浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

浜松城南高校

2023-02-21 22:42:05 | 社会

 今はもうない浜松城南高校。同校は昼間定時制の高校であった。私はその学校について、何度か書いている。

 昼間定時制のこと

 同校は、私の最初の赴任校であった。

 アマゾンミュージックで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴こうと思ったら、現在は「シャッフル」となっていて、第一楽章から聴くことができなくなっている。すごいサービスの低下である。

 もうずっと前の同校でのある年の卒業式、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の第二楽章の曲が流れている、沖縄出身の国吉さんが答辞を読んだ。学校生活や繊維産業に働く自分たちの生活を振り返り、その矛盾を衝く内容であった。その国吉さんは今はどうしているだろうか。そのときの答辞作成委員のメンバーはどうしているだろうかと、思うときがある。

 卒業生の何人かとは、今も年賀状のやりとりをしているが、年賀状をよこす人々は、みな幸せに生きているようだ。

 ラフマニノフのこの曲を聴くと、卒業式のことが思い出される。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

差別は・・・・

2023-02-21 21:55:08 | 映画

 私の差別論は、ずっと変わっていない。差別的な意識は日々生まれては消え、消えては生まれる。しかしそうした差別意識は、社会的な差別と直接つながっているわけではない。個々の差別的な意識が固定化し、また社会の中に蔓延するという事態は、公的機関(公的権力)の動向にかかっている。公的機関が公然と差別すると、無自覚な人々は、「ああこういう差別はしていいんだな」と思い始めるのだ。つまり、差別は、公的機関がお墨付きを与えることによって社会的差別となる。もちろん、公的機関が差別政策をやめても、そう簡単に差別意識はなくならない。公的機関は、差別をなくすために、差別がなくなるような施策を、展開しなければならない。

 さて、現在、日本の公的機関が公然と差別しているのは、在日コリアンに対してである。なぜ日本に多くのコリアンが住んでいるのかといえば、簡単なことだ、日本が朝鮮を植民地として支配したからである。植民地として支配する中で大日本帝国が展開した施策の結果なのである。

 私には、在日コリアンの友人、知人がいる。彼らは差別されるべきではない、という強い意志を私は持っている。差別してはならない、それは大切な倫理である、正義である。

 アマゾンプライムで、私は「アイたちの学校」をみた。そこには、朝鮮の人々や在日コリアンへの現在につながる差別が具体的に描かれていた。

 私も、彼らも、日本に住む人間である。人間同士差別するべきではない、と強く思った。日本の公的機関は、差別政策をやめろ、と私も訴えたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利権 マイナンバーカード

2023-02-21 19:50:12 | 政治

 国民にマイナンバーカードを強制する日本政府。そこには利権がうごめいているのだ。

マイナカード扱う「地方公共団体情報システム機構」に怪しい過去 理事長の俸給月額は117万5千円

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三池炭鉱

2023-02-21 12:47:37 | 映画

 アマゾンプライムに「三池 終わらない炭鉱の物語」(熊谷博子監督)という映画があると知り、早速みた。

 九州の三池炭鉱といえば、三池争議、事故で有名である。三池争議は、資本と労働者との激しい闘いが繰り広げられた、戦後最大の労働争議である。おりしも60年の安保闘争が闘われていたなかで、全国からも注目され、全国から労働者が支援に行き、また三池炭鉱労働組合の組合員らが全国に「オルグ」にまわったことで有名である。歴史学的には、戦後高揚した労働運動の天王山と言われ、この争議で労働者側が敗北したことから、民間企業における労働運動が資本の優位におかれるようになり、戦後の労働運動の行方を決定づけたといわれる。

 この争議は、石炭から石油へとエネルギーが転換する中で、炭鉱労働者の首切りに始まった。労働組合は馘首撤回を求め、徹底抗戦で臨んだ。しかし資本の側も徹底的に弾圧し、また第二組合を結成させて労働者を分断した。映画の中で、資本の側はこの争議に220億円を費やし、労働組合は全国からのカンパなど22億円を集めた。こうした争議が起きると、その争議にかかる費用は、経営側と労働組合側とは10対1と言われている。会社側はその潤沢な金で、右翼暴力団を雇ったりした。もちろん警察などの国家権力も、経営側の味方である。

 この映画には、当時の会社側の人間、第二組合を結成した人、そして第一組合の中心人物、さらに闘いを支えた家族の回顧談が語られる。

 この点においても、戦後の労働運動の分岐点となった三池争議のあらましを、この映画で見ることは大切だと思う。

 また炭塵爆発で、炭鉱夫に犠牲者が出、また一酸化中毒となった人たちもたくさん出された。しかしそうした犠牲者に対しての補償はなく、患者やその家族が座り込みなどを行って獲得していくのだが、しかしその補償はまったく十分ではない。

 これを見ていて、日本の資本主義の「発展」は、労働者たちの犠牲の上に行われてきたことがよくわかる、と思った。

 今、労働運動が下火となり、経営者と仲良しの組合の全国組織である連合が統一教会党である自民党と気脈を通じるようになっているとき、過去のこうした争議を振り返ることは重要であると思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする