『世界』3月号の特集の一つは、「世界史の試練 ウクライナ戦争」である。エカテリーナ・シュリマンへのインタビュー、池田嘉郎・宇山智彦・浜由樹子の座談会、塩川伸明へのインタビューが掲載されている。ここに名前のある日本人は、いずれもロシア史などの研究者である。
座談会は、しかし得るものは少ない。そこでなるほどと思った箇所は、「社会関係の主たる要素は、対等な者同士の契約関係ではなく、強い者が弱い者を従えるという服従関係であるという観念」をロシアが有し、それが「対外政策に影響している」と池田は指摘するのだが、しかしそれは別にロシアだけではなく、国際関係はそういうあり方であり続けてきた、というのが私の見たてである。したがって、それはロシア独自の観念ではないと、私は思う。また宇山は、ロシアの侵略の「正当化のレトリックは、ドイツよりもむしろ大日本帝国に似ている」というが、それには賛同する。また池田は、「プーチン政権が全体として排他的ロシア・ナショナリズムによって作動している」と指摘するが、これもまた指摘するまでもないことである。読者としては、その先の議論が欲しいのだが、それがこの座談会にはない。
また塩川のインタビューで私がしるしをつけたのはここである。
戦争を仕掛けた側と仕掛けられた側は、どっちもどっちではないのは当然です。ですから、あの戦争を始めたことそのものに対する責任は、プーチンのロシアにあるとしか言いようがないでしょう。他方、そこに至る経緯とか、背景事情とかについては、もう少し幅広く考える必要があって、特定の人、あるいは特定の国を悪者と決めつけただけでは、事態の深い理解に到達しないのではないかと思います。
その通りである。私が、ロシアとウクライナについて、ウクライナが悪だとするなら、ロシアは極悪だということと同じである。しかしいまだに、ロシアを非難せずにウクライナだけを非難する言説があるので、あえてこの個所を紹介した次第である。この塩川の指摘の後段は、その通りであって、なぜこうした侵攻をロシアが行ったのか、その背景にはいろいろな事情が存在することは言うまでもないことだ。その「事態の深い理解」に到達するためには、いろいろな資料がでてくるはずの「戦後」をまたなければならない。
だからどうしたら、この戦争をストップできるか、という提言がなされる必要があるのだが、それはまったくない。残念なことだ。高名なロシア研究者の言説がここに掲載されているのだが、しかしそうした処方箋がない。
もちろん私にもない。ただ、ウクライナから避難した人びとに何らかの手助けになればと、私は国連難民高等弁務官事務所に少額ではあるが送金をしている。国家に対して大きな不信を持つ私は、ロシア国家やウクライナ国家にカネを送るということはありえない。しかしそうした国家のなかに生きる庶民には心から同情するからである。