ロシアのウクライナ侵攻に関して、ウクライナだけを批判して、ロシアを批判しないという言説がある。
私は、ロシア=プーチン政権は極悪であり、またウクライナ=ゼレンスキー政権は悪であると両者を批判している。どちらも悪であるが、ウクライナに侵攻し、ウクライナの庶民を殺傷し、生活の場を破壊するロシアの悪の方が大きいと思い、極悪と表現している。
ウクライナには統一教会もあれば、ネオナチもいる。だからといって、ウクライナの庶民の生活を破壊する権利は、ロシアにはない。
ロシアのウクライナ侵攻は、アメリカのイラク攻撃、アフガン攻撃(アフガンにはソ連も侵攻した)その他、数々の侵略を重ねてきたアメリカと同様に大いに批判されるべきである。
ロシアのウクライナ侵攻は、戦後の国際秩序の根幹を揺るがす大事件であり、日本の軍拡への急速な動きも、このウクライナ侵攻により加速化されたといってもよいだろう。
ロシアがかつてソビエト社会主義連邦だった、つまり「社会主義国」であったということを想起してロシアを批判しないという集団もあるようだ。
確かにソ連は「社会主義」を標榜していたが、しかしそれは決して人びとが望んでいたものではなかった。
今日、書庫から『幻のロシア絵本 1920-30年代』という図録を引っ張り出してきた。その冒頭には、「革命を経た1920-30年代のソヴィエト(ロシア)では、新しい国づくりに燃える若い画家、詩人たちがこぞって絵本の制作に携わり、未来を担う子どもたちに大きな夢を託していました」と書かれている。ロシア革命前後のロシア・アヴァンギャルドを背景にして、芸術家たちの自由な発想が花開いた時期が、確かにあった。ロシア革命は、夢であり希望であった時期が、確かにあった。
しかしそうした自由かつ創造的な動きは、ソヴィエト権力が確立するにつれて弱くなり、そして抹殺され、社会主義リアリズムというイデオロギーが芸術家たちに押しつけられた。
そうしたソヴィエト権力がソ連という国家の舵を取るのであるが、それは権力を掌握している者たちだけに特権を与え、それ以外の者は手段化されていき、コミンテルンという組織も「社会主義の祖国」であるソヴィエトを擁護するためだけのものとされた。
そこには、ソヴィエト権力に関わる者たちの独善によりすべてが運営されていった。だから、、日本との関わりでいえば、1945年の東アジアにおけるソ連軍の蛮行が出現したのである。
ソヴィエト権力とつながるプーチン政権は、したがって善であるわけがない。それはアメリカという「帝国」が、政権がどうであろうとも、ろくでもない独善にまみれた国家であることと同じである。
いかなる国家権力も批判にさらされなければならない。それが歴史の中からくみとる教訓である。
私は、ウクライナ侵攻に関して、ロシアを批判しない言説が流布することに驚きを隠せない。