浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大川小、津波訴訟

2018-04-26 21:31:27 | その他
 大川小学校の子どもと教員84人が犠牲となった、あの津波。原告に賠償すべきだという判決がおりたが、原告も手放しでよろこんでいるわけではないだろう。亡くなった子どもたちは帰ってこないからだ。

 判決では、「事前防災」の過失を認めた、とある。

 だが、津波に襲われた大川小学校を訪ねた私としては、防災計画があろうとなかろうと、なぜ学校のすぐ近くにある山に登るという決断をしなかったのかと思う。何十分も、なぜ校庭でうろうろさせていたのか。

 誰もが決断できない状態。その日校長は不在であった。教員たちは、どうしてよいか判断できずにいた。なぜ教員が決断できなかったのか。すぐ近くに山がある、その山には子どもたちが登った経験がある。しかし、ぐずぐずしていて、最後に、危険な北上川へと歩んでいった、そこに津波が押し寄せた。

 もし私がそこにいたら、私が責任を持ちます、山へ逃げましょうと主張できた、と思う。大川小学校を訪問したとき、そう思った。

 最近の教員は、上意下達に慣れ、自分自身で判断できない。昔は、ヒラ目教師ということばもあったが、今では主体的にゴマをする教員も減った。主体性が衰えた。

 教員として、素直で、上司の言うことをよく聞く、そういう者しか採用しなくなった。傍若無人の教員がいなくなった。

 大川小学校の悲劇は、そういうところにあったのではないかと、私は思っている。

 ひとり、生き残った教員がいる。彼が、もっともっと主張すればよかった、山へ逃げましょう、と。彼が、管理職にずけずけと物言う教員であったら、と思う。

 文科相→教育委員会→学校長→教頭→一般教員という順におろされてくる学校や教員に対する統制。学校をみんなで運営するという形態が一掃されて、上意下達で運営されるという形態。

 そういう形態にメスを入れないと、大川小学校の悲劇を教訓化できないのではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする