とても、とてもよい本だ。一気に読んでしまった。そして泣いた。
私は、表現方法として、自分自身が泣いたことは書かない。自分自身の感情の表出はしないほうがよいという判断だからだ。原稿を書きながら泣くこともあった。ある自治体史で戦争に行った兵士の諸々のことを書いていたとき、亡くなった兵士の思いを書き綴った文、あるいは特攻隊として出撃する前に記した歌などを次々と読み続けていたとき、私はオイオイと泣きながらキーボードを打っていた。歴史の叙述だから当然自らが泣いたことを書くことは絶対にないが、それ以外の文に於ても、私はみずからの感情の表出は書かない。
しかし三浦はそれを書く。その意味でも、三浦は善良な人間であることがわかる。
私が泣いたところのひとつは「新しい命」だ。結婚したばかりの夫が津波に呑まれて亡くなった。妻のお腹の中には新しい命が宿っていた。夫の母も、両親と子どもを亡くした。若い夫婦は、結婚式は挙げたのだが婚姻届は出していなかった。3月11日に出す予定であったが、大震災で出せなかった。妻は、もちろん新しい命を産む。夫の母も、新しい命の誕生を祈り、願った。そして誕生した。その写真が載せられている。亡くなった人びとのその後に、新しい命が誕生する。それは希望である。
本の中に、カラー写真がまとまって載せられているところがある。「新しい命」に関わる写真もそこにある。そしてその最後に、ふたりの子どもが笑顔で歩いている写真があった。いい写真だな、被災地の希望、未来が、ここには映し出されていると思った。それを撮影したのは、河北新報社の渡辺龍である。しかし彼はガンのために亡くなった。もう身体が自由にならない状態で撮ったものだ。
泣いたところの一つは、その渡辺記者が亡くなったことを記した最終章、「最後の写真」である。この本は、渡辺に捧げられている。
本書には、無数の死と隣り合わせの希望と未来が記されている。そして無数の死を起こしたあの津波の姿も。私にとっても忘れられない姿だ。
もう一個所泣いたところは、「警察官の死」である。死は、いつも悲しい。永遠の別れは悲しい。温かい人間関係があればあるほど悲しみは深い。その悲しみを、みずからの悲しみとして受けとる。
本書には、教育のこと、災害に遭ったときの心得なども記されている。それらも勉強となる。
お薦めの本である。著者の筆力が、読者の目を休ませることはないだろう。
今日は午後から雨。午前中は、知人のところに里いもの種芋を届けた。また、毎年たくさんつくっている夕顔の苗を別の家に届けに行った。午後は、静かだ。