『世界』5月号を読み進めているが、田仲康博さんの「「戦後ゼロ年」の沖縄から」は、きわめて刺激的な論考であった。
沖縄は、日本の対米隷属の最前線。アメリカに何らかの脅威が起きたときには、アメリカ本国と同じように対応する。田仲さんは、2001年9月11日のことを記す。その日、沖縄は、平時から戦時へと変わったことを記す。私たちは、9・11を他国のこととしてみていた。しかし沖縄はそうではなかった。沖縄はアメリカそのものであったのだ。
アメリカがどこかで戦争するとき、沖縄も戦争をする。アメリカは四六時中どこかで戦闘をしているから、沖縄はいつでも「戦時」なのである。だから、沖縄には「戦後」はなかった。だから「戦後ゼロ年」なのだ。
日本では、現在の自民党・公明党政権はアメリカへの隷属を主体的にすすめているが、それを私たちは「戦後から戦前へ」という認識で捉えている。ところが、沖縄には「戦後」はなく、あの戦争と続く歴史を刻んでいるのだ。
だから、田仲さんが学生を辺野古に連れて行ったとき、次のような問答がなされた。
あなたたちは何をしにここに来たの?
これに対して、学生たちは「沖縄の声を聞くために」、「平和を学ぶために」と答えた。すると、質問者はこう語った。
そう。君たちは平和を学びに来たんだね。平和を学べるっていいよね。ここではね、平和は闘いとらねばいけないんだよ。
沖縄の住民と、本土に住む者たちの「絶望的なまでの〈距離〉」を、田仲さんは指摘する。さらに沖縄の平和運動は、「平和運動」と呼ばれる概念をこえて、日本国憲法13条、25条にかかわる、「人として生きるための、あたりまえの〈日常〉を取り戻すための運動」であり続けてきたことを示す。
そして最後の方で、こう記す。
国家権力は知らず知らずのうちにわたしたちの風景に忍び寄り、わたしたちの言葉と身体を萎縮させる。異議申し立ての声がどこにも届かないという空気が醸成され、人々の間に拡散されていくとき、失われるのはまず言葉だ。
権力は言葉本来の意味で「聞く耳」をもたない。なにをしても無駄だと思わせる「尋問空間」においては、圧倒的な受動性が状況を支配していく。
さしあたって言葉を鍛えるしかない。まずは、自分の言葉をチェックする必要があるだろう。いつの間にか、それが権力者の言葉を内在化したものになっていないかどうか。一人でやるのはシンドイ作業だが、まずは他者に向けて発話してみると相互チェックが可能になる。
・・・・「世界は暫定的」なものであるということだ。そこには希望がある。暫定的、つまり、変えることができるということだ。
わたしたちはもうとっくに「戦前」へと続く道を転げ落ちている。こんなときこそ振り返ってみよう。まずは自分が立つ位置を確認すること。すべてはそこからーそこから始めるしかない。
私たちが生きる世界は「暫定的」、その通りだと思う。田仲さんが言うように、だから希望はある。