ウクライナだけではなく、世界各地で戦争が起きている。それらの戦争の下で、多くの庶民が殺され、傷つき、逃げ惑っている。そういう現実を前に、私たちはどうすればよいのか、という問いに立たされる。
しかしすべての戦争に対して、少なくとも私は何らかの対応をとることはできない。遠方であり、いかなる原因で戦争が開始されたのか、その真実を知ることができないし、また戦争を行っている当事者のいずれかが「正義」なのかを判断することすらできないからだ。
アフガニスタンにおいて、故中村哲さんは、いかなる勢力や国家が戦争を行おうとも、そこの大地に生きる人びとのために、医療を施し、井戸を掘り、運河をつくり沙漠を緑の地に変えてきた。だから私は、ペシャワールの会を支援してきた。
その他はどうだろう、私は判断できないが故に、国境なき医師団、UNICEFに寄付してきた。そして今回のロシアによるウクライナ侵略に際しては国連難民高等弁務官事務所にも寄付するようになった。
そして明らかな侵略に対しては、例えばベトナム戦争におけるアメリカ、イラクへのアメリカなどの侵攻、ソ連によるアフガニスタン侵攻、アメリカなどによるアフガン侵攻、イスラエルによるパレスチナ侵略・・・・などを批判してきた。
今回のウクライナへのロシアの侵略は、明らかに批判されるべきであり、アメリカなどがイラクに侵攻した例をあげてみずからの「合法性」を主張するのは、まったくの誤りである。いけないことは、いけないのである。
私は、そこに住む庶民の目線からみようとする。権力者などの目線ではない。そこで主張するのは、「殺すな」である。だから、殺そうとする者たちに、当然批判の眼は向けられる。ウクライナの場合は、ロシアが批判の対象である。ロシアが侵略してこなかったら戦争は起きていない。
ミャンマーの場合は、もちろん国軍が批判の対象である。
そして私は、ロシア軍にたいしてウクライナの人びとが軍事的に抵抗すること、ミャンマーの人びとが武器をとって戦うことを否定しない。その結果、より多くの死傷者がでることが予想される。その事実の前に私は立ちすくむが、私は「仕方がない」というしかない。早く戦争がなくなり、もとの日常が戻ることを祈るしかない。
私の原点は、ベトナム戦争反対である。そのときにとった自分の行動にしたがって、世界各地の戦争への態度を決めている。私は、ベトナム戦争のとき、ベトナムの人びとに武器による抵抗をやめろと言わなかったし、アメリカに南半分をあげればよい、などと言わなかった。アメリカを、ベトナムから追い出すことだけを願い支援した。
いろいろな言説が、ロシアによるウクライナ侵略に関して出回っている。私はこの件でも、ベトナム戦争反対運動の経験から判断する。ロシア軍をウクライナから放逐しようとするウクライナの人びとの行動を支持する。