本を読む。今は、『伊藤野枝全集』第二巻である。野枝さん、『青鞜』の一員として、外部からの論難に雄々しく立ち向かう。この頃、野枝さんは辻家の嫁。姑や小姑との確執、そして働かない夫、さらに子育てもありながら、『青鞜』の編集に従事し、おそらく一(まこと)に乳を含ませながら本や雑誌を読み、考えを磨いていたのだろう。これはたいへんなことだ。
まだまだ女性が主張することが難しかった時代、『青鞜』に集まった女性たちは、好奇の目で見られ、非難を受けた。しかし、野枝さんはすごいな。ビシビシと反論していく。
「大日本帝国」の時代である。「大逆事件」が起きてから時間もそんなに経っていない。だけど、野枝さんは闘うんだな。
野枝さんの奮闘ぶりを想像すると、いかなる時代であっても、闘えるんだという気がしてくる。
今日は、ほぼ一日中雨がしとしとと降り続いていた。小鳥たちは、強い雨でないためか、飛びまわりながらさえずり続けていた。選挙中だというのに、選挙カーは一度も来ない。
時間は断絶することなく続き、日常も変わることなく続いている。その日常が揺り動かされることもない。だとするなら、この日常が今後も続くだろうという、自覚していないけれども、そうした意識がある。それが庶民の幸せでもある。
こうした日常の延長線上にどういう未来が待っているかを想像することもなく、庶民は日常を生きている。
私たちが、庶民に何らかの影響を与えることができるとすれば、それは未来への想像力を示すことではないだろうかと思ったりする。
野枝さんの時代は、生きているその瞬間瞬間に闘うべきなにものかがあった。日常そのものが闘いであった。
だが現在は、そういう時代ではないように見える。本当は野枝さんの時代と同じなのかも知れないが、庶民には闘うべきなにものかが見えなくなっているのではないか。
私たちは、未来への想像力を駆使することによって、そして過ぎ去った歴史のなかからくみ取るべきことをくみ取って、日常を生きる人々に、私たちが努力して知り得たこと、学びとったことを伝えていく、それが現在の闘い方かなと思う。
昨日、注文していた『プレヴェール詩集』(岩波文庫)が届いた。フランスの国民詩人であった人の詩集である。どういうことばが「国民」に受け入れられていたのか。私たちには学ぶべきことが多い。しかし学ばないと、私たちは後ずさりすることになる。それはしたくない。
とどまる、ここで。野枝さんが虐殺されたような、そういう時代にしたくはない。
まだまだ女性が主張することが難しかった時代、『青鞜』に集まった女性たちは、好奇の目で見られ、非難を受けた。しかし、野枝さんはすごいな。ビシビシと反論していく。
「大日本帝国」の時代である。「大逆事件」が起きてから時間もそんなに経っていない。だけど、野枝さんは闘うんだな。
野枝さんの奮闘ぶりを想像すると、いかなる時代であっても、闘えるんだという気がしてくる。
今日は、ほぼ一日中雨がしとしとと降り続いていた。小鳥たちは、強い雨でないためか、飛びまわりながらさえずり続けていた。選挙中だというのに、選挙カーは一度も来ない。
時間は断絶することなく続き、日常も変わることなく続いている。その日常が揺り動かされることもない。だとするなら、この日常が今後も続くだろうという、自覚していないけれども、そうした意識がある。それが庶民の幸せでもある。
こうした日常の延長線上にどういう未来が待っているかを想像することもなく、庶民は日常を生きている。
私たちが、庶民に何らかの影響を与えることができるとすれば、それは未来への想像力を示すことではないだろうかと思ったりする。
野枝さんの時代は、生きているその瞬間瞬間に闘うべきなにものかがあった。日常そのものが闘いであった。
だが現在は、そういう時代ではないように見える。本当は野枝さんの時代と同じなのかも知れないが、庶民には闘うべきなにものかが見えなくなっているのではないか。
私たちは、未来への想像力を駆使することによって、そして過ぎ去った歴史のなかからくみ取るべきことをくみ取って、日常を生きる人々に、私たちが努力して知り得たこと、学びとったことを伝えていく、それが現在の闘い方かなと思う。
昨日、注文していた『プレヴェール詩集』(岩波文庫)が届いた。フランスの国民詩人であった人の詩集である。どういうことばが「国民」に受け入れられていたのか。私たちには学ぶべきことが多い。しかし学ばないと、私たちは後ずさりすることになる。それはしたくない。
とどまる、ここで。野枝さんが虐殺されたような、そういう時代にしたくはない。