浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

さいたま市の差別

2020-03-11 23:10:43 | 政治
 こういう報道があった。共同配信記事だ。さいたま市の朝鮮人学校への差別には驚きあきれる。

 とくに朝鮮人学校の幼稚部にマスクを配れば「転売されるかもしれない」という発言は、差別に差別を重ねた許せない言動である。

マスク配布、朝鮮学校を除外  さいたま市、再考を表明 2020/3/11

 新型コロナウイルスの感染防止策として幼稚園や保育園に備蓄マスクを配布しているさいたま市が、埼玉朝鮮初中級学校の幼稚部(同市大宮区、園児41人)を配布対象から外していたことが11日、関係者への取材で分かった。幼稚部の関係者らが同日、市に平等に配布するよう抗議し、市幹部が配布対象を再考すると表明した。

 市職員が幼稚部に配布しないと10日説明した際に、配ったマスクが「転売されるかもしれない」との趣旨の発言をしたことも分かり、担当の市幼児未来部幹部が11日、幼稚部の朴洋子園長らに「不適切だった」と認めて謝罪した。



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『南三陸日記』

2020-03-11 22:39:53 | 
 読み進むことができない。ひとつの話を読んで、立ち止まる。心の中で反芻する。心が落ち着いたところで、次の話を読む。

 ひとつひとつの話に、南三陸町に襲いかかった大地震と津波が刻印されているからだ。そしてそこには、そのなかで生きた(そして亡くなった)人間のありようが綴られている。
 
 読みながら、その人間たちを、見つめる。ただ見つめる。

 300ページに満たない文庫本だ。でも時間がかかる。さっと読み進むわけにはいかない。

 3月11日、良い本に出会った。



 
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南三陸町のピアニスト

2020-03-11 22:13:07 | その他
 『南三陸日記』に、西宮市職員でピアニストの谷口博章さんのことが記されている。

 南三陸町に支援に入った谷口さんが、ピアノを弾いて被災者を元気づけたという話である。その谷口さんのことがテレビで放映された。

【特集】脳梗塞から復帰 よみがえったピアニストの東北支援

 この「故郷」も、素晴らしい。
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三浦英之『南三陸日記』(集英社文庫)

2020-03-11 20:38:32 | 
 ラインで、長男が子どもの動画を送ってくれた。音が出るおもちゃで遊んでいた。音が出ると、きゃっきゃっと笑う。
 
 それを見終わって、『南三陸日記』に目を落とす。「娘よ、強く生きなさい」の個所にさしかかった。読む、落涙。

 その後の活字を追う。亡くなった夫が婚姻届を出しに行った日が11日だった。しかし、夫は家族をさがしに行き、そのまま還らぬ人となった。その夫の子が、今生まれる。そして生まれた。

 この一連の話、三浦記者よ、君はおそらく泣きながら書いただろう。そういう文だ。

 東日本大震災、いっぱいいっぱい、想像をこえるほどの涙が流されたことだろう。その涙を伝える文を読み、読者も涙を流す。

 涙は、9年が経過していても、2011年のことを思い出させる。

 涙は、2011年3月11日のことを忘れさせない。でもその涙は、とても重いのだ。

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加計学園、安倍の友だちもひどい!!

2020-03-11 18:36:25 | 政治
 日本社会を壊しているよ、この人たちは。

加計学園「不正入試」疑惑 不合格の韓国人受験生は筆記試験トップだった
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新型コロナウィルスの感染対策、あまりにひどい!

2020-03-11 18:31:21 | 政治
 安倍政権や厚労省は、新型コロナウィルスへの対応はあまりにずさん。もう安倍政権はいらない!

 翻弄される地域中核病院
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新型コロナウィルスの感染

2020-03-11 13:56:49 | 国際
 ヨーロッパも増えている。

 イタリアは、医療崩壊。

韓国はこう
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3月11日

2020-03-11 13:35:41 | その他
 2011年3月11日、東日本大震災がおきたとき、私はまだ職に就いていたのだが、残っていた年次有給休暇の取得により自宅で、今と同じことをしていた。2階の自室でパソコンに何ごとかをうちこんでいた。

 すると、ゆっくりとした横揺れを感じ、これは地震だと思い戸外に出たら、隣家の方々も家の外にでてきた。これは地震だ、などと話していたことを覚えている。

 その時代はテレビをもっていたので、テレビをつけると、信じられない光景が次々と映し出された。とりわけ、津波の映像は衝撃的で、津波が家や温室や、車を呑み込んでいく光景は、もう唖然として声もでない、ただ見つめているだけだった。

 退職したら海外旅行をしまくって世界を見て死ぬのだという決意は吹き飛び、今後の自分の人生は楽しんではいけないという気持ちが大きくなり、まさにその後一度も海外に行っていない。行く気持ちが失せてしまったのだ。

