浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

もうやめよう!

2022-05-18 22:39:14 | 政治

 私は、今まで自治体史の編纂で近現代史を担当してきた。私の視点は、「大日本帝国」を地域が担ったという視点から、自治体史が陥りがちな当該地域のみの歴史ではなく、当該地域に生きた人びとがどこに行き、どういうことをしたのか、あるいは当該地域に入ってきた人たちはどういうことを強いられたのか・・・・ということを書いてきた。当該地域の人びとは外国にたくさん行っていた。戦争をするためであった。女性も従軍看護師として外国に行っていた。

 その彼らが残した手紙や生きて帰って来れた元兵士が記した従軍記などを、その戦争の全体の動きに位置づけて記していった。戦場に動員された人びとは、自分自身がどういう戦争に参加したのか、どういう「敵」と戦ったのか、参加した戦闘がどういう位置にあったのかなど、マクロに見ることはできなかった。国家や上官の命令によって、蟻のように這いずり回って戦った。

 いつも書いていて思ったことは、戦争は悲惨であり、残酷であり、そこに何らの意義も見つけられないということだった。ミクロな戦争をみつめながら、戦争はしてはいけない、戦争に反対し、平和を維持しなければならないということであった。

 戦争が起きると、庶民が苦しむ。しかし他方、戦争によって肥え太る者もいる。肥え太る者は、しかし戦場には行かない。

 だから、だから庶民は戦争をしてはいけない。

 ウクライナでの戦争、できるだけ早く止まって欲しいと思う。ロシア軍の侵略・蛮行に抵抗するウクライナの人びとに思いを馳せながら、侵略を始めたロシアの支配層は何をしているのかと思う。彼ら支配層のなかで、理性的にものを考えることができる者はいないのか。ロシアがこの戦争で得るものはない。国際的に非難され、経済的な制裁を受け、ロシアの庶民は兵士とされて死傷し、ロシア軍が一般的に思われていたほどの力を持っていないことが暴露され、この戦争でロシアの目的は達せられないことがほぼ明確になっている。もうやめるべきだ。

 やっと、ロシアの支配層のなかから、プーチンの戦争を批判する者が出て来たようだ。国際法を踏みにじり、ウクライナの人びとを殺戮し、生活の場を破壊した責任を、ロシアは負わなければならない。

 

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さすが『現代思想』

2022-05-18 11:37:17 | 

 『現代思想』6月臨時増刊号「ウクライナから問う」は、本そのものも重厚であるが、内容もそれに劣らずである。いろいろなことを考えさせる材料を提供してくれる。

 今までロシア史については、一般書『興亡の世界史 ロシア・ロマノフ王朝の大地』(講談社)のほかは、ロシア革命に関するものしか読んで来なかった。しかし、今回のロシアのウクライナ侵攻を理解するためには、ロシア帝国、ソ連、そしてロシアの長期にわたるロシアの歴史に対する知識が必要であることを、とりわけこの本の「境界の歴史」に関わる論考により知ることができた。

 プーチンはロシアとウクライナは「一体」であることを主張していた。しかしウクライナは「独立」した民族であることを主張する言説もあった。その経緯を描いているのが、村田優樹による「20世紀初頭のウクライナ・ナショナリズムとロシア・ナショナリズム 「独立説」と「一体説」の系譜」である。ロシア、ウクライナとも、国民国家(nation state)論では割り切れない地域であるということである。そしてウクライナの「独立」は、ロシア革命後の国家権力によって採用されたものであり、それ以後の歴史の中でウクライナが分節化されてきたというわけだ。

 ところで、海に囲まれた日本列島に住む私たちにとって、驚きの事実が、アベル・ポレーゼの「困難な戦争避難も次には慣れていく」という文に記されている。イタリア生まれのポレーゼはウクライナを調査地としている、戦禍のウクライナから避難してきた学者である。彼は、ウクライナの民族構成は複雑で、ロシア人、ウクライナ系ポーランド人、ブルガリア人、ルーマニア人などが住み、オデッサ近くではドイツ人、フランス人、スイス人の村があるという。もちろん、ユダヤ人も住んでいる。多様な民族、歴史、文化、言語をもった国がウクライナなのである。そしてウクライナの原義は、「境界地帯」だそうである。

 中村唯史は「実体化する境界」において、次のような事実を示す。

 ハリキウ/ハリコフに住んでいたロシア人家族が戦火を避けてポーランド国境まで移動し、女性はそこに留まって避難民となり、男性は取って返してウクライナ軍兵士としてロシア軍と戦っているとき、この二項対立の図式の「ロシア」とは、「ウクライナ」とはいったい何か。

 凄まじい破壊と殺戮が行われたマリウポリはー

この市の住民の三分の一がロシア人であり、6割を占めるウクライナ人も含めた全市民の9割以上がロシア語を主要な使用言語としていることは、ほとんど報じられていない。「ロシアーウクライナ」の図式は、ロシア軍の無差別攻撃によって、ウクライナ人だけでなく相当数のロシア系市民、ロシア語話者が死傷し、避難している事実を、人びとの視野から覆い隠している。

 ロシアのウクライナ侵攻という事件は、ウクライナは多様な民族構成をもっているにもかかわらず、「ウクライナ国民」というアイデンティティーを打ち立てることになるだろう。「国民国家」(nation state)が「想像の共同体」であることが納得可能な事態ではある。

 プーチンの野蛮な企みは、「ウクライナ国民」をたちあげ、今まで中立であったフィンランドやスウェーデンをNATO加盟へと走らせた。そして世界を震撼させ、国際秩序の破壊となって現れた。

 しかしそのような結果がある程度予想できたにもかかわらず、なぜプーチン政権は軍事侵攻を開始したのか。

 

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