浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】多木浩二『天皇の肖像』(岩波現代文庫)

2018-04-07 22:48:55 | その他
 この本、岩波新書で最初出版された。そのとき購入して読んだことがあるのだが、どこにいったか見つからない。仕方なく図書館で借りて、もう一度読んでみた。二度目ということで新鮮味はなかったが、いくつかの示唆は得ることが出来た。

 本書は、地方官庁や学校に分与された「御真影」の意味を考えるというものであるが、それに派生して「見る・見られる」の関係などについて論じたものである。

 近代国家を建設するに際し、その中心におかれた君主は、「見られる」ものにするという努力がなされた。それについては各書で指摘されているが、君主が「見られる」ということは、君主の側も「見る」ということであり、同時に被支配層が君主に「見られる」ということでもある。「見られる」被支配層は、「見られる」存在としての態度をつくりあげなければならないということでもある。

 「御真影」は、それを配付するなかで、「忠君」の競争をさせ、そうした心性や態度をつくりあげていった。

 読んでおくべき本である。

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さすが下関市

2018-04-07 21:53:41 | その他

  忖度? 前川氏の講演に後援拒否 首相の地元・下関市教委 北九州は承認

 アベさまの城下町、下関市。なるほど、ですなあ。
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英語力

2018-04-07 19:52:20 | その他
 『朝日新聞』記事。

中高生の英語力、政府目標に届かず 福井県がトップ独占

 こういう状況の下で、文科省は「21年度から実施される中学校の新学習指導要領で「授業を実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする」のだそうだ。

 英語は、子どもの学力のレベルに差をつける教科として君臨している。高等学校・底辺校の生徒の多くは英語が苦手である。そういう状況があるにもかかわらず、すべての子どもに英語によるコミュニケーションができるようにすることは、まったく無理だと思う。文科省は、そういう実態を見つめるべきだ。

 英語の苦手の高校生に英語を教えたことがあるが、英語の構造が理解できない。日本語の文法、たとえば主語、動詞、形容詞、句、節、過去形などの語句の意味も知らない。

 だからまず文法を、もちろん日本語のそれを教えるべきである。

 現状で英会話ができる、というとき、それは簡単な挨拶だけということになるだろう。

 なにごとかを言いたいとき、文をつくらなければならないが、その場合文法的な知識は必須である。最近私は、長期間日本に住んでいるアメリカ人、日本語会話はできるが、日本語の文を読むことはできない。その彼と、John Boltonについてメールでやりとりをしているが、文を作るとき、英文法の知識は必要である。あとは単語や言い回しであるが、それについては『英辞郎』を駆使している。今調べたら、その
第10版が発売されている。

 会話では文法レベルで間違ってもあまり影響はないが、書くという場合は文法は必要だ。しかし、どうも最近の英語教育は会話に重点を置きすぎて文法教育がなおざりにされているような気がする。

 もちろん彼は日本に長く滞在しているから日本語の会話は出来る。日本に住んでいるからには、一定の日本語会話は必要であるし、必要だからできるようになる。

 だが、日本に住む日本の子どもたちは、日常的に英語を話す機会はほとんどない。だから学校で英語の時間に英会話を勉強してもそれはすぐに忘れてしまうだろう。

 英会話を出来るようにしたいなら、毎日英会話の場を設定するべきだ。毎日話していれば、英会話は上達する。しかし話すことをやめてしまえば、その能力は急速に衰える。私はその経験をしている。5年ほど、オーストラリア人、カナダ人の面倒をみていたことから、自分でもかなり上達していたはずだ。しかし今はダメ。

 私は受験英語の経験(蓄積?)があるから、話していると昔学んだ単語が飛び出したりする。文法的な知識はあるから、英会話のなかで使える単語の数も増えていく。

 昔ながらの英語教育はまんざらではないと思っている。英語が必要になったとき、それが基礎となって伸びていく。私が学んだ受験英語は幹であり、必要になれば枝葉が増えていく。

 文科省のめざす英語教育は、幹を無視して、枝葉だけを押しつけようとしている。枝葉だけだと、すぐに枯れてしまう。鳥飼久美子さん等の主張の多くの部分は正しい。

 

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アメリカの高校生の訴え

2018-04-07 12:03:42 | その他
 サンフランシスコ市に、「慰安婦」像が設置されたことから、維新の大阪市長が同市との姉妹都市提携を打ち切るという。60年刊続いた姉妹都市提携を、この問題だけで打ち切るというのはおかしいのではないかと、アメリカの高校生が立ち上がった。

 それがその映像である。

https://www.youtube.com/watch?v=oo24A3X4SjA&feature=youtu.be

 吉村大阪市長の近視眼的な対応に対する、アメリカの高校生の「おとなの対応」。維新という政党メンバーの狭量さを認識させられた。

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夕顔

2018-04-07 08:40:32 | その他
 私の好きな花、夕顔。夕方咲き始め、夜夜中、白く大きな花弁を広げて咲き続ける。そして朝になると、役割を終えたかのようにしぼんでいく。

 『源氏物語』に描かれた夕顔、まさに夕顔の花のようなイメージである。

 この花の美しさ、それは華やかなそれではなく、人知れず、静かに、人々が寝静まっているその時に咲く、そういう美しさである。夕顔は、みずから、その美しさを自己主張はしない。

 この世の中は、自己主張する者が闊歩する。研究者のTwitterを読むと、自己主張満載のものが多い。ついていけないなあと思う。

 話が逸れた。

 4月の中旬までに夕顔の苗が欲しいという要請があり、3月に種を蒔いた。やっと今朝、3つ芽が出た。100近く種を蒔いた。毎朝毎朝、無数に並ぶポットの前にかがみ込む。今日もでていない、今日もでていない、それを毎朝続けてきた。

 4月中旬(16日)までに、いくつ芽が出るだろうか。

 今年は、家の前に「夕顔の苗、ご自由にお持ち下さい」という看板を立てて並べるつもりである。月光に浮かび上がる純白にちかい夕顔の花に取り憑かれた人が、ひとりまたひとりと増えていく。苗をいただけませんか、という問合せが増えている。

 高齢化が進み、散歩する人が増えている。散歩の途次、わが家のフェンスに咲く夕顔を見て、夕顔の美に魅入った人が、苗を所望する。

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