が「正しい権威」を認識して出版していた。

 だが今は、売れればどんな本でも出版するという時代だ。

 ノーマンはこう記している。

 世界がうまくいかないのは、人びとの心が元来よこしまであるというよりは、広い意味での教養が欠けているからである。それは知性と寛容と理性が欠けているからであるとまであえて言ってもよいと思う。・・・・素養豊かな人が充分にいたなら、独裁者がその支配する民衆を、なにが望ましいことであるか、そしてなにが可能であるかということについて、あれほど完全にあざむききることは事実上できなかったであろう。
 
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従順なテレビ朝日にも伏兵が

2017-10-10 07:53:55 | その他
 テレビを見ないので、記事だけを紹介する。

http://lite-ra.com/2017/10/post-3501.html
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「希望の党」が「昨日の党」へ

2017-10-10 07:46:26 | その他
 最近のメディアは、「希望の党」が失速してきていると報じる。当然だろう。

 小池の「野望」、といってもアメリカあたりの示唆があるんだろうが、「野望」を実現するためだけにつくられた政党。いったい何をするかわからない、安倍政権と政策は同じ、違うのはアホらしいほどの「ゼロ」政策。砂上の楼閣の政策ばかり。

 都知事としても、なんら都政にめだった功績がない。メディアだけにでていて、中身がない人。

 失速「希望の党」は、最終的に何を目指すのか
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