韓国映画である。
韓国では儒教的な習慣が強い。強制的労務動員の調査に訪韓したとき、先導していただいた警察官が、集まったお年寄りたちに対して、深く深く頭を下げていたことを思い出す。
男尊女卑という思考も、中国を中心とした東アジアでは強く残存している。日本でのその思考は、近代以降に強く制度化されたが、中国や朝鮮ほどには強くなかったはずだ。
日本においても、韓国においても、男女平等はまだまだ先の話だ。
1982年生まれのジヨンは、職業人として生きていた。しかし結婚し、子どもが生まれて家庭に入る。家事と育児に忙殺され日々を過ごす。しかし彼女は、社会の中に生きていたいという欲求をもつ。しかし、それが難しい。閉塞感が募り、精神的にも追い詰められていく。それを更に追い詰めるのが、父であり、義母であり、困難な状況に立ち向かっていない若い人たち、である。同じような境遇を経験している女性たち、それには実母も含まれるが、ジヨンの感情や欲求に理解を示す。夫も理解を示しはするが、できるのは若干の手伝いだけで、根本的な解決を提示することはできない。
女性がみずからの能力を、社会でも家庭でも発揮できるような社会は未だ形成されてはいない。だから女性が苦しむ。
ジヨンの苦しみをほんとうに解決する社会的手段は、現実のところ、ない、というのが悲劇的であり、それはまた日本や韓国の現実である。多くは個別的な解決、祖父母の全面的な支援が可能である場合などだ。
女性が社会的にも活躍できる社会にするためには、保育所などの施設の拡充、男性の長時間労働の廃止、男女の賃金格差の是正などが求められる。
この映画は、現在の韓国社会のなかで、家事と育児だけしていればよいという女性に向けた役割期待のもとで、女性がいかに苦しんでいるかを示したもので、それは韓国だけの問題ではないということだ。
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