浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「モスクワ人魂」と日本人

2022-05-27 21:25:35 | その他

 『現代思想』、「ウクライナから問う」に、ドメイトロー・ドンツオーウの「モスクワ人魂」の翻訳が載せられていた。

 まずショックだったのは、プーシキンの「転向」が記されていたことだった。高校生の頃、プーシキンの詩に心を高ぶらせていた。プーシキンはデカブリストの乱の周辺にいた。ところが彼は「ロシア専制政治」の宮廷詩人となったのだという。

 同時代の詩人がこういう詩を書いている。

 彼は自由を人びとに布教せり/ツァーリを民とともに裁きに呼べり/しかるにツァーリのシチュー(キャベツスープ)を味をしめるや/宮廷の皿まで舐めるおべっか使いと成りにけり

 何ということだ!

 そしてドンツオーウはモスクワ人=ロシア人の特徴を記している。

 ・・彼らの「自然な状態」とは、本物の力の奴隷であることである。このような力が彼らの眼前に立ち上がるところ、彼らは跪く。我が君主の前で、もしそれがピョートル一世かスターリンのような者であったれば、そして外国人の前で、もしそれがタタールの汗(ハン)のような(強大な)者であったれば跪いて改悛する。そうでない者たちには、襲い掛かり齧りついて噛み殺す。

 ロシア専制政治により支配され、その後社会主義権力のスターリンにより支配されてきた人びとが、一挙にそうした習性から脱して自由人になることはない。奴隷状態のまま生きてきた、というのだろう。

 しかし、権威や権力者に従属的であるという習性、長いものには巻かれろ、そして自分よりも「弱い」と見做した者には、暴力を振るう、暴力を振るわなくても、暴言を吐く、という習性は、日本人のものでもある。そうした姿を、たくさん見てきた。ロシア人の習性は、同時に日本人のそれでもある。

 そのような習性は、学校で強く育成される。目立たないように、まわりと同調する。教師に逆らわない。抑圧された感情は、イジメという陰湿な行為へと転化する。イジメの相手は、「弱い」とみなした者である。

 ロシア社会と日本社会は、似ているのだろうか。

 

コメント
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