今日午後、浜松演劇鑑賞会の総会があった。そのあとに、有名な演出家である丹野郁弓さんの講演が企画されていた。鑑賞会の活動にとても熱心なIくんの誘いもあって、講演会だけを聴きに行った。
講演は、ほぼ一時間。話が始まって私が思ったことは、この人はこの場で何を話すのかを考えてきていない、ということだった。まとまりのない話で、早く一時間が過ぎることを願っているようであった。
もちろん、有名な演出家であるから話すことはいろいろあるから、それでつないでいたが、一部になるほどと思うような話もあった。しかし。全体として、わざわざ聴きに行くような話ではなかった。
終りの方に、演劇は一人で見るより、三人以上でみたほうがよい、そこに文化の萌芽が生まれるというような話があった。その通りだと思う。ただし、演劇では、あまりにも親切な台本の場合には、見た感想がワンパターンとなるいうことも起きる。私はそういう演劇は好きではない。見た人それぞれが異なった感想を持つようなものが好きだ。
また政治的無策と経済的貧困の下では、美しきもの、芸術はいかなる意味を持つかというようなことも話していた。これも誰かが、アウシュビッツを経た我々に文学は語れるか・・・とかいうようなことを言っていた記憶があるが、これは重大な問題である。
演劇を見るときにはチケットを買わなければならない。現在の日本のように、一方に富裕層を抱えながら、他方で全般的貧困が覆っているとき、演劇をみようという意欲は、庶民のあいだではなかなか生まれないだろう。現実に、全国的に演劇鑑賞会の会員が減少している。観劇する経済的、時間的余裕がなくなっている。
演劇というものは、ある意味特殊な芸術の分野である。観劇者の主体的参加を必要とするからだ。主体的という意味は、観る者の想像力が求められるからである。演劇は、映画やテレビドラマのように見る者に対して親切ではない。
まあ、今日の講演は聴いても聴かなくてもよいようなものであった。
なお私は、講師料があってもなくても、講演を依頼されれば、その準備にかなりの時間を投入する。