浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「二重基準」

2023-02-12 20:11:01 | 国際

 『世界』3月号の岡真理さんの論考はとても考えさせられた。岡真理さんは、パレスチナ問題の専門家である。岡さんの本は、その繊細な神経で通常では気づけないことを指摘してくれる。今回の文章も、である。

 岡さんは、ウクライナ難民とシリア難民を比較する。同じ難民なのに、報道の仕方も世界の扱いも全く異なるという。実際そのその通りだ。ウクライナ難民については、世界からの同情が寄せられ、多くの国で受け入れられ、日本でも厚遇されている。ではシリア難民はどうか。シリアから難民となってヨーロッパにわたるさいも、危険な海を小さな船をつかい、多くの難民が遭難し、やっとヨーロッパに着いても、入国を拒否され、邪魔者扱いされている。

 ここには明確な二重基準が指摘されている。岡さんはこう記す。

非西洋世界の人々が欧米の二重基準を批判するのは、単にそれが差別だからではない。近代西洋世界は「普遍」を僭称しながら、非西洋世界の者たちには自分たちと同じ人間性を認めず、奴隷制や植民地支配を行った。非西洋世界の近現代史とは、「普遍」を掲げて人間の尊厳を蹂躙する西洋のレイシズムと二重基準に抗し、普遍的人権を字義通り真に普遍的なものとする闘いの歴史であり、その闘いは今も続く。だからこそ、かつてと同様に「先進国」として国際社会を領導する欧米諸国の、普遍的理念を裏切るレイシズムや二重基準は、西洋の「植民地主義」の暴力の継続として批判されねばならないのだ。

ロシアの侵略を非難し、侵略の犠牲者であるウクライナの人々の苦難に共感することは、人間として自然な感情のようにも思えるが、普遍的人権や平和の大切さとは関係なく、米国が是とするものを是とし、自らも戦争のできる国づくりを目指す政府の意図に沿うものでもある。だからこそ私たちは、この二重基準を批判し、人間の平等を貫徹させなければならない。

 実際報道も、ウクライナ難民については詳しく報じ、それが途切れることはない。しかしシリア難民など、非欧米で発生する難民については、ほとんど報じられることはない。

 先日『人種主義の歴史』を紹介したが、この難民問題でも、明確に人種主義(レイシズム)が存在している。

 そして岡さんは、パレスチナの状況を記す。イスラエルにより閉鎖され、ときにイスラエル軍の攻撃により庶民が無残にも殺されていく。閉じ込められた狭い空間に大勢の人が住み、しかし働くこともままならず、ただ生きるだけの生活を強いられる。

 岡さんはこう書く。

国際法に照らしてロシアのウクライナ侵攻が非難されるなら、イスラエルも同様に非難されなければならない。そうならないのは「国際社会」の二重基準のせいである。

 イスラエルのパレスチナ侵略は、ほとんどニュースにならない状況がある。

 岡さんは、末尾にこう記している。

ロシアの侵略は非難されねばならない。だが、平和の真の敵はプーチンではない。普遍的人権や国際法の「普遍性」を切り崩す、国際社会の二重基準こそ、私たち世界市民が戦わねばならない敵である。

 岡さんの主張は、鋭く私のこころに突き刺さる。 

 

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この人、自民党入党の資格は十分

2023-02-12 11:59:21 | 政治

 こういう人こそ、統一教会党=自民党が求める人材なのだ。類は友を呼ぶ。

交通費、二重計上か 自民転身の今井瑠々氏 立憲時代の21年

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冤罪

2023-02-12 08:41:54 | 社会

 昨日の『東京新聞』の「こちら特報部」は、袴田事件をとりあげている。

 先日記したテレビドラマ「エルピス」の大きなテーマは冤罪であった。冤罪を冤罪として認識した報道人が、真実を追究するという内容であった。そこには、冤罪を明らかにすることはきわめて難しいことが描かれていた。その大きな原因は、日本の司法では検察がもっとも大きな権力を持っていること、その検察がみずからの間違いを認めたくない、一度認めたことは何が何でも貫くという官僚の宿痾があること、したがって冤罪であることを権力に認めさせることは至難の業であることが指摘されていた。

 その通りである。だからこそ、再審が認められたとき、検察による抗告は認めないという制度ができなければ、検察の横暴をなくすことはできないのである。

 さて袴田事件であるが、いい加減に再審を行い、袴田さんを無罪放免とすべきである。犯行時に来ていたパジャマ、袴田さんが着用することもできない代物で、犯人として袴田さんをでっちあげた静岡県警のバカさ加減がわかるというものだ。静岡県は「冤罪のデパート」といわれるほど冤罪が多い。二俣事件、幸浦事件、島田事件、丸正事件・・

 私は幸浦事件について調べて書いたことがあるが、警察の思い込みに基づく強引な取り調べが存在していた。それは冤罪事件に共通することである。長時間の取り調べにより被疑者を「自白」に追い込むというのが、警察の捜査手法であった。

 調査したとき、残念なことに、無実が明らかにされたのに、地域ではいまだに犯人視することがあった。『週刊金曜日』最新号に、免田事件の記事があるが、無実が明らかにされたあと、免田さんは故郷の人吉市には帰らなかった。無実が明らかになっても、犯人視がなくならないからである。

 冤罪はあってはならない。袴田事件、再審をおこない、袴田さんを完全に解放すべきである。

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