私は、大井川の「河原砂漠」について書いたことがある。大井川は高低差があり、曲がりくねっていることにより、早くから水力発電に適しているとして水力発電が行われてきた。東京電力、中部電力がタダで大井川の水をつかっている。
大井川では、ダムによってせき止められた水が発電所に運ばれ発電用のタービンを廻す、その後その水は姿を現さずに導水管によって次の水力発電所に運ばれ、そこでまた発電を行う。したがって、大井川中流域では、川の水は細い一筋となり、堤防の中は石ばかり。風が吹けば砂が飛び、当然のごとく川から生物が消えていった。そして川根茶をおいしくすると言われる川霧もなくなった。そこで川根本町の人たちは、「水返せ運動」を行った。
それと同じことが、信濃川でも起きていた。本書に記された十日町市の水力発電ダムは、東京電力とJR東日本である。
本書の副題は、「ルポ JR東日本・信濃川不正取水事件」である。まさにJR東日本は、長い間決められた水量をはるかに超える水を取水し発電に利用してきたのである。JR各社はどこもブラック企業であるが、東日本もひどい。そのひどさが、はっきりと書かれている。
民間企業となって、JR各社はブラック化してしまった。
本書は、信濃川の水を取り戻そうと尽力した人びとの動きを中心に、その動きが始まり、そしてそのなかでJR東日本の不正が明らかになり、結局JR東日本が水利権を失うところまでを丁寧な取材で明らかにした。正義感と共感力を武器に
厳しく撃つべきものを撃つ。
私はこの本を読むまで、信濃川で大井川と同じことが起きていることを知らなかった。おそらく他でも同様の事件があるだろう。それほど日本は、地方を犠牲にして都会にエネルギーや富を集めていくのだ。
本書の中に、「大地の尊厳」ということばを発見した、よいことばだ。もうひとつ「環境犯罪」ということばも。「大地の尊厳」を冒すことが「環境犯罪」なのである。
一気に読んだ。三浦英之の本は、『南三陸日記』を最初に読んだのだが、その内容に魅せられてしまった。『五色の虹』も注文した。
読む価値あり。正義感と共感力、それが原動力となって事実に肉迫していく、その取材力、それをもとにして書かれたものは読者のこころを掴むのだ。
今三浦英之は、朝日新聞福島総局にいる。
大井川では、ダムによってせき止められた水が発電所に運ばれ発電用のタービンを廻す、その後その水は姿を現さずに導水管によって次の水力発電所に運ばれ、そこでまた発電を行う。したがって、大井川中流域では、川の水は細い一筋となり、堤防の中は石ばかり。風が吹けば砂が飛び、当然のごとく川から生物が消えていった。そして川根茶をおいしくすると言われる川霧もなくなった。そこで川根本町の人たちは、「水返せ運動」を行った。
それと同じことが、信濃川でも起きていた。本書に記された十日町市の水力発電ダムは、東京電力とJR東日本である。
本書の副題は、「ルポ JR東日本・信濃川不正取水事件」である。まさにJR東日本は、長い間決められた水量をはるかに超える水を取水し発電に利用してきたのである。JR各社はどこもブラック企業であるが、東日本もひどい。そのひどさが、はっきりと書かれている。
民間企業となって、JR各社はブラック化してしまった。
本書は、信濃川の水を取り戻そうと尽力した人びとの動きを中心に、その動きが始まり、そしてそのなかでJR東日本の不正が明らかになり、結局JR東日本が水利権を失うところまでを丁寧な取材で明らかにした。正義感と共感力を武器に
厳しく撃つべきものを撃つ。
私はこの本を読むまで、信濃川で大井川と同じことが起きていることを知らなかった。おそらく他でも同様の事件があるだろう。それほど日本は、地方を犠牲にして都会にエネルギーや富を集めていくのだ。
本書の中に、「大地の尊厳」ということばを発見した、よいことばだ。もうひとつ「環境犯罪」ということばも。「大地の尊厳」を冒すことが「環境犯罪」なのである。
一気に読んだ。三浦英之の本は、『南三陸日記』を最初に読んだのだが、その内容に魅せられてしまった。『五色の虹』も注文した。
読む価値あり。正義感と共感力、それが原動力となって事実に肉迫していく、その取材力、それをもとにして書かれたものは読者のこころを掴むのだ。
今三浦英之は、朝日新聞福島総局にいる。