浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】三浦英之『災害特派員』(朝日新聞出版)

2022-05-01 12:44:08 | 

 とても、とてもよい本だ。一気に読んでしまった。そして泣いた。

 私は、表現方法として、自分自身が泣いたことは書かない。自分自身の感情の表出はしないほうがよいという判断だからだ。原稿を書きながら泣くこともあった。ある自治体史で戦争に行った兵士の諸々のことを書いていたとき、亡くなった兵士の思いを書き綴った文、あるいは特攻隊として出撃する前に記した歌などを次々と読み続けていたとき、私はオイオイと泣きながらキーボードを打っていた。歴史の叙述だから当然自らが泣いたことを書くことは絶対にないが、それ以外の文に於ても、私はみずからの感情の表出は書かない。

 しかし三浦はそれを書く。その意味でも、三浦は善良な人間であることがわかる。

 私が泣いたところのひとつは「新しい命」だ。結婚したばかりの夫が津波に呑まれて亡くなった。妻のお腹の中には新しい命が宿っていた。夫の母も、両親と子どもを亡くした。若い夫婦は、結婚式は挙げたのだが婚姻届は出していなかった。3月11日に出す予定であったが、大震災で出せなかった。妻は、もちろん新しい命を産む。夫の母も、新しい命の誕生を祈り、願った。そして誕生した。その写真が載せられている。亡くなった人びとのその後に、新しい命が誕生する。それは希望である。

 本の中に、カラー写真がまとまって載せられているところがある。「新しい命」に関わる写真もそこにある。そしてその最後に、ふたりの子どもが笑顔で歩いている写真があった。いい写真だな、被災地の希望、未来が、ここには映し出されていると思った。それを撮影したのは、河北新報社の渡辺龍である。しかし彼はガンのために亡くなった。もう身体が自由にならない状態で撮ったものだ。

 泣いたところの一つは、その渡辺記者が亡くなったことを記した最終章、「最後の写真」である。この本は、渡辺に捧げられている。

 本書には、無数の死と隣り合わせの希望と未来が記されている。そして無数の死を起こしたあの津波の姿も。私にとっても忘れられない姿だ。

 もう一個所泣いたところは、「警察官の死」である。死は、いつも悲しい。永遠の別れは悲しい。温かい人間関係があればあるほど悲しみは深い。その悲しみを、みずからの悲しみとして受けとる。

 本書には、教育のこと、災害に遭ったときの心得なども記されている。それらも勉強となる。

 お薦めの本である。著者の筆力が、読者の目を休ませることはないだろう。

 今日は午後から雨。午前中は、知人のところに里いもの種芋を届けた。また、毎年たくさんつくっている夕顔の苗を別の家に届けに行った。午後は、静かだ。

 

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「人を殺すのは・・・・・・いつだって「忘却」なのだ」

2022-05-01 08:16:52 | 日記

 雨が降っていなければ、ほぼ毎日3時間は畑にいる。今、農繁期なのだ。秋冬野菜を収穫し、そのあとに夏野菜の種を蒔いたり苗を植える。ただ植える前に、草をとり耕し、肥料を入れなければならない。ぐったりして帰宅する。中腰になることが多いので、腰痛に苦しむ。

 人びとが散歩する道沿いには、ネモフィラ、ストロベリートーチなどを咲かせ、通りかかる人から「キレイだね」と言われることも多い。しかしそれも色あせてきた。夏は何を咲かせようか・・・・と考える。

 さて昨日図書館に行き、三浦英之『災害特派員』(朝日新聞出版、2021年)を借りてきた。蒲団に入って読みはじめたところ止まらない。頭が冴え、10年前のことを思い出す。2012年、東北を旅行し、大川小学校や名取市など被災地を見た。その時の光景が次々と思い出される。しかし、三浦はジャーナリストとして被災直後の現地に入った。だから、三浦の筆力とも相まって、ぐいぐいと引っ張られる。

 その内容を紹介するのはあとにして、三浦の「人を殺すのは「災害」ではない。いつだって「忘却」なのだ」ということばについて考えたい。

 東日本大震災は多くの人を殺した。しかし被災した地域は何度も大きな地震、津波の被害を受けている。多くの犠牲者と破壊され流された生活の場。しかし年月の経過は、その痕跡を消し、人びとの心の中の記憶も、とりわけ直接の体験者ではない人びとにとって消えていく。

 だが、歴史はきちんと刻まれている。戸倉小学校の子どもたちは教師に引率されて高台に逃げた。しかし津波は巨大で、高台からさらに神社がある山上に逃げた。高台は津波にさらわれたが、神社付近は安全であった。むかしの被災者たちは、ここは安全だということで、また同じような津波が来たときにはここまで逃げれば助かると教えようとしたのだろう。

 「忘却」が人を殺す。なるほどと思う。

 ウクライナがヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒトが並んだ写真を示したことで、日本から抗議がなされ謝罪したというニュースがあった。しかし、日独伊三国軍事同盟を結び、第1次世界大戦以後の安定した世界秩序の破壊を試みたのはこの三国であり、その最高権力者はこの三人であった。それが世界の常識である。

 ドイツやイタリアは、ウクライナに抗議などしなかった。なぜなら、両国は、過去の戦争責任を自覚しているからだ。二度と繰り返さないために、自国の過去の罪責と向き合うことが必要だ。それが歴史を忘れないということだ。

 だが日本政府やその周辺は、ウクライナに抗議した。なるほど日本は、1945年に終わった戦争、日本みずからがアジア太平洋でしかけた戦争について、その罪責を見つめていない、反省していない、ということをウクライナだけではなく、世界に示してしまったのだ。

 「忘却」が人を殺す、と三浦は言う。それは災害だけではなく、戦争だって同じである。

 過去の歴史は、その歴史がどんなものであれ、現在と未来を照らしだす。過去の歴史はいろいろな教訓を示しているはずだ。それを謙虚にみつめる、生かす、そのことによって現在、未来はより良いものにつくりあげていくことができる。

 残念ながら、日本の権力者は、「忘却」することを推進しているようだ。ならばまた、日本は同じことを繰り返すだろう。

 三浦が言うように、「人を殺すのは・・・・・いつだって「忘却」なのだ」。

 

 

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