良い本だ。ヒトラーやナチス関係の本を今までも読んできたが、これは最新の研究を盛り込んだもので、新しく教えられたことが多かった。
まずナチスそのものや、ナチスに協力した人びとがたくさん挙げられ、それぞれに生没年が記されていた。それを見ていくと、手を汚した者たちが1945年のドイツ敗戦をまたぎ案外長生きしていることに驚いた。日本の牟田口廉也のように、悪事の中心部にいた者どもが長生きをする。
またアウトバーンの建設がヒトラーの発案によるもので雇用を生み出したという認識を持っていたがそうではなかった。というように、今まで言われていたことについて、本書は研究成果をもとに、きちんと史実を明らかにしていく。
ナチスやヒトラーを知っているという人にも、ぜひ読んでもらいたいと思う。
「ユダヤ人に対する国家的な組織暴力は、ドイツがもはや真っ当な法治国家でないことを国内外に印象づけた。数え切れない蛮行が公衆の面前で繰り広げられた。無軌道なナチ党員、突撃隊の狼藉に眉をひそめる者は少なからずいたのに、国内ではなぜ抗議の声があがらなかったのだろうか。」(289)という問いを石田はたてる。
その一つの答えは、「外交的成功こそヒトラー人気の源泉だった」、ベルサイユ体制下で列強に虐げられたドイツ国民のプライドをヒトラーが少しずつ回復させていった、ということがある。そして、
「ヒトラー政権下の国民は、あからさまな反ユダヤ主義でなくても、あるいはユダヤ人に特別な感情を抱いていなくても、ほとんどの場合、日常生活でユダヤ人迫害、特にユダヤ人財産の「アーリア化」から何らかの実利を得ていた。たとえば同僚のユダヤ人がいなくなった職場で出世をした役人、近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の家財道具や装飾品、楽器などを競売で安く手に入れた主婦、ユダヤ人が経営するライバル企業を安値で買い取って自分の会社を大きくした事業主、ユダヤ教ゲマインデ(信仰共同体)の動産・不動産を「アーリア化」と称して強奪した自治体の住民たち。無数の庶民が大小の利益を得た。」(291)
「アーリア化」というのはユダヤ人を追い出してその財産を「アーリア人」(ナチスが認定するドイツ国民)が奪うことを意味するが、それによりドイツ国民は利益を得たのである。ということは、庶民は、悪行であってもそれによりみずからの利益になるのなら問題としない、ということなのだ。芥川龍之介の「羅生門の下で雨やみを待つてゐた」「一人の下人」の羅生門を去って行くときのある種の決意は、要するに庶民の意識なのだろう。そういう人びとを、私たちはいつも見ている。
たとえば、
東京にオリンピック招致が決定したときのあの政治家やアスリート達の歓声。しかしその招致には、開催予定期間は「晴れる日が多く温暖でアスリートに最適な気候」という虚偽が記され、また様々な不正行為や虚偽がまとわりつていた。そういう悪事を行っても、彼らは分け前(利益)にあずかれるからそれに乗ったのだ。利益があるのなら何でもOK、それが庶民だ。
もうじき梅雨が明ける。炎暑がやってくる。その下で、アスリートたちが競うのだ。すでに COVID-19はさらにその感染力を増してきている。人びとが集まれば、 COVID-19も歓声をあげ、人びとに感染の輪を広げる。
破滅に向かうナチスの時代と同じような時代に私は生きている。しかし私は東京オリ・パラで利益を得ることはまったくない。
この東京オリ・パラで、利を得る人は多くはない。逆に損ばかりさせられるのである。だから、「東京オリ・パラはいらない!」と叫ぶのだ。