 3月11日は、東日本大震災と福島原発事故をふりかえらなければならない日である。

 今手元に、朝日新聞記者の三浦英之さんの『南三陸日記』(集英社文庫)がある。最初に口絵が並んでいる。

 ヘリコプターの写真の下にこうあった。

「遺体は魚の腹のように白く、濡れた蒲団のように膨れ上がっている。涙があふれて止まらない。隣で消防団員も号泣していた」

 あの日、私も、テレビを見ながら涙を流していた。なぜだ、なぜだ・・・と問いながら見続けていた。

 次の頁の写真は、倒壊した家屋である。そこにこういう文言があった。

「・・・気がつくと空ばかり見上げていた」

 あの日、私も空を見上げた。この空は、あの空につながっている・・・重苦しい、重苦しい日々が、続いた。

 忘れてはいけない、と思う。あの原発事故も。
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【映画】「グエムル 漢江の怪物」

2020-03-11 13:17:14 | 映画
ポン・ジュノ監督の映画で、アマゾンプライムで無料で見ることが出来る。ポン・ジュノ監督の「パラサイト」を見ていないので、他のポン監督のものを見続けている。
 この「グエムル 漢江の怪物」は韓国で爆発的なヒットを記録したそうだ。ソウルの中心を流れる漢江(ハンガン)の河川敷で、小さな売店を営みながら暮らすパク一家。その漢江から怪物が出現する。その怪物、アメリカ人と思しき人物が漢江に毒薬を流したその結果として出現したようだ。その漢江の脇で売店を営んでいるパク一家が、怪物と遭遇し、娘のヒョンソが奪われてしまう。警察や軍隊は真剣にこの怪物に対峙しないまま、パク一家は父親(ソン・ガンホ)を中心に探しまわり、ヒョンソを救い出すが手遅れであった。パク一家はそれでも怪物にとどめをさす。ヒョンソのいない、しかしヒョンソとともにいた浮浪の少年との生活が始まる。

 ポン監督の映画は、とにかくぐいぐいと観ている者をひきつけて離さない。ポン監督のテンポに引きづられてしまう。ポン監督の「母なる証明」は、テンポは速くはないのだが、観客をとにかくひきつけて離さない。

 そしてところどころに、一枚の写真となるような映像がはさみこまれる。よくもまあ、こういう撮り方ができたものだとこれにも感心してしまう。

 ところでこの映画にでてくる軍隊や警察など「公的機関」は一切の働きをせずに、妨害ばかりする。パク一家の言うことを一切信じない。

 ポン監督も、おそらく国家権力に根本的な疑念を持っているのだろう。「公的機関」が国民を信じない、ということは、国民が「公的機関」を信じないということでもある。

 良い映画だ。
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ナオミ・クライ『ショック・ドクトリン』(上)

2020-03-11 13:17:06 | 近現代史
 刊行された時に買っておいたこの本、新自由主義を批判的に捉えるためには必須のものだと認識し読みはじめた。まさに現在に繋がる現代史である。上巻だけを読み終えたが、その内容はきわめて刺激的であった。

 まず新自由主義を批判する際には、1973年9月11日のチリ・アジェンデ政権を倒すクーデタから説き起こさなければならないということだ。新自由主義の本質は、この事件に詰まっている。
 本書は、中南米諸国が新自由主義になぎ倒されていく過程、暴力的ではない手段でおこなわれたイギリスのサッチャリズム、ロシア、ポーランド、中国・・・がどのように新自由主義が権力と結びつき支配的な経済政策となったのかが記されていく。

 読んでいて思ったことの一つは、新自由主義は労働組合や批判的な中間的な団体などの「抵抗勢力」を押しつぶしていくのだが、日本でも「抵抗勢力」たる労働組合・総評などをゆっくりと破壊していった際、チリや南米の事態を教訓として組合側が総評や地区労の破壊の意味を考えようとしなかったのか、ということである。

 また南アフリカ共和国。ネルソン・マンデラという抵抗者がやっと市民権を得てアパルトヘイトが廃止されたにも拘わらず、何故にいまもって経済的な格差を基礎にした黒人差別が横行しているのか疑問に思っていたのだが、マンデラらが属するアフリカ民族会議はアパルトヘイトを廃止するという政治的改革のみに注目し、経済的なあり方についてはほとんど問題にしなかった。そうしたなか、白人らは政治的改革を無にするような経済的な束縛をつくりだし、経済的社会的にアパルトヘイトを実質的になくしていく方策をとらせないようにしたのであった。これを読んで、いわゆる「抵抗勢力」は政治的な問題ばかりをとりあげて闘うが、そうではなく経済的な制度や政策をきちんと勉強して、ヤツらと対等にやり合うことが出来るようにならなければならないと思った。

 まだまだ上巻であるが、学ぶことは多い。しかし新自由主義と闘うということは、実は絶望的なのではないかという気持ちを抱いてしまった。それはそれほど簡単ではないということである。

 とても良い本である。
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