『かつて10・8羽田闘争があった』という本が届いた。ここに書いているのは、私より上の世代である。しかし政治的に早熟であった私には、同じ時代の空気を吸っていたという自覚がある。
山崎博昭さんの死は、高校生であった私には大きなショックであったことは、以前書いた。山崎さんの死を含め、当時の空気は今もなお、私を包んでいる。
見ず知らずの人間の死が、私自身をある意味拘束している、という気がする。この本を読んでいると、書いている人が皆そうなっている。当時の私たち、いやここから僕らはとする。僕らは山崎さんと同じようにマルクスはじめたくさんの本を、それこそ読みあさった。なぜか。やはりどう生きるべきかを問うていたからだ。
日露戦争後にも、同じような状況があったそうだが、思春期を迎えた人間は、大人になることの怖れがあったのか、生きていく先の自らのあり方を自問自答する。そのために、古今東西の哲学書や文学書を手当たり次第に読むのだ。そのなかにマルクスは必ず入っていた。自らと社会のあり方をつなぐ思想として、当時マルクス主義があったからだ。
とりわけ岩波文庫は、僕らの前にあった。その頃の岩波文庫は、旧字で書かれていたものもあった。ルビが振ってあったから、僕らはなんなくそれを読んだし、今でも、書くことはなかなかできないが、読むことはできる。それが読めないと、西欧思想や西欧文学に近づけなかった。
殺された山崎さんは、東京に当然、本をもっていった。マルクス、レーニン、宇野弘蔵、トロツキー、キルケゴール・・・・どこかに行くときに本をもっていくのは当たり前だった。今も私は、電車で何処かに行くときには本をもっていく。いったい何冊読めるかを考えながらカバンに詰める。寸暇を惜しんでの読書は、僕らの生活の中にあったし、今もある。どんなことでも理解したい。理解するために本を読む。
その理解したいというもののなかに、みずからの生がある。今もって、自らを理解したいという気持ちがある。この本を買ったのもそれがひとつの理由である。
みずからの生に疑問を持つたとき、今の若者たちは何をするのだろうかと思う。
この年齢になると、みずからの生をふり返り、それを書く人もたくさんいる。僕自身も、書こうと思えばいろいろなことを書けるだろう。でも僕は書かない。僕は今も、未来に向かって生きたいからだ。過去は過去。
この本を読んでいると、山崎さんの死から50年の、みずからの来し方を書いている人がいる。そこには重い人生が記されているものもある。その人生に自らの生を重ねながら読み進める。
なかなか厚い本だ。読み終えるのに、そんなに時間はかからないだろう。
山崎博昭さんの死は、高校生であった私には大きなショックであったことは、以前書いた。山崎さんの死を含め、当時の空気は今もなお、私を包んでいる。
見ず知らずの人間の死が、私自身をある意味拘束している、という気がする。この本を読んでいると、書いている人が皆そうなっている。当時の私たち、いやここから僕らはとする。僕らは山崎さんと同じようにマルクスはじめたくさんの本を、それこそ読みあさった。なぜか。やはりどう生きるべきかを問うていたからだ。
日露戦争後にも、同じような状況があったそうだが、思春期を迎えた人間は、大人になることの怖れがあったのか、生きていく先の自らのあり方を自問自答する。そのために、古今東西の哲学書や文学書を手当たり次第に読むのだ。そのなかにマルクスは必ず入っていた。自らと社会のあり方をつなぐ思想として、当時マルクス主義があったからだ。
とりわけ岩波文庫は、僕らの前にあった。その頃の岩波文庫は、旧字で書かれていたものもあった。ルビが振ってあったから、僕らはなんなくそれを読んだし、今でも、書くことはなかなかできないが、読むことはできる。それが読めないと、西欧思想や西欧文学に近づけなかった。
殺された山崎さんは、東京に当然、本をもっていった。マルクス、レーニン、宇野弘蔵、トロツキー、キルケゴール・・・・どこかに行くときに本をもっていくのは当たり前だった。今も私は、電車で何処かに行くときには本をもっていく。いったい何冊読めるかを考えながらカバンに詰める。寸暇を惜しんでの読書は、僕らの生活の中にあったし、今もある。どんなことでも理解したい。理解するために本を読む。
その理解したいというもののなかに、みずからの生がある。今もって、自らを理解したいという気持ちがある。この本を買ったのもそれがひとつの理由である。
みずからの生に疑問を持つたとき、今の若者たちは何をするのだろうかと思う。
この年齢になると、みずからの生をふり返り、それを書く人もたくさんいる。僕自身も、書こうと思えばいろいろなことを書けるだろう。でも僕は書かない。僕は今も、未来に向かって生きたいからだ。過去は過去。
この本を読んでいると、山崎さんの死から50年の、みずからの来し方を書いている人がいる。そこには重い人生が記されているものもある。その人生に自らの生を重ねながら読み進める。
なかなか厚い本だ。読み終えるのに、そんなに時間はかからないだろう。