友人が、私のブログは文が長いので・・・・・と言っていた。多くの人はTwitterに慣れていて、短い文を読むことには苦痛を感じないらしい。
私は、自らの意思を伝達するためには、きちんと文として展開しなければ不可能であり、またへんな誤解を与えてしまうのではないかという虞をもつ。
実際、Twitterの文を読むと、短い文章で批判したり、論争したりしている。そこで使用されていることばはきたないものもあり、なかには暴力性をもったことばもある。そういうことばをつかわないと、短い文で何らかの意味ある内容を伝えられないのかもしれない。
だが、それによって不要な対立を生む。
Twitterは簡単にネット上に思ったことをアップするわけで、みずからのなかでは未消化なもの、あるいはきちんと調べていないもの、吟味されていないもの、ふと思いついただけのもの・・・・が渾然としている。そういうものは、以前だったら他人の目に入るところに示されることはなかったのだが、Twitterはだれでも見ることができるから、それらが問題視されることになる。
だから、私はTwitterをやる意思はない。生煮えの思考は、公の場に示すべきではないと考えるからだ。
とくに、本来ならば手を結ぶべき人びとが、生煮えの思考をさらすことによって不毛な対立関係に入っている事例もあり、そういうことは避けなければならない。理性的で冷静な対応ができるように、慎重な意見発表が求められていると思う。議論の場を、感情的な対立が台無しにしてしまうこともあり得るからだ。