浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

昨日

2018-04-30 08:55:03 | その他
 一昨日、昨日と、電車に乗って国越えをした。遠江から駿河へ。

 昨日はもと「天皇誕生日」。私は、「近代天皇制の創出をめぐって」というテーマで話をした。レジメ12枚、もちろん時間がなく、最後のほうはかなりはしょったが、聴講された方は熱心に聴いてくれた。主催団体は反天皇制のグループであるが、私は史実にもとづき、どのようなプロセスを経て近代天皇制が創出されたのかについて近世からの動きを中心に話した。

 マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という本の最初にこういう記述がある(岩波文庫版)。

 人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである。死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとしてこわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語(スローガン)と衣裳をかり、この由緒ある扮装と借物のせりふで世界史の新しい場面を演じようとするのである。

 明治維新を主導した者たちも、「過去の亡霊ども」を呼び出し、「亡霊」から「名前とスローガン」と衣裳をかりてきたのである。その亡霊の中に天皇がある。

 だがしかし、権威をもった天皇は幕末に突然つくりだされたのではない。近世という時代の流れのなかで少しずつ天皇が政治力をもち、権威をつくり出していた、それを幕末維新のリーダーが受け継いだのである。その経過を私は、詳細に説明した。

 私は福沢諭吉が言っていたように、君主制はいずれ消えていくものだと思っている。だが歴史を振り返ってみると。君主制が崩壊するのは、革命と敗戦にであうときである。ということは、革命が起こり得ない日本において、現在の平和憲法の下では、敗戦もありえない。したがって天皇制を存続させるためには、現憲法はまさに適合的であるということになる。

 現天皇は、したがって、アベ改憲には反対の気持ちであると想像する。アベ改憲の向かう先には、敗戦が待ち構えている。

 私が君主制がいずれ消えていくという理由は、天皇家に未来永劫子孫が生まれ続けるということはないからだ。一夫一婦制の下では、それはとても難しい。近世に於いても、徳川宗家で子孫がたえ、紀伊藩から将軍を迎えたことが二度(吉宗、家茂)もある。「大奥」という制度があってさえ、こうなのである。つまり、君主制の存続は、偶然性に依拠せざるを得ないということである。

 また私はこういうことも指摘した。現天皇の行動を肯定的に見ている識者が増えている。内田樹、白井聡、樋口陽一・・・反天皇制グループはそうした姿勢を鋭く「非難」している。だが私は、「非難」する必要があるのかと思う。事実を示しながら「批判」することはあり得よう。ここに挙げた人々は、アベ改憲に反対している私たちにとって「敵」なのであろうか。否である。

 現在の支配秩序に反対している人々は、同じような立場にありながらも自分たちの意見と少しでも異なるところがあると、相互に、あるいは一方的に「非難」する。私はそんな暇があったら、支配秩序への反対の声を強めることにもっとエネルギーを投入したらどうかと思う。

 民主主義を求める運動に、論理(弁証法的な)が欠けているといつも思う。矛盾には、敵対的なものと、非敵対的なものとがある。それを踏まえて運動は展開されるべきである。



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