浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

煩悶

2022-05-17 21:36:15 | 

 「ウクライナから問う」の『現代思想』の巻頭は、ウクライナの詩人の「ブチャの後で」という文である。

 その文の最初に、ドイツの思想家、音楽家、哲学者・・が並べられる。そのような人たちを擁するドイツ国民は、アウシュビッツなど「ホロコーストの現象」などに対して、「何ら責任を負うことはない」とある。

 これはフランクフルト学派のアドルノの「アウシュビッツの後で、詩を書くことは野蛮だ」ということばを意識している。

 チャイコフスキーやプーシキン、トルストイ、ドストエフスキー・・・・・ロシアは、無数の文化人を輩出している。

 ロシアの文化とロシアのこの蛮行は、果たして無関係なのか。プーチンを生み出したロシア(ロシアの人びと)には、「責任」はないのか。

 このような問いを突きつける。何ということだ。このような問いは、近代日本が行ってきた無数の蛮行の「責任」を、オマエはどう考えるのかという「詰問」につながる。

 きわめて重い問いである。ウクライナの詩人、ユーリイ・アンドルホヴィチの「ブチャの後で」は、まさに「ウクライナから問う」ている。

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日本では想像できないこと

2022-05-17 21:18:00 | 国際

 アメリカは好きではないが、こういうことができる。素晴らしいことである。

米報道官が就任後初会見 「障壁破った」先人に感謝

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アイヒマン、日本テレビに・・・

2022-05-17 19:48:55 | メディア

 テレビメディアのご臨終はもう間近!

元内調トップで安倍氏側近、北村滋・元内閣情報官 日本テレビへ「降臨」

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本を買う

2022-05-17 19:48:55 | 

 6月に天皇制についての講座があるので、その準備をしなければならないのだが、読まなければと思った本が次々と到着してきている。それ以外にも送っていただいた本もあり、たいへんである。

 今日届いたのは『現代思想』の「ウクライナから問う」である。ずっしりと重い。内容も重いのだろう。池田嘉郎と塩川伸明との対談から読みはじめた。最初の「現在のロシア・ウクライナ戦争を考えるには、歴史的に長い視野をもった議論が必要です」という池田の主張に同意する。ロシアのウクライナ侵攻には、当然歴史的・空間的な理由背景があるはずだからである。私もそれを理解したい。なぜロシアはこんなバカなことを始めたのか、と。

 そのためには、歴史は勿論だが、社会主義という名の下にあった国家権力のあり方についても考えなければならないと思っている。社会主義権力には、重大な瑕疵があったのではないか、と。社会主義国と称した国家(社会)に、あまりに大きな問題が横たわっているからだ。もちろん、日本始め資本主義国のどうしようもない状況もあるが、「理想」としてあった社会主義の「権力」が、「理想」とは裏腹の結果になったのはなぜか、と。

 ロシアのウクライナ侵攻については、きちんと勉強しなければならないと思っている。

 私は書店ではなく、通販で主に本を買っているので、最近到着したものは、河原仁志『沖縄50年の憂鬱』(光文社新書)、川上高志『検証 政治改革』(岩波新書)。注文してあるのが、加藤陽子他『学問と政治』(岩波新書)、山崎雅弘『未完の敗戦』(集英社新書)である。

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昨日の『東京新聞』

2022-05-17 19:23:28 | メディア

 一日遅れの『東京新聞』。驚く内容、ほとんどが沖縄の記事で埋め尽くされる。15日も多かったけれども、16日はもっと多い気がした。

 一面トップは「平和の島 達成されず」。二面の「核心」は「沖縄復帰50年 増える負担、経済格差もなお 「基地なき島」道筋なく」、社会面は2面を使って「「命どぅ宝」私たち日本の課題」「痛む沖縄 あの日と同じ涙雨」、「こちら特報部」は「沖縄の激情 脈々と息づく東京の街角にて」、そして『琉球新報』『沖縄タイムス』の編集局長の文を並べ、社説では「「うちなー世」はまだか」

 スゴイの一言。

 ジャーナリズムはこうでなければならない。『東京新聞』を一日遅れでも、購読していてよかったと思った。

 私のススメで、静岡市と島田市の友人が購読している。

 これくらい一挙に報じなければ、沖縄の問題は日本本土の人びとの認識にはならないだろう。

 ちなみに、2面には、プーチンと未来をみつめていたアベしんぞーの最近の発言についてもちろん批判的に書いている。だいたいプーチンにだまされて多額のカネを巻き上げられた輩をなぜメディアはいまだに発言させているのかと思う。

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『差別の歴史を考える連続講座 講演録』

2022-05-17 15:17:06 | 社会

 今日、京都部落問題研究資料センターから、『差別の歴史を考える連続講座 講演録』が届いた。2021年度の版である。

 同センターは毎年連続講座を開催し、その内容を本として刊行している。内容は、差別に関わる諸々のことである。被差別部落、朝鮮人、貧困者、外国人、女性、障害者、ハンセン病患者・・・・・・に対して差別行為が行われてきた。差別はなくならない。

 差別意識は日常のなかに出現し、また消え、また現れる。しかし、その差別意識が社会の中にひろがっていき、社会的差別意識として「成長」していくものもある。とりわけ公権力が差別を容認し、促進するとき、差別は固定化し、人びとは差別の表出をためらうことをしなくなる。

 ここで私の差別論をこれ以上主張することはしないが、差別はあちこちに転がっていることだけは確かである。

 さて本書の最初の講演録は、「戦後バラックと京都」(本岡拓哉)である。戦後、京都だけではなく、簡易的な住宅があちらこちらにつくられた。そこには貧しい人びとが集住した。そのバラックについて、どのような人が住んだのか、いつ頃誕生し、なくなったのか、そしてそこに住んでいた人々はどこへいったのか・・が書かれている。

 読んでいて、幼い頃のことを思い出した。私が小学生の頃は、まだまだ貧しかった。私には自宅があり、農地も少しあった。母子家庭ではあったが、母は公務員であったから、ふつうの生活はできていた。

 しかしそうではない家庭もあった。寺の隣にお堂があった。窓もなく暗い一部屋に一家が住んでいた。お堂という寺の施設であるから台所もトイレもない。お堂の前に、簡易的な台所やトイレがあった。同じ歳の子どもがいたので、いつも一緒に遊んでいたし、そういう家だからということで特段差別することもなかった。中学生になってその子とは遊ばなくなった。そしていつのまにかその一家はどこかへ引っ越していった。

 私の住むところから東の方には小さな川があった。その川の東を「川東」といっていたが、そこには小さな長屋が並んでいた。バラックというイメージの長屋であった。私が住む「川西」は昔からの農家が並んでいるところであった。あるときその川で魚とりをしていたら、母がやってきた。そしてすぐにやめさせられて帰宅、裸にされて全身を洗われた。「こんな汚い川で遊んではいけない」というようなことを言われた記憶がある。

 しかし今、そこは狭い家が多いけれども、新しい家がたっている。昔からの住人がいるかどうかは知らない。

 バラックというと都市というイメージを持つが、高度経済成長の前の時代には、バラックのようなところがあちこちにあったと思う。天竜川の堤防下には、「朝鮮人部落」もあった。

 小学校の低学年のときには、水道ではなく井戸であったし、ズボンや靴下もつぎを当ててはいていた。

 貧しい時代であった。この文を読みながら、その時代を思い出した。

 

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