昨日の『東京新聞』一面トップは、1995年に日経連(現在は経団連)が出した報告書「新時代の日本的経営」についての内容だった。当時その報告書策定の中心人物であった成瀬健生が、今になって「経営者 人の大切さ忘れた」と話しているという。
あの頃は、「円高で賃金が上がり過ぎたから下げるしかなかった」と語っている。しかし、円高による賃金の上昇について、国内にいる労働者たちにとっては「上がり過ぎた」ということはなかった。それは輸出企業にとって円高が進むと困るということであり、労働者とは関係なかった。そしてその後製造業の多くは低賃金を求めて海外に工場を進出させた。今では日本のメーカーの製品であっても、つくられているのは、ほとんどが海外である。
日経連は、賃金を下げるには、低賃金でも働く労働者(報告書に言う「雇用柔軟型」)を調達することだと判断し、それ以後、経営者は海外への進出と非正規労働者の雇用を増やしていった。そして統一教会党である自民党とタイアップしてそうした制度を整備していった。「経営者 人の大切さ忘れた」といっているが、そうした報告書を作成し、その路線が一貫して強化されてきたことを、この人はどう思っているのだろうか。今ごろになって、経営者に人を大切にしなさいと諭したって、それが改善されることはないだろう。すでにこの報告書をもとにしたシステムができあがり、それがより拡充されてきているのだ。成瀬の罪は重いと思う。
二面には、もと連合会長の高木剛へのインタビューがある。
私は、非正規労働者を増加させていった原動力は、もちろん経営者と自民党政権、そして連合であると思っている。連合加盟の労働組合の多くは、経営者と気脈を通じたいわゆる御用組合である。御用組合は、経営者の利益を優先させ、そのおこぼれを労働者に分け与えるというスタンスだ。
成瀬も、労働組合が「おとなしくなりすぎてしまった。賃金が上がらなくなったのは、経営側との共犯だ」と語っている。その通りである。
総評幹部を含めて、労働組合の幹部は、連合という組織をつくり、労働組合の御用組合化を図ったのである。日経連の報告通りの雇用を、国家全体で推進してきたのだ。
成瀬は、「私が日経連でお付き合いした経営者はもっと人間を大事にしていた」と語っているが、おそらくそれは一部であっただろう。
今や、新自由主義的な企業経営方式が、公共的な県庁、市町村役場、学校にまで浸透し、トップダウン(上意下達)の運営方法が貫徹し、トップはやりたいことを平気でやるようになっている。そうした方式が、日本の沈没を速めているのである。
変わらなければ、日本は沈没する。既得権益や利権を問題としない状態が続けば、おそかれはやかれ日本は終わりである。経済界や政界のトップたちは利権確保に忙しく、そうしたことを考えていない。